第五章 メスガキ☆パンデミック
5-1 協力者
広尾駅前のバス乗り場近くで待っていると、白いセダンが目の前に停車した。
身を屈めて運転席を確認すると、福浦さんが遠慮がちに手を振っている。俺はガードレールを飛び越えて、車の助手席に乗り込んだ。
「すまん、待たせたな」
「いえ。俺の方こそ、いきなり無理言っちゃってすみません」
「気にするな。もう三日も紗綾ちゃんが見つかっていないんだ。渋谷区外に捜索範囲を広げるにしても、車がないと厳しいからな」
「ホント、助かります」
渋滞に喘ぐ都内の下道を潜り抜けると、車は首都高へと入っていく。
行先は横浜方面。以前紗綾ちゃんと行った事のある、海浜公園を目指す。
「最近忙しそうでしたけど、やっぱりシスター・マナと日葵の行方、分からないんですか?」
「ああ……残念ながら、かなりお手上げ状態だ。教会と孤児院はもぬけの殻だったし、残されたデータからも手がかりになるような情報は一切見つからなかった」
「教会地下の、音楽スタジオからも?」
「だな。パソコンには普通の音楽データしか保存されてなかったみたいだし、スタジオから他の部屋に繋がる隠し扉等も見つかってない。あれはシスターの趣味の部屋だと、警察も判断している」
「そうですか……」
第二法医学室に戻った那須野博士からも、シスター・マナ達の消息を辿るヒントは、一切残されていなかったと聞いている。
襲撃時はあそこまで大胆に攻めてくるのに、いざ姿をくらますとなるとこの徹底ぶり。普通のやり方では、シスター・マナとその協力者の尻尾は掴めそうにない。
「ちなみにその保存されてた音楽データって、どこかの動画サイトで公開されてたり、同人サイトで売られてたりしないんですか?」
「その辺りは俺も詳しくないから、今別の担当に調べてもらってる。そういう事があるにせよ、潜伏先を割り出す事とは関係なさそうだが」
「逃亡先でシスター・マナが、そういうサイトやメジャーなSNSアカウントにアクセスしていたら、足取りが掴めるかもしれませんよ」
「そうか? まぁそういうのも含めて、今は結果報告待ちだな」
首都高もそれなりに混んではいるものの、普通に車は流れていく。福浦さんは追い越し車線を陣取り、それなりのスピードで走っているものの、車内はとても静かだった。
「そういえばこの車って福浦さんの愛車ですか? 覆面パトじゃないですよね?」
「俺のだ。一介の刑事が警察車両を使って、知り合いの人探しを手伝うわけにもいかんからな」
警察車両には漏れなく、無線とGPSが付いている。どこで何をやっているか警察本部には丸わかりらしいから、こうしてマイカーを使う事にしたのだろう。
「昨日は、那須野博士のとこに行ったのか? ほら、毎週土曜は定期健診の日だったろう?」
「一応行きましたけど、そもそも紗綾ちゃんがいなきゃ、MSGK被験薬は精製できないんですよ。結局、今後の紗綾ちゃん捜索の打ち合せをするだけで、治験的な事は一切しませんでしたね」
「そうか。それで近隣県にも捜索範囲を広げようと」
「はい」
「今日見つからないにしても、目撃情報だけでも拾えればいいな」
「そうですね……」
川崎を過ぎたあたりから、道はかなり空いてきた。俺達はそれ以上話す事もなく、あっという間に海浜公園のインターに辿り着いた。海岸線を少し走り、海浜公園近くのレストランや土産物店が立ち並ぶ駐車場に入っていく。
車を停めると、福浦さんは元気付けるかのように俺の肩をバシッと叩いた。
「ほら。そうやってシケた面して聞き込みしたら、相手も話してくれなくなるぞ。元気出して行こうぜ」
「福浦さん。その前に、ちょっとだけ話をさせてもらってもいいですか?」
「ん? なんの話だ?」
「一年前のインターン。鑑識課に配属された手嶋の話です」
福浦さんは、眉を一瞬跳ね上げた。
「どうして今更? それは聞き込み調査より、大事な話なのか?」
「少し気になる点がありまして」
真剣な眼差しの俺に何かを察したのか。福浦さんはエンジンをアイドリング状態にしたまま、腕組みをした。
「いいぜ。聞こうじゃないか」
* * *
「一年前のあの日、手嶋がメスガキに対して偏見を持っていた事を、福浦さんは突き止めてくれました。特定のSNSアカウントで、長期に渡りメスガキ差別発言を繰り返していたと……。あれはどこのSNSだったんですか?」
福浦さんは胸ポケットから小さな手帳を取り出すと、パラパラめくって当時の記録を調べ始めた。
「うーん……さすがに一年前の話だから覚えてないし、手帳にも載ってないな。帰って調書をあたれば、分かると思うが」
「あの時、福浦さんは誰の協力も仰がず、独自に調べてくれてたんでしたっけ?」
「それは……そうだったんじゃないかな。よく覚えてないが」
