5-5 紗綾
ステージトラックの上では、音楽に合わせて紗綾ちゃんが激しいダンスを披露していた。ダボっとした白ピンクのTシャツをはためかせ、デニムのショートパンツから覗く細い足が、軽やかにステップを踏んでいく。その下では多くのメスガキが集まって、興奮のまま野太い咆哮を上げ、盛り上がっている。
しばらくすると、最前列のメスガキ達はふらふらと横へはけていき、街を襲いに行ってしまう。代わりに後列にいたメスガキが前に出てしばらく盛り上がると、やはり同じように去っていく。
おそらくこれは、ステージ上のスプリンクラーから撒かれてるミスト状のMSGK被験薬のせいだ。あれを浴びるとメスガキはゾンビ化し、街を襲いに行く。結果、渋谷駅前は大勢のメスガキゾンビで溢れ返ってるってわけだ。
「紗綾ちゃん!」
遠くから呼び掛けても音楽のせいか、メスガキ達の喧噪のせいか、紗綾ちゃんに届かない。熱狂するメスガキを強引に押し除けて、俺はステージトラックによじ登った。
「紗綾ちゃん!」
我慢できず、俺はダンスしてる紗綾ちゃんに抱きついた。紗綾ちゃんは急にしゃがんで腕の中から抜け出すと、両手を突っ張って俺を突き飛ばした。後方に一回転した俺は、中腰の態勢で紗綾ちゃんに叫ぶ。
「俺の事、分からないの? 紗綾ちゃん!」
目の前にいるのは、茶髪ツインテールを揺らして大きな淡褐色の瞳を輝かせる、一年来の相棒。それなのに――、
「分かってるよ。カズくんが、カズくんだって事くらい」
どうして紗綾ちゃんは、そんな冷めた目で俺を見るの?
いつもなら紗綾ちゃんの方からひっついて来て離れないのに、逆に俺を突き飛ばすなんて……その事実だけで、心がズタズタに切り裂かれる思いだ。
「さーやさ、色々特別みたいなんだ☆」
「……特別?」
紗綾ちゃんはくるりと一回転すると、細いツインテールが遅れて綺麗な弧を描く。
それだけで観客のメスガキゾンビは腕を突き上げ、ざわめき騒ぎイキり立つ。
「シスター・マナに協力すれば、福っちがさーやの事、離解らせてくれるんだって。さーやもピリオドになれるかもしれないんだよ♡ これって断る必要なくない?」
「だからって、メスガキゾンビで渋谷をめちゃくちゃにしていいわけないよ! 目を覚ましてよ、紗綾ちゃん!」
「渋谷はさ、元々めちゃくちゃなんだよ☆ エリア・メスガキって何? そうやってメスガキを渋谷に隔離しておきたいなら、他の人はここから出て行けばいい。私が踊るだけで、渋谷がメスガキの街になるなら、それが一番いい方法だと思わない?」
「シスター・マナに、いいように言いくるめられてるだけだ。メスガキをゾンビ化して、渋谷から他の人を追い出そうなんて……いいわけないじゃないか!」
「今までだって、さーやとカズくん。那須野博士にいいように言いくるめられてたと思わない? 研究が進めば、那須野博士にも同じような事やらされてたかもしれないよ? ねー、みんな♡」
紗綾ちゃんの呼びかけに呼応するかのように、ステージ下のメスガキ達は「うおおおっ!」と地鳴りのような声援を響かせる。
「こいつら……紗綾ちゃんが操ってるのか!?」
「オツム♡ザーコ☆ んなわけないじゃん☆」
「じゃあ、どうして?」
「シスター・マナが言うには、さーやのメスガキ波は元々、
思い起こせば、今までのフェテレータA群メスガキは、誰彼構わず暴行を働いていた。だが今ここ渋谷スクランブル交差点で暴れ回っているメスガキゾンビ達は、互いに干渉しない。これが紗綾ちゃんのMSGK被験薬だけが持つ、特別な効果……だとすれば、俺も!?
