02:無智、無恥、鞭






「ぁ………………あっ…………っ」


 ただ少女は地面にへたりながら、茫然自失した。

 ずっと、自分を育ててくれて。

 いつかその恩を返そうと。

 兄のおかげで有るこの命に報いようと。

 そう決心したのに。

 その対象は目の前でただの肉片と化した。

 少女にとっては親同然であった最後の家族が、息絶えた。

 しかも、人外の何かしらと化し、少女を殺そうとして。

 少女は、ジルは、何も出来ない自分の脆弱さに、最後の家族をうしなってしまった哀しみに、ただ静かに哀哭する事しか出来なかった。



 ◇



 兄を切り捨てた青年は、刀に付いた鮮血を懐に忍ばせていた大きめなハンカチを使って拭き取り、刀は鞘に、ハンカチは血の付いた所が内側になる様に折られた後、再び懐に忍ばせた。

 青年はジルの兄だった骸と向かい合い、目を瞑る。


「…………済まない」


 青年は、少し響く声でそう言った。

 果たしてその言葉が、兄の骸に対しての物なのか、ジルに対しての物なのか。

 青年すらもあまり良く考えていない。

 青年の背後では、ジルの哀哭する悲痛な叫びが響き渡る。

 さして大きな声では無いのだが、それでも、響いた。


「………………済まない」


 もう一度そう言うが、今度も返答は無――


「兄は、如何どうして死んだんですか?」


 突然、ジルが訊ねた。

 震えた声で。

 泣いていた所為か、時々声が裏返っている。


「人と言う枠組みを、超越した“異形”になったから。そうなってしまったら、こうするしか無い」


 ジルの方は向かず、青年は答える。

 成る可くオブラートに。

 ジルを傷つけない様に。


「何で…………何で………………?」

「……っ…………済まない。異形となる原因は、し、知らなくて…………」

「そうじゃなくて…………」


 溜飲が下がらず、ジルはただ蟠りをぶつけた。


「殺さなくちゃいけなかったんですか? 殺さなくても、そう! 何か人に戻す方法とか――」

「ある訳ないだろう!!」


 突然大声を出して済まない、と青年は謝罪する。

 だがしかし、その所為でジルはすっかり萎縮してしまった。


「俺の方が、そんな方法があるのならば聞きたい。まぁ尤も、聞こうとすれば訊けるのかもしれないが」


 青年はため息を吐き、いや、それは無いなと、自らの発言を訂正する。


「まぁこう言われても納得出来ないのは解る。だが、君の…………」

「兄です」

「そうか……そのお兄さんを殺さなければ、今頃君は無事では無いだろうし、周りの人だってもしかしたら……」

「………………」

「受け入れてくれとは言わない。そう簡単に受け入れられる物では無いと知ってるから。ただ、俺の事は信じて欲しい。決して悪意があって殺したのでは無いと」


 気付けば青年はジルの目を真っ直ぐ見ていた。

 ただ一心に、信じて欲しいと思いながら。


「…………そうです。受け入れられる訳がないじゃ無いですか。昔父も母も喪って、最後の……最後の家族だったのに…………」

「………………」

「もう‼︎ もう‼︎ ほ、ほんと、何なんですか。何で、何でこんな……何でこんなことにならなきゃいけないんですか。だって、ただ、ただ…………」


 青年は、自分を見ている“者”に、再び激しく憤り、軽蔑した。

 やはりこんな世界を創る奴等は、ただの阿呆だと。


 異形化の原因を知り得ているからこそ、余計虚しくなる。


「もう、良いです。もう、私には何も無いから。良いんです」


 もう良いんです、と、少女の涙はいつの間にか止まっていた。

 もう、何もかもを放棄した。

 人との関わりも、自らの心すらも。

 一切躊躇しなかった。

 こうすることで、少しでも気が楽になるのならと、そう思ってであったが、存外苦しくなくなるものだなと。

 いや、そう考えることすら億劫になってしまった。


「…………済まない」