「こう言っちゃなんなんですけど、アナログ人間の福浦さんが、一人で調べられるとは思えないんですよね。いまだに紙の手帳は使ってるし、パソコンやデータ形式、Webサービスの話になるとからっきしだし」
「ははは、手厳しいな」
「そんな福浦さんが、手嶋のSNSアカウントを特定して、更に何年も前の差別発言を抽出し証拠として提出するなんて……やっぱり違和感しかないんですよ」
「ああ、そうだ! あの時は確か、同僚に手伝ってもらったんだよ! お前には秘密裡に調べると言った手前、隠してたんじゃないかな」
「そうだったんですか」
「なんだ、そんな事が気になってたのか。もっと早く聞いてくれれば良かったのに」
笑いながらエンジンを切ろうとする福浦さん。その肩に手を置いて、俺は更に話を続ける。
「まだ、気になる点はあるんです」
「今度はなんだよ?」
「シスター・マナは、俺と紗綾ちゃんが刻学院大第二法医学室に、週一で通っている事を知っていました。それが、MSGK被験薬の治験のためだという事も」
「手下のメスガキに、尾行させてたのかもしれないな」
「なんのために?」
「そりゃあシスター・マナが、昔から那須野博士のMSGK被験薬に興味があったからじゃないのか?」
俺は静かにかぶりを振った。
「MSGK被験薬は、那須野博士が日本で開発・治験を始めたクスリで、博士が刻学院大の客員教授である事も含め、一度も公表されていません。部外者のシスター・マナがその情報に辿り着く事は、ありえないんです」
「そうなると……メスガキ花嫁事件の時、俺達を尾行してたのかもしれないな」
「あの時の俺は、シスター・マナが見ている前でMSGK被験薬を使っていません。彼女が去った後に使ったから、被験薬の出元を調べるために尾行した、はおかしいです」
「てことは……離脱したと見せかけて、どこかに隠れて見ていたのかもな」
苦み走った二枚目顔に、汗の粒が浮かんで見える。
焦りというにはまだ遠い、余裕の笑みを湛えながら。
「バカみたいにうるさいサイレン鳴らして走る、救急車を尾行する……しかも大学の敷地内に、地下駐車場まで付いていく。気づかない方がおかしくないですか?」
「……そうだな」
「普通に考えれば、シスター・マナが那須野博士とMSGK被験薬の存在を知った理由は、それを知っていた協力者から情報提供を受けた――と考えるのが妥当です」
「……」
「その協力者は、第二法医学室と那須野博士の存在について知っている、極めて俺達に近しい人物。もちろん俺じゃないし、紗綾ちゃんも俺を裏切るとは思えない。恵に至っては、孤児院潜入捜査の際に日葵が同室に付くほど、シスター・マナから警戒されていた。仲間のスパイなら、そんな必要ないでしょう」
もはや相槌すら打てなくなってしまった福浦さん。
腕を組みしながら下を向き、何かを必死に考えているようにも見える。
「福浦さん。あなたのご両親はとても裕福な方で、政財界にも顔が利くと聞きました。福浦さん自身も海外留学されていて……そこでシスター・マナに出会ったんですか?」
「……」
「卒業後、日本に帰ってきたあなたは、出世コースの警視庁勤務を断り、自身の希望する渋谷警察署メスガキ課に配属された。それはもしかして、シスター・マナのフェテレータ実験に協力するため、ですか?」
「……」
「渋谷メスガキ連続暴行自死事件……あの二件目の事件にあなたが偶然居合わせたのも、事件が起きる事を知っていて近くで待機していた? 三件目の紗綾ちゃんの事件も、フェテレータ実験の暴走死を隠ぺいするため、わざわざ手嶋を鑑識課に送り込み、紗綾ちゃんを犯人にでっち上げようとしていた?」
「何を……バカな事を」
「インターンの俺が不自然な指紋に気付いてしまったため、急遽全ての罪を手嶋に被ってもらう事にした。シスター・マナは、手嶋のSNSでのメスガキ差別発言履歴をでっち上げ、福浦さんは逃亡をさりげなく支援。警察が取り逃がす恰好で逃がしてやった。その後上層部に掛け合って手嶋事件自体を無かった事にし、彼の指名手配を取り下げた」
「……」
「渋谷の警察が、妙にメスガキに忖度するようになったのも、福浦さんの両親からプレッシャーがかかってるからで……」
「もう、いいだろう」
「いいえ、まだです。まだ一番重要な確認が、済んでいない!」
車外では四台の車両が、福浦さんの車を取り囲むように停車していた。
イザイザ☆メスガキ党のロゴマークが光る車内では、金属バットを二本持った恵が、いつでも飛び出せるように身構えている。
「シスター・マナを匿い、孤児院のメスガキを保護し、紗綾ちゃんを拘束しているのは、メスガキシスターのパートナー……レベル
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