4-6 再会のインターン

 忘れもしない。今から十二年前、二〇三八年十月。

 俺が部屋に持ち込んだ粘土が原因で、俺の姉――久保紗綾は解離性メスガキ症候群を発症、その日のうちに家出した。当時紗綾ちゃんは十歳、俺が七歳だった。

 これがきっかけとなり、翌年三月に両親が離婚。父さんは海外で仕事するようになり、母さんはしばらくしてどこかの金持ちと再婚した。俺は父方の祖父母に預けられ、高校を卒業するまでそこで育った。

 こう言うと子供を捨てた酷い親だと思うかもしれないけど、俺はそう思ってない。


 だって父さんは紗綾ちゃんのために、自宅地下に隔離部屋を作って、リモートで家庭教師まで付けていた。母さんは家族とは別に無菌化食品を使って、一日三食紗綾ちゃんの食事を用意してた。お金はもちろん手間も時間もかけて、紗綾ちゃんをメスガキ化から守ってたのに……俺が全てぶち壊しにしちまったんだ。

 俺は負い目や後悔で長い事塞ぎこんでいたし、両親もそんな俺に恨みの感情を抱いてしまった事もあったと思う。

 だから俺達家族が、時間と距離を置く事は正しい選択だったと思っている。


 話をインターンに戻そう。

 俺は祖父母に育てられ、高校三年生になり、初めてワカラセ適性試験を受けた。結果は学校始まって以来のレベル☆☆☆スリー離解者ワカラセで、舞い上がった先生が次々と学費免除の難関大学を薦めてきた。でも俺はその全てを断り、渋谷警察署が募集する三ヶ月のメスガキ課インターンに申し込んだ。

 警視庁のメスガキ専門部署で働けば、いつか紗綾ちゃんと再会できるかもしれない。離解者だと分かったその日から、俺はメスガキ課の刑事になろうと心に決めていた。


 まさかそのインターン初日に、紗綾ちゃんに再会するなんて思わずに。


 マジックミラー越し、取調室を覗いた時の衝撃は、今でも覚えている。

 福浦さんが事情聴取していたのは、家出した十歳のままの姉、紗綾ちゃんだった。

 黒髪が茶髪になっただけで、下げ気味に結んだ長いツインテール、透き通る淡褐色ヘーゼルの瞳はあの頃となんら変わらない。

  変わった所があるとしたら――メスガキ特有の、苛烈な煽り声だけ。


「だから私じゃないって何回も言ってるでしょ! このクソザコ刑事☆」


 紗綾ちゃんはバイト先の渋谷MESUガンキで、先輩のメスガキ真綾をハンマーで撲殺した容疑にかけられていた。

 実際は、密室で二人きり家具の組み立て作業をしていたところ、突然メスガキ真綾が発狂。襲われた紗綾ちゃんが必死で応戦していると、真綾は自らの頭をハンマーでカチ割り自害した。

 一連の流れは過去二度起きた『渋谷メスガキ連続暴行自死事件』と同じだったが、どういうわけか真綾の持ってたハンマーから、紗綾ちゃんの指紋が検出された。


 廊下に設置された監視カメラの映像では、現場の作業部屋に行くまでは、社員から渡されたハンマーは二本とも真綾が持っていた。部屋に入った後、そのうちの一本を紗綾ちゃんに渡して作業を開始した事になる。


 この時点では――、

 真綾ハンマーには真綾の指紋のみが付着。

 紗綾ちゃんハンマーには、真綾と紗綾ちゃんの指紋が付着。

 ――となる。


 でも現場で真綾が握ってたハンマーには、真綾と紗綾ちゃんの指紋が両方検出された。

 警察は、紗綾ちゃんが自分のハンマーと真綾ハンマーを交換し、当時話題になっていた『渋谷メスガキ連続暴行自死事件』と同じ自害に偽装したと考えた。


 あの時の紗綾ちゃんは完全にやさぐれていて、警察を全く信用していなかった。警察側も証拠があるだけに紗綾ちゃんを完全に犯人扱いして、誰も彼女の言い分を検証しようとしなかった。

 俺は、紗綾ちゃんの取り調べを希望した。

 それがレベル☆☆☆離解者の力なのか、肌で感じる姉弟の絆なのか。紗綾ちゃんは一目で俺が気に入ったみたいで、他の刑事に比べて明らかに態度が和らいだ。

 紗綾ちゃんはこれまでの不遇なメスガキ人生を語ってくれた。信用してた友達メスガキに裏切られた事、信用ならない顔見知りメスガキにしつこく付きまとわれた事。それで心機一転、新しい職場に来てみたものの、いきなり殺人の容疑者になってしまった事。


