4-5 仮眠室のヴァンパイア
「紗綾ちゃんっ!」
俺は目の前のメスガキを強く抱き締めて……と思ったら、頬に固い金属がめりこんでくる。
「ほーお?
『ふざけないで、くださいっ!』
首根っこを掴まれた俺は、凄い力で持ち上げられ、どすんとベッドの上に落とされた。抱きついた軍服幼女――メスガキ区長は壁際まで突き飛ばされ、メスガキ秘書がその背中を支え事なきを得た。
『ホントに……ホントに心配したんですよっ!』
黒髪ロングと涙の雫を躍らせて、恵が俺の胸に飛び込んでくる。頭頂部のキューティクルを撫でながら周囲を見渡すと……ここ、どこだ?
遠くの椅子では那須野博士がノートパソコンを膝に置き、一心不乱にキーボードを叩いている。
「そうか……あそこで俺、気絶して……紗綾ちゃんは!?」
寝起きの頭も、ようやく覚醒し始める。
恵は顔を上げ、泣き顔のままスマホの再生ボタンをタップした。
『紗綾はここにいません。事務所にも家にも帰ってないし、多分スマホの電源切って、どこかに隠れてるんだと思います』
「あれから何時間経ってる!?」
「十六時間三十分。今は君が気絶した翌日、木曜の昼過ぎだ」
ノートパソコンを打ちながら、那須野博士が答えた。
メスガキ区長は立ち上がると、理不尽だとばかりに俺と恵に詰め寄ってくる。
「全く。僕と秘書が刻学院大に駆け付けなければ、今頃和志くんと那須野博士はどうなってたか分からない状況だったんだぞ! それをなんだ、この扱いは☆」
「ど……どういう状況だったんですか?」
恵がスマホを掲げて説明してくれる。
『真司さんから事務所に連絡が入って、紗綾はすっとんで行きましたけど、私はまだ調子が悪かったのでメスガキ区長に応援を要請しました』
更に、メスガキ区長が続ける。
「恵から連絡を受けた僕らが刻学院大に駆け付けると、ちょうど二人のメスガキが、気絶した君と那須野博士を連れ去ろうとしてるとこだった。僕らが捕まえようとすると騒ぎが大きくなる事を恐れたのか、二人は君達を残しさっさと逃げてしまった。仕方なく君ら二人を回収し、こうして区長室の仮眠部屋まで連れてきたってわけだ」
「そ、そうだったんですね……ありがとうございます」
「今は君達の知り合いの福浦刑事が、第二法医学室の現場検証を行っている。シスター・マナの教会にも、じき警察の手が回るだろう。まぁ当の本人は、今頃どこか別の場所に潜伏してると思うけどね☆」
大体の事情は把握した。
恵を身体から離すと、俺は上半身だけ起き上がる。たっぷり寝た分、身体は思ったよりも軽い。
動けるんだったら、やる事はただひとつ。
『ああっ、ダメですよ☆ まだ寝てなきゃ!』
ベッドから降りようとする俺を、恵がしがみついて阻止してくる。
「放してくれ。紗綾ちゃんを探しに行く。いくつか心当たりはあるから、直接行って確かめる」
『それならわたしが行きますから、おにーさんは寝てて下さい!』
「和志くん」
パソコンから顔を上げた那須野博士は、ベッドで恵に抱きつかれた状態の俺に近づくと、いきなり首に注射器を突き立てた。
「えっ、ええっ!?」
「落ち着きたまえ。そんなすぐ見つかるような場所に隠れるなら、紗綾ちゃんも最初から逃げたりしない。今は闇雲に探し回るより、情報を精査する方が先だ」
「そりゃ分かりますけど……なんで俺の血、採ってるんですかぁぁ……」
血を抜かれていく感覚は、気持ちの昂りを抑える効果もあるのだろうか。定期検診で散々採血されてる俺だけど、血液以上に何かが吸い取られてく気がする。
採血が終わると抵抗する気力も失われ、俺はばたんと、ベッドに仰向けに倒れた。
「監察医のレジェンドは『死体は語る』と言ったそうだが、法医学者の私に言わせればそんなもの、無口にすぎる。
シリンダーの中で揺れる俺の血液を見せつけて、博士は興奮気味に語った。
骨抜きならぬ血抜きにされた俺に代わり、恵が抗議の声を再生する。
『だからってどうしてまた、採血するんですか!? ここに運ばれてきた時だって、いの一番におにーさんの採血してたじゃないですか☆』
ええ……気絶してた俺に、そんな事してたの?
「これでも十六時間、我慢してたんだ。若いんだからそろそろ骨髄も新しい血液を生成してるさ。血液は鮮度が命!」
「君はヴァンパイアか☆」
メスガキ区長も、博士の奇行に呆れ顔を隠さない。
「まぁ……生き血が多くを語るってのも、今となっては納得ですよ」
「どういう意味だい?」
「博士は俺と紗綾ちゃんの血液を分析する事で、俺達が
「ええっ!?」
久しぶりに、恵の肉声を聞いた気がする。恵ほどではないにせよ、メスガキ区長と秘書も、驚きで言葉を失っていた。
ただ一人、那須野博士だけは、採血した俺の血を慎重に試験管に移している。
「ずっと前から、ではないよ。ここ一月ばかりの話だ。何故君だけが、MSGK被験薬の適合者足り得るのか。あらゆる可能性をしらみ潰しに探っていたら、二人の血に含まれる遺伝子情報から、君と紗綾ちゃんの母親が同一人物だという事が分かった」
「それが、MSGK被験薬の適合要因。俺だけが恩恵を受けられる、エックス・ファクターだったんですね」
博士はこくりと頷いた。
「MSGK被験薬の主原料は、メスガキの脳髄液。君が今まで接種したMSGK被験薬は全て、紗綾ちゃんの髄液から精製したものだ。福浦刑事が一週間も昏睡状態に陥る劇薬も、紗綾ちゃんの兄弟である君は外敵と見做さない。つまりMSGK被験薬の強烈な副作用は、同じ母を持つ兄弟姉妹であれば回避できる事が分かった」
その結論に至った治験データを見たシスター・マナは、適合条件を完璧に理解した。ここまで分かれば俺達二人の協力は必ずしも必要でないと切り捨て、何も知らない紗綾ちゃんに、その事実を伝える事にした。
これ以上、那須野博士にMSGK被験薬を作らせないために。
『だから紗綾はショックを受けて……でもなんでおにーさん、その事を紗綾に伝えてなかったんですか?』
「それは……」
俺が言い淀んでいると、博士が憐憫の目を向けてくる。
「和志くん……私から話しても構わないが」
「いえ、ちゃんと俺から説明します。恵も、区長も。紗綾ちゃんを説得するために、みんなの協力が必要だから」
忘れもしない、一年前のメスガキ課インターン。
紗綾ちゃんと再会したあの日、あの事件の事を。
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