4-7 二つの推論

 俺の話を聞き終えると、恵は赤く腫らした両目に決意の光をみなぎらせた。


『分かりました、紗綾はわたしが連れ戻します。心当たりを教えて下さい』

「いや、行くなら俺も一緒に……」


 ベッドから起き上がろうとするも、恵はいつの間に取り出したのか、金属バットの先端を俺の鼻先に突き付ける。


『これはメスガキにしか分からない問題です☆ 今回ばかりは、おにーさんには引っ込んでいてもらいます♡』


 温厚な恵の、有無を言わさぬメスガキ笑顔が、俺の反論を喉奥に引っ込める。

 メスガキ区長とその秘書も、彼女の背後から援護射撃を撃ってきた。


「僕も、メスガキ同士で話した方がいいとおもうぞ~☆」

「我々にも、紗綾ちゃんの写真を送ってください。イザイザ☆メスガキ党が、党員総出で紗綾さん探しをお手伝いします」

『ありがとうございます♡ さぁおにーさん、早く心当たりを言ってください。写真と一緒にその情報も、メスガキ党の皆さんに周知してもらいますから』


 なぜかメスガキ党の支援基盤を得た恵が、俺の頬にバットの先端をぐりぐりめりこませる。

 もちろん大人数で探してくれるのは、俺にとってもありがたい。いくつか心当たりのある場所を、恵に伝えた。


『ではわたし達は紗綾捜索に行ってきます☆ 見つけたらすぐに連絡するので、おにーさんはここで大人しく待ってて下さいね♡』


 俺と那須野博士を残して、メスガキ達は仮眠室から出て行った。

 大人しく待ってろと言われても、のんびり寝てもいられない。俺がベッドから飛び降りると、ノートパソコンにかぶりついたままの那須野博士が、背中越しに話し掛けてくる。


「心配なのは分かるが、今の紗綾ちゃんは、君への信頼と恋心が揺らいでしまっている。君が直接話しても、余計話が拗れるだけだ。こういう時こそ女子会ならぬ、メスガキ罵倒集会が必要なのさ」

「それってつまり……わざと俺の悪口で盛り上がり、紗綾ちゃんをスッキリさせてから話し合おうって作戦ですよね!?」

「わざとかどうかは、知らないが」

「そこはわざとって事にしといて! 本気で陰口叩かれてたらと思うと、俺マジ立ち直れない!」


 メスガキ☆パンデミック以前ですら、男子は女子会について、聞くな触れるな詮索するなと言われてたらしい。

 それがメスガキともなれば、その過激な罵倒は想像に難く無し。いやもう、想像すらしたくない!


「まぁそう嫌そうな顔するな。紗綾ちゃんにもようやく、本気で心配してくれるメスガキ友達ができたって事だ。喜ばしいじゃないか」

「そりゃそうですけど……だからといって当事者の俺が、何もしないってのも落ち着かないわけで」

「そこにコーヒーメーカーがある。暇なら一杯淹れてくれ」

「まさかのお茶汲み!? まぁやりますけど……ついでにコーヒー飲みながら、俺の話も聞いてくれますか?」

「酷いな。いくら私が行き遅れのアラフォーだからって、男子の猥談相手に指名するなんて」

「そんな話するわけないでしょ! 相談ですよ、相談!」

「ロリコンは治らないから、犯罪者にならないよう上手く付き合っていくんだぞ」

「そういう相談でもないです! ……実はさっき話してて、ちょっとおかしな事に気付いたんです」


 那須野博士は「ほう」と呟くと、ようやくパソコンから顔を上げた。

 振り向いた瞳には、いつものアカデミックな好奇心が顔を覗かせていた。


「奇遇だね。私もちょうど今、面白い事に気付いたんだ」


* * *


「――以上が、俺の推論です」


 一度も手を付けず冷めてしまったコーヒーカップを、まるで視線で温めるように、那須野博士はじっと見つめていた。

 そして嘆息とも感嘆ともつかない息を吐くと、俺に視線を向ける。


「もし本当にそうなら、今までの疑問の大部分は辻褄が合うかもしれないな。だが君は、具体的にどうするつもりなんだ?」

「それはこれから考えます。まずは紗綾ちゃんを見つけて、連れ戻さないと」

「ふむ」


 冷めたコーヒーを一口含んだ博士は、今度は自分の番とばかりに、パソコンと試験管ラックをテーブルに置いた。


「ではそちらの方は離解屋ワカラセヤの君に任せるとして……私は私の研究分野で、気付いた事を説明しよう」


 博士は小型のプロジェクタを使い、仮眠室の壁にパソコン画面を投影した。

 ラックに並んだ試験管Aと試験管Bの、血液成分表が表示される。


「君の協力のおかげで、MSGK被験薬の適合者は、その脳髄液を提供したメスガキの兄弟姉妹である事が必須と判明した」

「はい」

「もちろん適合条件を満たしたとしても、多少の副作用はあり、打った翌日は全身筋肉痛で動けなくなる」

「そうですね」


 それが理由で、土曜は治験の定期健診。翌日曜は、離解屋の定休日となっている。


「では君が最後にMSGK被験薬を打ったのは、いつだったか覚えているかい?」

「確か昨日の……昼前!?」

「そう。君は水曜午前に日葵と戦った際、MSGK被験薬を打っている。今は木曜の昼過ぎだから、絶賛筋肉痛祭りじゃなきゃおかしいはずなのに、どういうわけか今の君は元気一杯だ」


 俺は両手を握り、腕の筋肉に力を込める。確かに……思いっきり力を入れても、全然痛くならない。

 博士は満足そうに頷くと、パソコンを操作し成分表の一部を拡大表示した。


「ここに運ばれてきた直後、水曜夜二十時時点の君の血液が試験管Aだ。そこから十六時間経過した木曜昼十二時時点の血液が、試験管B。AはBに比べクレアチキンナーゼ(CK)と乳酸脱水素酵素(LDH)がやや高い。Bは基準値に収まっている」

「何を言ってるのか、さっぱりなんですけど……」

「つまり君の身体は、昨夜は筋肉痛が始まる兆候を見せていたが、どういうわけか今は収まっている。ちなみに、君が副作用の筋肉痛で寝込んでる時の数値は、試験管Bの二十倍は下らない」

「なんで今回に限って、筋肉痛が起きないんですか……?」

「普通に考えれば、私の定期健診では起きなかった事象が、君の身体に起きたからだ」

「まさか……!?」


 博士はポケットから黒い箱を取り出すと、嬉しそうに白い電流をバチバチ言わせた。


「ど……どうしたんですか? それ」

「メスガキ区長の秘書から借りたのさ。さすが政治家。護身用スタンガンのひとつやふたつ、持っているのが常識らしい」

「いや、絶対おかしいでしょ!」


 俺のツッコミもどこ吹く風。博士は興奮した様子でずいっと距離を詰めてくる。


「私は研究者だ。君みたいに推論を、推論で終わらせる気はない」

「え、ちょっ、まさか」

「ちょーっと、ピリッとしますね~!」


 全身を駆け巡る電気ショックで、俺は再び意識を失った。

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