序章:持っている者

01:兄妹殺し




 


 幼い頃、父は戦争へと繰り出され、死亡した。

 激しい剣戟の中、無念にも戦禍を被り戦死した。

 元はこの村の警備隊長であった。

 だからこそ腕を見込まれ王都ガルシスの国軍より直々に依頼を受けたのだが。

 結果は前述の通り。

 計画が杜撰であった訳では無い。

 寧ろこれで負ける方が難しい様な布陣であった。

 兵の中には、宣戦を布告したライア=ヴァルヘルム皇国を弄し、鼻で笑った。

 結果は我が国の圧勝であったが、しかし軽微ながらに犠牲はあった。

 その少なき犠牲の内の一人が、父なのだ。


 そして父をうしない、母と兄と三人で暮らす様になってから数年。

 今度は母が病死した。

 その身一つで子二人を生かさねばならぬと毎日毎日東奔西走し、何とか食い扶持を稼いでいた。

 そんな生活を続けていたから、過労なのだろうと思った。

 しかし医者を呼ぶが原因は判らず。

 過労ではなく、何か病に臥せっている訳でもなく。

 外傷は無く、身体機能も何ら異常は無い。

 しかし母はいつ見ても大量の汗を流してのたうち回り。

 そんな母を見る事すら、苦痛以外の何物でも無かった。

 そうして悶え苦しむ母は、ある時会いに行くと、胴と首の分たれた状態で見つかった。

 誰が見ても既に息絶えている事は一目瞭然であった。

 その目は開いたままであり、眼球は赫く輝いている。

 無数にある切り傷の所為か、白かった服は真紅に染まり、抱擁してくれた時に感じた温かさは、既に消えている。

 兄は母が見えない様に前に立ち、結局母とは、その骸と対面する事なく別れた。



 ◇



 そしてまた数年。

 私は十歳となり、兄は今日で十五歳であった。

 そう、今日は兄の誕生日なのだ。

 しかし兄の稼ぐお金ではケーキなど到底買えず、私の稼ぎでも精々蝋燭を数本しか買えない。

 兄の誕生日祝いは、私の歌と手拍子。

 贈り物は、おめでとうという気持ち。

 果たしてこれで良いのかと私は問うたが、兄はこれで十分と、涙を流して答えてくれた。

 いつかちゃんと祝える様に。

 何度目かも判らぬ決心を、今日もした。

 いつか、いつか。

 兄が繋いでくれた自分の命を無駄にしない様に。

 この恩を倍にして返せる様に。

 そう心に留めて、今は祝いだと心を入れ替えた。



 しかしその決心が具現する事は無かった。



「うぐぁ…………!」


 突然兄が悶えた。

 机の上にあった花瓶が兄の手に当たり。

 床に落ちて潔い音を立てて粉々になった。

 兄は椅子から転げ落ち、また椅子も兄とは反対側に倒れた。

 悶え、苦しみ、声にならぬ悲鳴を上げながら、床の上をのたうち回り、額からはあまりの苦痛に汗が滲んでいる。


「どうしたのっ⁈」


 私も急いで駆けつけるが、兄が無茶苦茶に暴れる所為で、近付こうにも近付けない。

 何か自分にも出来る事は無いかと周りを見渡すが、出来る事は何も無い。

 今から医者を呼ぼうにも此処から病院までの道が解らない。

 母の時は兄が医者を呼んでくれたので、私は知らないのである。


 ―――どうすれば―――――――?

 

 ――――どうすれば――――――?

 

 ―――――どうすれば―――――?

 

 ――――――どうすれば――――?

 

 ―――――――どうすれば―――?


 ――――――――どうすれば――?


 ―――――――――どうすれば―?

