3-8 リコとマナ

「博士に娘なんていたのっ!?」

『むむむ、むむむ、むすめ☆☆☆???』

「そういえばってレベルじゃないでしょう!?」

「詳しく説明して下さい!」


 いきなりの爆弾発言に、俺達はパソコン上の那須野博士に詰め寄った。紗綾ちゃんは恵のスマホを掲げて迫ってる。

 当の本人は、やっぱ言わなきゃ良かったみたいな困り顔で、カメラから一歩身を引いてる。


『どうどう、落ち着いてくれたまえ。私だって四十年弱、曲がりなりにも女として人生を歩んできたんだ。そりゃ間違いの一つや二つ、あってもおかしくないだろう?』

「開き直ってる……」

「娘だったら、顔見りゃすぐ分かるもんじゃないの!? 名前だって☆」


 俺と紗綾ちゃんが問い詰めると、那須野博士は観念したように一つ溜息を吐き、ぼそぼそと話し出した。


『当時の事はあまり思い出したくないのだが……米国留学時の私は、二十代前半の美人研究員で、毎日のように色欲に狂った男共に追っかけ回されていた」

「自分で美人とか言うなし☆」

『その中にアホみたいに金持ちの男がいてな。そいつが持ち掛けてきた条件で、私は契約結婚する事にした。研究に没頭できる環境を整えてもらうのと引き換えに、子供が生まれたらその子の親権を旦那に譲り離婚、以後、旦那ファミリーが育てるという内容だった』

「うわあ……」


 メスガキ紗綾ちゃんすらドン引きする話に、博士は珍しく、ムキになって言い訳してくる。


『仕方ないだろう!? 私みたいな研究しか能のない家事力ゼロの女に育てられるより、金も愛情もシェルターも持ってる旦那ファミリーに育ててもらった方が、その子も幸せになると思ったんだ。私も離婚した事を公言しなければ、これ以上男に追い駆け回されずに済むし』

「たまにはお子さんに、会ったりしなかったんですか?」

『出産してすぐ、旦那ファミリーは子供を連れ去り私との連絡を絶った。子供の名前すら知らされていない私は当然不満に思ったが、あの子の将来に自分が関わるべきではないと判断し、受け入れた』


 今でこそ妙齢の女性がいなくなり自然消滅したが、博士世代が結婚適齢期だった一〇~二〇年前は、こうした契約結婚が横行していたと聞く。

 資産家の男性が女性に子供を産ませ、子だけ取り上げ母を切り捨てる。女性側も自分の子を高額で養子に出す、妊娠権をオークションに出品する等、出産モラル関連の新法が次々制定されたのもこの時代だ。


「その後私はメスガキウィルス研究でちょっとした有名人になったから、こっちは認識しなくても、向こうは母親の名を聞き認識してるのかもしれない』

「でもシスター・マナはメスガキだよ? その子はシェルターで育てられたんじゃないの?」

「メスガキウィルスはどこにでも潜んでいる。シェルターで隔離し育てても、一瞬の隙を突いて内部に侵入される。感染期の八年間、娘を守り通せる親はほぼいない」


 俺の心の奥底に、ちくりと痛みが走る。


「でもそういう事情なら、娘さんが実の母親を『リコ』とは呼ばないんじゃ? やっぱり、研究員時代の知り合いとかじゃないんですか?」

『確かにアメリカでは、初対面でもファーストネームで呼び合うのが常識だが……そういう意味で私は、『マナ』と呼ばれる研究者に心当たりがないのだよ。もちろん私が認知してなくても、向こうが勝手に研究者仲間だと思ってる可能性はあるが』


 那須野博士がシスター・マナに覚えがないのは本当だろう。それでも向こうは『リコ』と親しげに呼んでいて……娘でも同僚でもなければ、熱烈なファン?

 博士が刻学院大にいる事も知ってた風だし……となると次にシスター・マナに狙われるのは――。


「状況から考えて、シスター・マナは和志から手に入れたMSGK被験薬が、那須野博士の研究だと確信してるはずです。身辺警護にメスガキ課の人間を何人か付ける事もできますが……どうしましょうか?」


 福浦さんの提案に、博士は眉をひそめた。


『よしてくれ。教職員ですら私の存在を知らない者も多いのに、ここで目立ってしまっては、無能教授達の論文ゴーストライターが出来なくなる』

「なんでそんな事、やってんすか……」

『私みたいな客員教授は、基本単年契約だ。多少なりとも私がいる事にメリットを感じてもらわないと、追い出されてしまうからな。それより――こほん』


 口を開けば明かされる悪行の数々を、咳払い一つで取り繕う博士。


『こんなツチノコみたいな生態の私を、部外者のシスター・マナが知ってる事自体解せない。MSGK被験薬は日本で始めた研究だし、彼女が私の娘であれ知己ちきであれ……どうして私の研究だと断言できる?』

「俺と紗綾ちゃんが、週一でここに通ってるからじゃないですかね?」

『だとすると、増々分からない。誰かの週間スケジュールを調べるには、少なくとも二週間の尾行が必要だ。メスガキ花嫁事件は被疑者死亡で解決し、シスター・マナに嫌疑がかかってるわけでもないのに、どうして君達二人を尾行する? どうして彼女は、そこまで君達にご執心なんだ?』


 言われてみれば確かにそうだ。

 被験薬の出所が目当てだったとしても、メスガキ花嫁事件時、俺はシスター・マナの前でクスリを使ってない。離解者の俺がメスガキ同等の力を使うと、いつ気付いたんだ?