 目線を逸らしながら、青年、アイジス=ロメオはそう呟いた。



 ◆



「ありがとうございました…………」

「いえいえ……」


 アイジスは、ここより近所の年嵩な女性に謝辞を述べられ、愛想笑いをしながら応えた。

 女性が去り、見えなくなろうとしていた時。

 ジルは外方を向きながらボソッと呟いた。


「…………何で感謝するの」


 今にも消えそうな、か細い震えた声で、そう言った。

 アイジスは応えようにも何と応えて良いのか解らず、ただ沈黙を纏った。


「…………それで、君はどうするんだ?」


 アイジスが、また視線を合わせずに、ジルに訊いた。


「どうする…………とは?」

「これからの事さ。一人で生きていけるのか。無理なら、俺の旅に同行するって言う選択肢もあるけど」

「そうします」

「まぁゆっくりと考えたら…………え?」

「どうせ、ここに居ても虚しいだけですし。どうせ、ここに居ても生きてられないので」


 アイジスは、揺らぐ。

 果たして、この子の兄を殺す事が、最善だったのか、と。

 或いは、別の何か、もっと最善手が存在したのでは無いか、と。

 そう悩むも答えは一向に出て来ない。

 この提案すら、果たしてジルこの子にとっての最善手なのかどうかすら、解りかねる。


「…………本当に、君はそれで良いのかい?」


 そう訊ねてみるが。


「はい…………」


 心無き声で、ジルは答える。

 だからこそ余計アイジスは慮ろうとするのだが、ジル自身、アイジスの心境を慮る余裕など持ち合わせてはいなかった。


「本当に?」

「はい……」

「多分……大変だと思うけど……」

「大丈夫です」


 アイジスはとことん、口下手な自分に失望した。

 しかしアイジスがジルに見たのは、決意などでは全く無く、ただの成り行きな様な気がしてならない。


「俺は、異形狩りだ。異形となった人を殺して、その町や村を助けるのが仕事だ。つまり、危険なんだ、途轍もなく。それに惨憺さんたんたる現場を、何度も目にする事になる。未だ子供の君には、あまり関わるべき事ではない」


 提案者の言う事では無い。

 しかし、ジルは未だ、子供だ。

 子供の経験する事では、到底無い。


 しかし。


「でも、このままここに居ても、どうせ野垂れ死ぬだけなので」


 同じ事を何度も宣う。

 話は平行線を辿るばかりであった。


「…………本当に、良いのか?」

「はい」

「……本当に?」

「……はい」


 しつこいが、こうでもしないとアイジスの心は罪悪感で埋め尽くされてしまう。

 ちゃんと止めた、と言う事実が、罪悪感の捌け口になるのだ。


 アイジスは下唇を噛む。

 この少女が死ぬ事になっても、それは自分の関知する事ではない、と。

 この子が勝手に着いてきただけなのだから。

 自分には何の咎は無いのだ、と。

 死んでも、死んでも、死んでも…………

 


 俺は何も知らない。

 


「……アイジス=ロメオだ」

「ジル=コルミットです」

「…………コルミット………………?」


 その名を聞いてアイジスは少し思案するが、直ぐに放棄した。


「取り敢えず、今日泊まれる場所まで行こうか」

「………………はい」


 この村で泊まるのは、ジルには酷だと思い、明日行くつもりだった隣村の宿まで。

 そう言おうとしたが、それを聞く前にジルは承諾した。



 ◇



 目の前で人が死ぬのを見たのは……もう何回目だろう。

 この手で人を殺したのは、二度目。

 もう……悩みたく無い。

 何も考えたく無い。

 ならもうこんな事、辞めれば良いのだが、でも、あの決心だけは不意にしたく無い。


 だから。

 これ以上この手から溢れる命に、向き合うのは止めよう。

 もう二度と。

 ――もう、二度と。





 

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