3-4 潜入
「恵ちゃん、そっちシーツ持って。お布団きちんと畳まないと、シスターに怒られるよ」
「……」
同室になった八歳くらいのメスガキ・
わたしは無言で反対側に回り込み、言われた通りシーツを持つ。日葵は「真ん中折って~、ぱたんぱたーん♪」と、歌うように畳み方を教えてくれた。
一晩一緒に過ごしただけだけど、よく分かる。この子は一〇〇パーセントの善意で、わたしに接してくれていると。
「何か分からない事あったら、遠慮しないで聞いてね。こんな感じで~、ちょんちょんって、してくれていいから。あ、でも、脇腹はダメだよ!」
日葵はわたしの脇腹を突っつくフリをすると、悪戯っ子のような笑みを浮かべて、朝食の準備に出て行った。
昨日入ったばかりのわたしは、まだ仕事が割り振られていない。きっと明日から日葵と同じように、家事や掃除を手伝う事になるのだろう。
それはもちろんいいのだけど……なんなんだろう、ここのメスガキは。
教会併設の孤児院は、自分の事は自分でやるがルールと聞いたけど、ここのメスガキはそれ以上。みんなが思いやりの精神に溢れている。
すれ違えば会釈と共に挨拶を交わし、誰かが困っていれば声をかけ合い助け合う。さっきの脇腹ちょんちょんだって、紗綾だったらフリなんかじゃなく、絶対やってくるはずだ。
わたしは服に着替えると、ヘアバレッタに仕込んだ小型端末を一回押して、朝の定時連絡を送った。
内容は押した回数で決めてある。一回押しは『経過順調、引き続き証拠を探す』だ。
スマホがない今、わたしが外部と繋がる手段はこれしかない。落として失くさないよう、しっかり後ろ髪に留める。
ここまでの作戦は、完璧なんだから。
昨夜、渋谷の繁華街から数本離れた教会の前で、わたしは傘も差さず雨に打たれていた。しばらくして車で帰宅したメスガキシスターがわたしを見つけ、教会の中に入れてくれた。
メスガキ花嫁事件でわたしは唯一、シスターと鉢合わせしていない。その日のうちにガンキを辞めて寮も出て、紗綾の部屋に転がり込んだから、消息を知ってる者もいない。
そんなわたしが雨に打たれ、ボランティア精神旺盛なシスターの教会前で佇んでいれば、助けられるのは自明の理。
声の出ないわたしがスマホを失くしてしまった事、それが原因で仕事が見つからない事を筆談で伝えれば、放りだされるわけもない。
人の優しさにつけ入る作戦は、正直気乗りしないが仕方ない。こうでもしなければ教会内部は調べようがないし、最悪正体がバレても、ヘアバレッタに仕込んだGPS端末で救助を呼べば、おにーさんと紗綾が駆け付けてくれる。
二人はメスガキ区長に借りてもらった近隣の空き部屋から、教会の出入りを二十四時間監視している。フェテレータに繋がる裏取引があるとしたら、そういう輩が出入りしていてもおかしくないからだ。
あとは潜入役のわたしが上手く立ち回り、フェテレータの証拠を探すだけ。
トイレの場所が分からないフリをして、わたしはまず、教会内部と孤児院の間取りを把握する事から始めた。
* * *
もう一週間も潜入してるのに、わたしはまだ、証拠らしい証拠を見つけられずにいた。
どうしようかと思いながら脚立に上って礼拝堂の窓拭きをしていると、仲の良い姉妹が二人、水を張ったバケツを持ってよたよた入ってきた。
「待ってよ、お姉ちゃ~ん!」
「ごめんごめん。
「うん!」
お姉ちゃんの
紅葉と楓は姉妹で、いつも一緒にいる。紅葉が妹の楓を過度に心配し過ぎるからだろうけど、仲睦まじいメスガキ姉妹なんてここ以外でなかなか見れない光景だ。
ぎこちない歩き方の二人を危ないなと思って見ていたら、案の定楓がつんのめって紅葉が大きくバランス崩した。
「きゃあ!」
わたしは脚立から飛び降りダッシュすると、転びかけの姉妹から、それぞれバケツを取り上げた。
水は零さず済んだけど、姉妹は折り重なるように転んでしまった。紅葉が楓の下敷きになってるから、とりあえず大丈夫だろう。
「いてて……ありがとね、恵」
「恵さん、スゴイ! あんな遠いところから助けに来てくれるなんて! ホントにありがとう!」
会釈で感謝に応えると、わたしは彼女たちの持ち場までバケツを運んであげる。
しつこいくらいペコペコ頭を下げられながら、窓拭きに戻っていく。
どうしてここのメスガキは、こうもメスガキらしくないのだろう。
十数人いる孤児院少女達は、紅葉や楓と同じく、わたしにとても優しい。喋れないメスガキなんて真っ先にからかわれるはずなのに、煽ったりちょっかい出してくる子は一人もおらず、それどころか気を遣ってイエスノー・クエスチョンで話しかけてくれる。
これは教育の賜物? それとも礼拝で培った信仰心? 建物内では絶えず讃美歌やゴスペルが流れていて、この厳かな雰囲気がメスガキ達の心を穏やかにしてるのだろうか?