 

 

「どうしたら………………?」

 


 そうして考えていた時。



「ガァァァァ‼︎」


 突然、兄が絶叫した。

 その瞬間。

 目一杯見開かれた目は段々と赫く染まり。

 兄は徐々に暴れなくなった。

 赫い瞳は瞼に隠され。

 兄は眠った様に見えた。

 私はゆっくりと兄へと近づく。

 そして肩に手を置き、ゆさゆさと兄の体を揺らした。

 しかし反応が無い。

 取り敢えず叫び過ぎて喉を痛めているかも知れないと思案し、水を取りに向かった。

 兄に背を向け、歩き出す。

 当然背後で音も無く起き上がった兄には気付かず――


「危ないっ‼︎」


 なので誰かのその叫びに気付いた頃には既に遅かった。

 兄の放った拳は誰かに押された私の頬を掠め、其処からは少し血が滴った。

 私は誰かに押された所為で尻餅を付き、しかしそのおかげで兄に殺されずに済んだのだ。

 急いでその誰かに目を向ける。

 其処にいたのは、精悍な顔立ちの青年。

 恐らく二十歳前後であると推測される見た目だが、その雰囲気は、青年をもう少し年増だと錯覚させる。

 その服は、王都ガルシスの王国軍の軍服の様で少し違う。

 黒の生地で統一された上着とズボンは一見動きにくそうだが、意外と伸び縮みする素材の為、戦闘には向いていた。

 そしてその手には、剣にしては両刃では無く片方のみが刃となっていて、そして少し湾曲している。

 剣とは異なり、それが切断に特化した“刀”である事を知るのは、もう少し先の事であった。

 青年はその刀を構え、兄と対峙する。

 対する兄は、もう兄では無くなっていた。

 漂わせる雰囲気は獣物が如く。

 その眼球は赫く染まり、眼光は鋭い。

 いつもの温厚な兄からは考えられない程に強烈な圧を感じる。


「…………何が………………何が起きて……」


 理解が追いつかない。

 突然兄が悶え始めたと思ったらこれもまた突然兄は動きを止め。

 気付いたら謎の青年に体を押され、兄の放った拳を間一髪のところで躱す。

 そして気付くと兄は、豹変し、人外の存在と言っても過言では無い“異形”と化してしまった。

 わからない。

 益々わからない。

 ただ。



 このままでは兄が危ないと、直感で理解した。



「待って‼︎」


 だから叫ぶ。

 それしか自分には出来ないから。

 ただ一人の家族。

 この人を失ってしまったら、もう生きていけない。

 それに、まだ、何も返せていない。

 この命も、恩も、想いも、何もかも。

 それに。

 これ以上奪われるのが嫌なのだ。

 もう、嫌なのだ。

 だから、やめて…………

 もう。


「もう、これ以上…………!」


 しかし現実はたかが人の子の言葉になど靡かないし、聞く耳すら持たない。

 兄は一直線に青年へと飛びかかった。

 その速度は回避すら儘ならぬ速度であり、常人ならば回避すら叶わず、その拳に身を貫かれているだろう。


 しかし青年は、常人では無かった。


 何事もないかの様にその拳を半身になって躱し、その刃にて兄の首を切り落とした。

 刀を出す力と、飛びかかってきた兄の推進力も相俟あいまって、首の切断は青年にとって最も容易く完遂された。

 しかしそれでは足らず。

 青年は兄の背に回り、返す刃で左肩から右脇まで袈裟斬りにした。

 それにより減速した三つの肉片は、それぞれの音を立てながら、落下した。

 兄の眼球は赫く。

 しかし青年がその目に手を添えた事により、再びその兄の赫き目を見る事は無かった。

 こうして、兄は、青年の手によって討伐された。



 ◆



 時折、何の前触れも無く、人が獣物の如く暴れ狂う“何かしら”に変貌する事がある。

 その“何かしら”は総じて特徴があり、目が赫く染まるのだ。

 そしてその“何かしら”に変貌した人間は、人間と比べ遥かに卓越した生命力と身体能力を得る。

 首を切っても死なぬ事も屡々しばしば

 その拳は、力一杯振るうと余裕で人体を貫く凶器と化す。


 その“何かしら”は、通称『異形』と呼ばれ、それを討伐する人を、“異形狩り”と呼称する。



 ◇

 


 この時、異形狩りである青年アイジス=ロメオは、少女ジル=コルミットとの出会いを果たしたのだ。





 

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