「分かった? さーやは元々、アンラッキー☆メスガッキーなの♡ どうせ今回だって、犯人に仕立てられ刑務所に送られるに決まってる。おにーさん、インターン生なんだってね。さーやの言う事なんて信じない方がいいよ。ここのざこざこ☆刑事に、気に入られたければ♡」

「運なんか関係ない。俺は君を信じてる。絶対に、君の無実を証明してみせる!」

「……クソザコナメクジの癖に☆」


 あの日人混みに見失ったように、もう二度と、紗綾ちゃんを見失いたくない。

 メスガキだって構わない。俺は絶対、紗綾ちゃんを助けると心に誓った。


 姉弟と知られると私情を含んだ推理と捉えられてしまうため、俺はそれを隠して福浦さんに相談した。

 最初は懐疑的だった福浦さんも、俺が証拠品から出た指紋が疑わしい事を告げると、渋谷メスガキ連続暴行自死事件の前例もあって協力してくれた。


 結局指紋は、鑑識課に配属された同じインターン生・手嶋の、悪意ある捏造だった。

 手嶋は、現場から押収された二本のハンマーを、指紋採取の際にすり替えていた。これにより真綾は紗綾ちゃんのハンマーを握っていた事になり、当然二つの指紋が検出される。その証拠に、もう一本のハンマーは紗綾ちゃんのモノとされていたが、そこから紗綾ちゃんの指紋は検出されなかった。


 手嶋は作為的なすり替えを否定したが、元々メスガキに対し強い偏見を持っていた事、過去にそういった発言をSNSで垂れ流してた事を、福浦さんが突き止めてくれた。逆上した手嶋は俺にナイフを刺し逃走、今も行方不明になっている。


 瀕死の重傷を負った俺を、福浦さんは那須野博士の元に連れて行った。紗綾ちゃんがその場で脳髄液を提供し精製したMSGK被験薬のおかげで、俺は奇跡的に一命をとり取めたわけだが……おかげで博士に目を付けられ、治験契約を迫られる羽目になった。


 インターン生による証拠捏造、しかもその犯人を取り逃し、冤罪による誤認逮捕までしそうだった警察は、事件の関係者に箝口令かんこうれいを敷いた。

 メスガキ真綾の自死は『渋谷メスガキ連続暴行自死事件』として捜査する事になり、手嶋の捏造や俺が重症を負った事はマスコミに隠ぺいされ、なかった事にされた。

 当然インターンは中止となり、俺の採用も見送られた。福浦さんは上に掛け合ってくれたみたいだけど、なかった事件の渦中にいた俺を、警察が採用するはずもなかった。


 でも俺はそんな事、どうでもよかった。

 そもそもメスガキ課の刑事になる目的は紗綾ちゃんとの再会だったし、それが叶った今、刑事に固執する意味はない。警察組織の裏の顔を知った事も、心変わりに拍車をかけた。

 かといって他になりたい職業があるわけでもなく、俺は謝礼金目当てで、那須野博士の治験に協力する事にした。新入社員の給与とほぼ同額の謝礼をもらう事で、爺ちゃん婆ちゃんに就職したと嘘を吐き、エリア・メスガキで家賃相場の安い渋谷区に引っ越した。


 一方紗綾ちゃんは、約束通り無実を証明した俺にべったりになった。

 何かというと俺のアパートに入り浸るようになり、自分を救ってくれた離解者の俺を、恋愛対象として見ている事は明らかだった。

 ここでもし、運命的な出会いをした離解者ワカラセが実の弟だと知ってしまったら……また不運なメスガキだと、アンラッキー☆メスガッキーに逆戻りしてしまうかもしれない。

 幸い、紗綾ちゃんが俺の姉である事を、俺以外誰も知らない。

 紗綾ちゃんのために刑事になりたいと思ったように、俺が紗綾ちゃんの生きる目的にならなきゃならないと思った。


 高校を卒業しても働く素振りのない俺を心配して、紗綾ちゃんはメスガキ案件専門の探偵――離解屋ワカラセヤを二人でやらないかと、持ち掛けてきた。

 俺もずっとニートのままより、何かやっておいた方がいいと思い直し、今年の春からアパートの玄関に看板を掲げた。

 とはいえ、実績のない俺達に依頼が来る事はなく、ニート生活を満喫していた。


 そんな時、地元商店街で知り合いになった田淵のオッサンから、依頼が舞い込んだ。確かに看板には『よろずメスガキ、離解らせます』と書いてはいたが――。

 まさか初依頼が、因縁の渋谷MESUガンキ絡みの案件だとは、思いもしなかった。

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