第一章:いつかの再逢

08:夢幻の日常





「そうだ、君、異形って知ってる?」


 突然ルイアが訊いてくる。


「知りませんけど」


 廊下を歩いていた時。


「そりゃそうか。君の世界には、無いんだもんね。そりゃそうだ」


 ルイアは、自身の考えの甘さに少し恥じた。


「さっき自我と体の話はしたよね?」

「はい」

「自我は、自分の体をコントロールする要だ。自我で体を動かして、自我で思考する」

「はぁ」

「ならその自我が何かの拍子に無くなって仕舞えば、どうなる?」

「…………死ぬ?」

「いいや死なない。御せなくなった体組織は、自我を求めて暴れ出す。本来は自我が掛けている脳へのリミッターも解除されて、人ならざる筋力、生命力を得る。拳を振れば体を貫くし、人蹴りすれば地面が割れる」

「……成る程」

「ちなみに、君もなれるぞ?」

「えぇ…………?」


 いや、嫌でしょ。

 自我もなく、ただただ暴れまくる怪物でしょ?

 嫌だよ。


「チッチッチ、分かって無いなぁ」


 一々鬱陶しい。


「君はこれから他人の体に入るんだ。つまりアイジスの中には、君の自我とアイジスの体という二つの相違が同居する形となる。そうすれば君は、自他の境界を自然と認識できる様になる。その状態で自我を体から乖離させて、自我を少し残したまま体組織に委ねれば、自我を持った異形の完成って訳」


 何となく理解した。

 つまり、自分とアイジスの体の齟齬が自然と解釈できる様になるから、ならそれらを離す事も俺の一存で全て叶う、と。

 そんで持って出来上がるのが。


「意思を持った異形ってワケ」


 良いね、カッコいい!

 

「ちなみに余談だが、異形の事をを向こうの人間は『異形』と呼び、我々上位種は『廃棄傀儡』と呼んでいる」

「…………傀儡?」


 何故ここで『傀儡』なんて単語が出て来るんだ?


「……うーむ、果たしてそれを君に話しても良いのか…………」


 ルイアは考えあぐねる。

 しかし何もかも本質を理解していない俺からすれば、何に悩んでいるのかすら判りかねる。


「いや、話そうか。その方が、僕がお願いする時も楽で良い」

「何か良く分かりませんが、お任せします」



 その後、俺はこの世界の混沌たる実態と、異形の本質を、識った。



 ◆



 ――これは憶い出である。

 ただ懐かしい、夢幻の世界。

 ただそれは事実で……いや。

 事実だったのか、今となっては思い出せない。


 だが何故か、あの頃の事が何度も何度も、頭の中で反芻した。



 ◆



『…………あの、すみません』


 高校からの下校途中。

 駅で突然、見知らぬ女性に話しかけられた。

 田舎でも無ければ、都会でも無い。

 在るのは住宅街とコンビニのみ。

 後商店街か。

 唯一の魅力は、駅が近くにある事だ。

 三十分に一本。此処から都会まで行ける電車が来るのだ。

 なので電車一つ乗ればビル街に行けて。

 アニメイベントとかも意外とやってたりするので、不便は一つもない。

 あるとすれば、街まで各駅停車の電車でゆっくり行くしか無く、片道一時間近く同じ電車に乗らなければ行けない事くらいだ。

 高校も街の方なので、学校までも家から一時間程かかる。

 皆からはそこまでして此処に来る理由がわからないとよく言われるが、まぁ自分でもよく分かっていない。

 何と無くで高校を選んだため、遠すぎる事に少し嫌になっているこの頃である。

 

 そして今日は終業式だった。学校自体は午前中で終わり、こうして帰途に着いている訳だが。

 電車を降りて駅を出た時に、女性は居た。


『な、何デスカ…………?』


 白の半袖ワンピースを纏った女性。

 髪は後ろで結っていて、色は漆黒。

 白と黒が、その背後にある白皚々はくがいがいたる雪との調和が、より女性を際立たせる。

 その顔は整然としていて、俺が今まで見てきた人達の中で最も美しかった。

 歳は二十前後にも見えるし、三十代にも見える。

 どこか若々しく、可憐さを備えていると思えば、時々見せる色っぽさが、とても艶めかしく、嫣然たる佇まいは、最も大人な女性だと感じてしまう。

 不思議な人だが、その余りの美しさに、シャイな俺は目も合わせられない。

 声も裏返るし、片言だし。

 こういう時に格好良く対応できる様になりたいと願うのが、まだまだな証拠なのだろうが。


『少し、この世界を案内してほしいなと思って』


 初対面にしては少し砕けた言い方だ。

 距離の詰め方が苦手なのか………?