 俺がシスター・マナの前でMSGK被験薬を使ったのは、日葵とやりあった今日が初めて……なら、前もって尾行する理由にはならない。

 まさか――。


「もう面倒だから福っち! 教会乗り込んで全員逮捕して! ついでに音楽スタジオも調べてきてよ☆」

「今の状況だと、君ら三人なら逮捕できるけど、シスター・マナはなんら法を犯してないんだよ……」


 紗綾ちゃんの無茶ぶりに、冷静な状況分析と溜息を返す福浦さん。パソコン上の那須野博士に振り返ると、真面目な顔で問いかける。


「とにかく、シスター・マナの次の狙いは那須野博士と見て間違いないでしょう。博士、我々が用意するホテルでしばらく暮らすのはどうですか? ホテルなら警備もしやすいですし、大学側に迷惑をかけずに済みますが……」

『断る。ホテルじゃここの研究設備が使えない。私は動く気ないよ』

「そうですか……では、何か異常があればご連絡お願いします。私はこれから、教会周辺の聞き込み調査に行ってこようと思います」


 福浦さんは立ち上がると「じゃあ、またな」と、踵を返して玄関に向かった。

 俺は慌ててその後を追い、福浦さんを呼び止める。


「午前中これだけ色々あったのに、午後に刑事が周辺の聞き込み調査していたら、それこそ危なくないか?」

「鉄は熱いうちに打てだ。レベル☆☆理会者の俺ができる事なんて、メスガキに話を聞く事くらいだからな」

「でも近所の住民は、シスター・マナの事ほとんど知らないはずだよ?」

「それでも、恵ちゃんが見た音楽スタジオが本当に趣味の部屋なら、教会周辺でロックの一つや二つ聴こえていてもおかしくないだろう? それが教会から聴こえてきたっていうんなら、印象に残ってる人も多いはずだ」

「でも一人じゃやっぱ危なくない? 俺も一緒に……」

「和志は恵ちゃんの傍にいてやれ。俺なら大丈夫、心配するな」


 そう言いつつ、福浦さんは靴を履き玄関を出た。俺が玄関先で「気を付けて!」と声を掛けると、彼は俯き加減で下唇を噛み、軽く頷くだけの返事を見せた。

 まったく。相変わらずというか、なんというか。

 福浦さんは努力が空振りになる事を厭わず、今やれる事に全力で向き合える人だ。

 生来の一本気な気質や正義感がそうさせてるのかもしれないけど、そのひたむきな姿勢を目の当たりにすると、やっぱり俺に刑事は務まらないなあと、しみじみ思ってしまう。


『和志くん』


 リビングに戻ってくると、まだオンライン中の那須野博士に呼び止められた。


『腕時計デバイスを取られてしまったわけだから、予備を渡しておきたい。明日にでも紗綾ちゃんと一緒に、第二法医学室に来たまえ』

「そんな事言って……本当は爆弾でぶっ飛んだ俺の検査がしたいってだけですよね?」

『それはついでだ。私もそうだが、君達もいつメスガキに襲われるかわからない。警戒はしておいた方がいい』

「明日は副作用で全身ガタガタなんで、できれば外出したくないんですけど……」

『なら今夜でもいいぞ』


 俺はベッドを振り返る。紗綾ちゃんと恵は二人でスマホを取り出して、チャットしながら笑い合ってる。

 まだ調子が良くない恵を一人残して、紗綾ちゃんと出掛けるのは忍びない。


「分かりました。明日、恵の体調が戻ったら三人で行きますよ」

『分かった、待ってるぞ』


 約束がまとまると、那須野博士はオフラインになった。

 俺は冷蔵庫を開け残ってる食材をチェックする。今夜は三人分必要だから、買い出しにいかなきゃ無理そうだ。


「ちょっと商店街で夕飯の買い物してくるよ」

『ありがとうございます☆ いってらっしゃい』

「あ、チョコミントもお願い☆」

「ダッツ、もう全部食べたの!?」

「チープなチョコミントは別腹なの♡」


 よく分からん理由の買い物リクエストを受け付けて、俺は一人アパートを出た。

 真司の青果店でお見舞い代わりのメロンを買ってると、ポケットのスマホがぶるぶる震えだす。

 取り出すと、着信は那須野博士から。真司にお金を渡しつつ電話に出た。


『和志くん、すまない。どうやら想定した以上に……』


 一瞬誰だか分からないほど、逼迫した声が聴こえたと思ったら――、


『こんばんは、和志くん♡』


 別の誰かが電話に出る。その声を聞いて、俺の額から血の気がざっと引いていった。

 間違いない、この声は――。

 

「どうしてお前が、那須野博士と一緒にいるんだ! シスター・マナ!」

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