3-6 メスガキ・ネゴシエーション

 俺は周囲の様子を見回した。

 整然と並べられていた長椅子は、日葵の爆破によってささくれ立った大量の木片に姿を変え、折り重なっている。塵埃じんあいと瓦礫にまみれた聖堂は、まるで紛争地域の教会に突如としてミサイルが撃ちこまれたような、惨憺さんたんたる情景となっている。

 その悲惨な舞台でシスター・マナは、大きな十字架を背に檀上に立ち、慈愛溢れる嘲笑を振りまいている。

 那須野博士がマッドサイエンティストなら、このメスガキはマッドシスター。

 その証拠に、恵はシスターの手が離れたというのに、気怠げな表情のままその場に立ち尽くしている。逃げ出す事すらできないほど茫然自失となっていて……クスリか洗脳か、手段を選ばぬ方法で何かされたに違いない。


「手荒な歓迎、痛み入りますよシスター・マナ。だが、このままやりあってたら建物自体がぶっ壊れちまう。ここは一つ、交渉といきませんか?」

「交渉? それは少し都合が良過ぎないかい? 君達は違法紛いの方法で、私達の内部調査をしようとした。内通者が捕まれば爆発物を持ち込んで殴りこみ☆ 今私が警察に通報すれば、離解屋の営業停止は免れないと思いますけど?」


 むちゃくちゃだ。この惨状を、全部俺のせいにしようってのか。

 でも――これはハッタリだ。


「あんたは通報しないさ」

「どうしてそう言い切れるの?」

「俺達を営業停止に追い込みたいだけなら、さっさと恵を警察に突き出せばいい。だがあんたはそうしない。わざわざ囮の車を走らせ紗綾ちゃんを俺から引き剥がし、俺一人制圧するために教会内で爆弾まで使った。なぜか」

「なぜかしら?」


 日葵に視線を向けるも無表情。シスター・マナも、余裕の笑みを崩していない。


「あんたは俺の、メスガキクラスのパワーと治癒力を試したかった。どこまでやればどれくらい回復するのか、その目で確かめたかったんだ」

「ご名答☆ あなたは私が思っている以上に、頭のキレる離解者みたいですね」


 恵を日葵に預けると、メスガキシスターは俺の前に歩み寄った。

 その表情に、目論みを見破られた焦りはない。むしろこれから始まる交渉が、楽しみで仕方ないといった顔だ。


「仰る通り、私はあなたの驚異の回復力の秘密が知りたい。その時計に仕込まれた薬物について教えて下されば、通報はしないと約束するし、恵も帰してあげるわ♡」


 望外な交換条件に思わず頷きそうになるが、ふと思い留まる。

 そういえばシスター・マナは、海外で研究職に就いていた。MSGK被験薬に興味を持つという事は、フェテレータを開発しているのも嘘ではない?


「そいつはいい話だが、せっかくならフェテレータについても情報交換できると有難いね」

「それがあなたの目的って事ね☆ でも妊孕性促進剤なんて、単なるメスガキの噂話。残念だけど、噂話をオマケに付ける事はできないの」

「なら俺も、知らないモノを教える事はできないな。時計はくれてやって構わないが、俺は科学者じゃないし、腕時計の中身について聞かれても答えられない」

「他の人から、その時計を託されてるって事?」

「これ以上は答えられない。俺は契約に縛られているんだ。どうしてもって言うならここから先は話し合いじゃなく、違う方法に頼らざるを得なくなる」

「状況を分かって言ってらっしゃるのかしら☆ ここは私のホームグラウンド、ウチで働くメスガキは十人を超える。あなたが力で離解らせるって言っても、これだけの人数を相手にしなきゃならないんですよ?」

「違う方法ってのは、ケンカやワカラセじゃない。俺は警察にホットラインを持っている。警察をここに呼び寄せる事も可能だ」

「不法侵入した側であるあなたが、自ら警察を呼ぶと?」

「ここに警官が多数押し寄せたら、見られたくないものまで見られてしまうんじゃないか? おまけに、手に入るはずだった時計も警察が没収し、中に残ってる薬液も調べられなくなる」

「あなたも捕まれば、営業停止は避けられないわよ☆」

「だが少なくとも、俺と恵の命は助かり、警察はあんたらに疑いの目を向ける。あんたが時計に残った薬剤だけじゃ分かんないって言うなら、次に知りたいのは開発者だろう? その暴露は俺にとって、一生もんの負債を負う契約違反。だったら口は割らず、不法侵入の罪に問われるだけの警察に捕まった方がマシだ」

「爆破犯が、その程度の罪で終わるかしら?」

「警察だってバカじゃない。通報した俺が本当に爆弾魔かどうか、ちゃんと裏を取るはずだ。俺と爆弾を繋げる証拠がないと分かったら、次は何を調べるかな?」


 シスター・マナは少し考えこむも、やがて「はあっ」と溜息を吐いた。


「これを盗人猛々しいというのかしら……分かったわ。その腕時計と恵の交換で、交渉成立としましょう」


 日葵が恵の手を引いて、俺の元にやってくる。

 腕時計を外して日葵に渡すと、ぐったりしてる恵を置いて去っていった。

 俺は恵を抱き寄せ、その手に愛用のスマホを渡す。


『ありがとうございます、おにーさん』


 早速、録音再生機能を使って、礼を言う恵。愛用のスマホを手にして、少し自分を取り戻したようだ。

 恵は離解屋で働くようになって極度のスマホ依存症から脱却したけど、それでもこれがあるとないとでは精神状態が大きく違う。

 俺は恵をお姫様だっこで抱えると、踵を返した。


「じゃあ、これで」

「そうそう、和志くん♡」 


 日葵から受け取った腕時計のバックルを確認しながら、シスターマナが呼び止めた。


「あなたと紗綾ちゃん、週に一度は刻学院大に顔を出してるわよね? 今度私も、連れて行ってもらえないかしら☆」

「あれは遊びに行ってるわけじゃない。紗綾ちゃんの定期健診で通ってるだけだ」

「大学病院でもないのに?」


 痛いところを付いてくる。「それじゃ」と言い残し、ぼろが出る前に退散しようとするも――俺の背中に、言葉のナイフが突き刺さる。


「ま、そのうち会えるでしょう。リコによろしくね♡」


 俺は後ろを振り返る事もできず、恵を抱いて教会を後にした。

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