 それに、世界?

 まるで別の世界から来た様な言い草だ。


『せ、世界……は少し厳しいですけど、この町くらいなら』

『じゃぁそれでも良いです』


 偉そうに…………

 少し苛立つが……何というか。

 日本語も拙いし、人と関わるのにも慣れていないと言った様子である。

 だが、美人と共に町を歩く。

 これ以上に嬉しい事は、無い。

 尤も、断る理由も、無い。


『そういや、お名前は……?』

『ガ…………イ…………そう! ガイです』

『ガイさん…………ですか』

『君は?』

『宮部です…………』

『宮部君……覚えた』


 一挙一動が艶かしい。

 少し苛つく様な発言も、その嫣然さの前では霧散するのだ。

 こういう所、やはり未だガキなのだなと痛感するが、仕方のない事だ。


『あの、一つ訊いても?』

『何です?』


 歩き出そうとした時。

 ガイは俺に訊ねる。


『若しも…………。若しも誰も居ない、ただ一人。ずっとずっと、暗闇の中で過ごすって、どう思いますか?』


 どうやらこの人は、日本語も、人との距離の縮め方も、会話術も、圧倒的に拙い。

 少し腹が立つが、だが前述した通り、美しさの前には何もかもが無力なのだ。

 何故此処でこの質問を俺に投げ掛けるのか。

 当然俺に解る訳も無く、ただ素直に答えるのみ。

 よく小学生のしている“イフ”の質問だと思えば良い。

 そうだ、そう思おう。


『ひとりぼっちで、暗闇で……ですか?』

『うん…………』

『そうですね…………』


 必死に思案する。

 小学生相手では無いのだ。

 しかも美女。

 格好いい事を言わなければならない。

 いや、別にそう言うわけでは無いが、そうするのが俺だ。


『……ほっと…………するかも知れません』


 しかし案の定俺に格好いいことなど言えず、ただ本音を語るのみ。


『ほっと…………?』

『他人と関わるのって、やっぱ気心の知れた仲でも、気を使うから。一層の事、他人と、社会と、世界と、自分を断絶してしまえば、きっと楽になる』

『そう言うものですか……?』

『多分ですよ? 実際にそうなった事がある訳では無いので、本当にほっとするのかは解りませんが。でも、そこで久遠の時を過ごせば……いつか心が死ぬ』


 どうせ、想像の域を出ない。

 一学生の、ただの妄想なのだ。

 だがそんな稚拙な妄想に、ガイさんは頭を抱える。


『他人とは、邪魔ですか?』


 極端だな、そう思う。

 しかしそれがガイさんなのだと漸く分かってきた。

 拙い日本語も。

 少し愛おしく思う。


『いや、邪魔ではありませんよ。だって、自分が自分でいる為に。自分の事を認めることは自分にでもできるけれど、誰かに許容されてこそ人と生きる意味があると思うから。だから、他人がいなければ俺もいない。他人が、俺をこうして形成する大きなスパイスとなる』


 それを聞いたガイさんは。



 ふと涙をこぼす。



 え? え? と慌てる俺。

 あまりに不格好であると、自覚はある。


『ど、どうしました――』

『ありがとうございます…………』


 何の礼か。

 さっぱり分からないが、その礼が心の底より吐き出されたものだと、その様子から容易に判断できた。

 そしてガイさんはそっと俺の両頬に手を添えて。


 そっと接吻する。


『ブベッ…………⁈』


 突然の事で後退りする。

 しかし足元の石にぶつかって尻餅をついてしまった。


『な、何を…………⁈』

『ただの礼です』


 優しく微笑みながら、ガイさんはそう言った。

 素直に綺麗だと、見惚れた。

 その姿は一種の芸術だ。


『町の案内は、やっぱり結構です』

『…………えっ…………?』


 俺は酷く衝撃を受けた。


(どう言うルートで行こうか必死に考えてたのに)


 俺は少し悲しい気持ちになった。


『短い間でしたが、ありがとうございました』

『いえ、どういたしまして……』

『ではまた、どこかで』

『ちょっとま………………』


 言葉は途中で遮られた。






 ――――そして、夢は醒める。














 

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