「カズくんも、さーやのMSGK被験薬を打つ事で
「違う! 俺は紗綾ちゃんの事大好きだし、心から大切だって思ってる! 今だって……この気持ちは、クスリのせいなんかじゃない!」
「でもその気持ちは家族として――同族意識からでしょ? だからカズくんはさーやに優しくしてくれる癖に、一度も
「それはっ……しょうがないだろ。俺にとって紗綾ちゃんは、お姉ちゃんでもあるんだから。そもそも弟の俺に、最初に優しくしてくれたのは紗綾ちゃんじゃないか!」
「そんなの覚えてないもん! だからさーやは、カズくんのお姉ちゃんなんかじゃない。さーやは一人の女の子で、ピリオドになりたいメスガキなのっ! 離解らせてくれないクソザコ☆カズくんなんてもういらない。どっか行っちゃえ!」
必死に叫ぶ紗綾ちゃんに、俺以上のショックを受けていたのは、紗綾ちゃん自身だった。
小さな身体をしゃくり上げ、淡褐色の瞳から大粒の涙を零すメスガキに、俺の心は罪悪感で圧し潰される。
「紗綾ちゃんは俺のお姉ちゃんだけど、俺の大事な人に変わりはない。確かに俺はクソザコ☆ナメクジで、紗綾ちゃんを離解らせてやれないかもしれないけど……それでも幸せにしたい気持ちに嘘はない」
「だからそれは、クスリのせいで――」
「クスリなんて関係ない! だったらもうMSGK被験薬なんて、二度と打たない!」
俺は再び、紗綾ちゃんに向かって走った。今度は紗綾ちゃんも臨戦態勢。狭いゲリラステージを踊るように飛び跳ね、俺との距離を取る。
「打たなきゃ
「思ってないよ、そんな事!」
紗綾ちゃんは華麗な身のこなしで、キックとパンチを繰り出してくる。
俺はなんとかガードするものの、素早い攻撃にじりじり後退せざるを得ない。
「恵は甘やかせてくれるでしょ!? 那須野博士だってメスガキ区長だって……なんだかんだカズくんの周りは、カズくんの事大好きなメスガキばっかり!
「そんなヒモみたいな事、するわけないだろ!?」
「じゃあなんでカズくんは離解者なの!? どうしてさーやは離解らせてくれないの? 姉弟だっていいじゃない☆ 姉弟だからって私だけ、ノケモノ扱いしないでよっ‼」
渾身の右パンチを首を捻って躱すと、俺は紗綾ちゃんに抱きついた。
ぽかぽか殴られながら、力一杯叫ぶ。
「分かった! これから毎日、紗綾ちゃんを離解らせる! 俺はシスコンで、お姉ちゃんが世界で一番のメスガキだって、毎日毎晩、俺が
「嘘だよ、そんなの。だってさーやのメスガキ波は――」
「だったら! 紗綾ちゃんも俺に分からせてくれよ! 毎日毎晩、紗綾ちゃんが世界で一番可愛いメスガキだって、生意気口調で煽ってこいよ!」
抱きしめた、華奢なメスガキ愛おしく。もう二度と失ってなるものかと強く思う。
離解者だから、メスガキだから。もうそんなのどうだっていい。
「俺は……メスガキな紗綾ちゃんも、メスガキじゃなかった頃の紗綾ちゃんも、どっちも大好きなんだ。紗綾ちゃんは覚えてなくても、弟の俺に優しくしてくれたのは紗綾お姉ちゃんだし、今だって俺に優しくしてくれる」
「カズ……くん」
「メスガキウィルスが
熱く語る俺から目を逸らすと、紗綾ちゃんはぽつりと呟いた。
「でも……さーやにはもう、できない。こんな事して今更、後戻りなんて……」
「そんな事ない。見てて、紗綾ちゃん」
俺は紗綾ちゃんを左手で抱き上げると、右手を大きく挙げて合図を送った。
それと同時に、MSGK被験薬を放出していたスプリンクラーが停止し、音楽も止まる。渋谷の広告映像も全てブラックアウトし、あれだけ騒がしかったスクランブル交差点が、静寂の
すると、異変に気付いたメスガキゾンビ達が次々その場に倒れていく。遊び疲れた子供のように、精も根も使い果たした女児達は、その場で昏倒し眠りに落ちていく。
ステージトラックの運転席から顔を出した日葵が、ひょいひょいと指で頭上を差した。驚く紗綾ちゃんと一緒に空を見上げると、スクランブル交差点の広告映像ディスプレイ全てに、メスガキ区長が映し出された。
「渋谷のみんなー! 見てるぅー☆ イザイザ☆メスガキ党、渋谷区長でーす♡ 一連のメスガキ事件はフェテレータと呼ばれる音楽ドラッグが原因で、特定の音楽にフェテレータのデジタルデータを混ぜて聴かせる事で、メスガキをゾンビ化する事が分かりましたー♡」
軍服姿のメスガキは、秘書のメスガキが掲示するフリップを棒でバシバシ叩きながら、集まったマスコミに音楽ドラッグについて説明を始めた。
最後まで説明し終えると腕組みし、これでもかと得意満面な笑顔を見せつける。
「区長、フェテレータをバラまいた犯人は誰なんですか?」
「今回のメスガキゾンビ事件は、また違うフェテレータが使用されたとの噂も!」
「渋谷のスクランブル交差点では、メスガキと離解者のバトルが起きているとも!?」
突き付けられたマイクで質問攻めにされる区長は、その内の一本をひったくると、カメラに向かって勢いよく宣言する。
「『渋谷メスガキ連続暴行自死事』を始めとする一連のメスガキ事件は全て、我々イザイザ☆メスガキ党とその仲間が解決します! 渋谷は必ず、メスガキが守りまぁすっ‼」
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