おまけに孤児院の少女達は力も相当控えめらしく、重いものを運んだり高い場所を掃除するのに、ちゃんと道具を使っている。十四歳以上に見える子も少ない事から、全員メスガキウィルスに感染してる事は間違いないと思うけど……互いに協力して仕事をこなす彼女たちを見ていると、正直得体のしれない気持ち悪さを感じてしまう。
これも、紗綾のメスガキっぷりに慣れてしまったせいだろうか。あの生意気な罵倒マシンガンを思い出すと、少しだけ懐かしい気持ちになる。
建物内は思った以上に広く、日課の家事も孤児院の子と一緒なので、なかなか調査に入れない。それでもシスター・マナの動きは逐一チェックしていた。
シスター・マナは一日の大半を自室に引きこもり、なにやら仕事をしてるようだ。
時々車で外出しては、他のメスガキ支援団体と交流してるらしい。自身もメスガキ孤児院を無償で運用してるあたり、そのボランティア精神は疑いようもない。
口の利けない設定のわたしは、なるべく一人で部屋の掃除をしたりパソコン周りのトラブルを解決したりして、情報を探っていく。シスター外出中に私室に入り、パソコンのデータを一通り見る事ができたが、フェテレータに繋がりそうな情報は一切見つからなかった。
やっぱり調べるべきは……あの地下室か。
教会地下には、あからさまに怪しい観音開きの鉄扉がある。周りの子にそれとなく聞いても、誰も入った事がないらしい。どうやらあの地下室は、シスター・マナが神に祈りを捧げる場所として、孤児院の子達の間で神聖視されているようだ。
当然鍵がかかっていて中には入れないわけだが……なんとか入る方法はないだろうか。逸る気持ちを抑えつつ、わたしはそのチャンスを待つ事にした。
そのまた一週間後。今日はシスターが朝から外出し、夜まで帰ってこない日だ。
わたしは早起きしてシスターを見送る際、大袈裟に彼女に抱きつき別れを惜しんだ。その後日課の掃除を抜け出し地下室に向かう。ポケットの中には、抱きついた際に盗み獲った鍵が入っていた。
ここで暮らし始めて二週間と少し。
どうやらわたしも、メスガキらしさが徐々に損なわれているみたいだった。気をしっかり持ってないと、居心地の良さに潜入捜査の事を忘れそうになってしまう。
メスガキが普通の少女に戻っていくこの現象には、必ず理由がある。食べ物か、飲み物か、あるいは信仰心の芽生えなのか?
いずれにせよ、このままでは孤児院に溶けきって抜け出せなくなる。そうなる前に、多少のリスクを侵してでも確かめなきゃならない。
地下室の前に来ると、頭がガンガン痛くなった。この部屋に入る事は許されないと、わたしの身体が拒否してるみたいに。
それでも鍵を回し、重たい鉄扉を開いた。
踏み込んだ地下室は……防音壁に囲まれた音楽スタジオだった。
* * *
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