2-3 フェテレータ

『フェテレータという名前の海外ドラッグが、お店で話題になった事がありました。離解者なしでもメスガキの成長を誘発するクスリで……でも依存症になりやすく、オーバードーズで発狂死するって」

「そのドラッグを使ったメスガキが、ガンキにいたのか!?」


 俺が喰い気味に質問すると、恵はさらさらと長い黒髪を揺らした。


『いえ。私も噂でしか聞いた事がないので、誰が使ったとかは分かりません。でももし本当にそんなクスリがあって、今回のメスガキ花嫁が使っていたなら……』

「フェテレータか。懐かしい名前だな」


 ぼそりと呟く那須野博士に、福浦さんが反応する。


「博士はそのドラッグについて、何か知ってるんですか?」

「知ってると言うか……私も米国留学中、噂を聞いた事があるだけだ。メスガキ専用の成長促進剤だというが……そんなもの、粗悪ドラッグの宣伝文句でしかない」

『どうしてそう思うんです?』

「理に合わないからだ。ちょっといいかい? 紗綾ちゃん」

「え?」


 那須野博士は立ち上がると、紗綾ちゃんの腕を取って裏返す。真っ白な肌に薄っすらと、青い血管が浮き上がって見える。那須野博士はガーゼで二、三度こすると、おもむろに注射器をぶっ刺した。いきなりの注射に、紗綾ちゃんが「ひっ」と短く悲鳴を上げる。


「もし本当に離解者ワカラセの介入なく、メスガキを成長させる薬が開発されたのなら、もっと大騒ぎになっていいはずだ。その作用機序が書かれた論文が科学雑誌に載れば、ノーベル平和賞どころかその科学者の名前の付いた賞が新設されるだろう。なぜならメスガキを成長させるという事は、月経発来ピリオド――妊孕性にんようせいメスガキの増加を意味する。これはメスガキのみあらず、有り余る独身男性、私のような行き遅れの女性、孫を熱望する老人、全人類の悲願。救世主となるクスリだ」


 那須野博士は現在三十九歳。二十五年前は十四、五歳。

 メスガキ化を逃れた最後の女性世代で、結婚希望者が後を断たず、常にモテ期の人生だったらしい。だからこそ町を歩けば注目され、身の危険から地下に引きこもっている。

 そんな生活も、メスガキピリオドが世に溢れれば解放される。

 子供を欲しがる男達は、メス堕ちリスク承知でメスガキに群がるだろうし、メスガキも結婚はできなくとも、妊娠できればオッケーと考える。ジジババも孫ができて大喜び。先細る未来しか見えない今とは大違いだ。


「でも☆でも! 大々的に発表しちゃったら、悪の組織的な何かに狙われちゃうかも?」

「その通りよ、紗綾ちゃん☆ とてもよい着眼点ね♡」


 紗綾ちゃんの採血を終えると、那須野博士は裏声でメスガキちっくに褒め称える。


「天然痘を撲滅した十八世紀と違い、二〇五〇年現在は、巨大バイオメディカル企業が幅を利かすグローバル・メスガキ・ジェネレーションだ。長きに渡るメスガキパンデミックも、製薬会社にとっては金の成る木。お守りみたいなワクチンや、ミリ単位の成長を誇張して喧伝するサプリ、健康食品が飛ぶように売れている。ボロいビジネスを根っこから刈り取る本物は、ヤツらにとって死神の大鎌。大手製薬会社の後ろ盾でもない限り、デマのレッテルを張られ潰される。もちろんクスリの開発者も、社会的物理的に抹殺されかねない」


 新型メスガキウィルスが流行してはや二十五年。ワクチン、特効薬、成長剤なんてのは、出ては消えてを繰り返している。もちろんそのどれもが、事態収束に繋がってない。

 四半世紀に及ぶメスガキパンデミックで人類が得た教訓は、現状を受け入れ、どう社会を回すか。それだけだ。

 それでも不確かなクスリや手術に手を出し、後遺症、副作用に苦しむ人は後を絶たない。


『ではもし、那須野博士がメスガキウィルスを死滅させる薬を開発したら、どうやって世に知らしめるんですか?』


 恵の質問に、博士は邪悪な笑みで両手を広げた。


「私のような善良でまっとうなゴーストプロフェッサーは、テレビで人類未来を説くよりも、地下で爆弾仕込んでた方が性に合う。人知れずクスリを量産し、勝手にバラまく事にするさ」

「ウソッ!? それじゃお金も入ってこないし、有名にもなれないじゃん☆」

「富や名声なんてのはね、紗綾ちゃん。後からついてくるものさ。そんなもん最初から欲しがってちゃ、人生も人類もお先真っ暗。私はね、夢中になれる事を夢中でやってりゃ幸せなんだ。他の事はぜーんぶ、後で考えりゃいい」


 それが博士の本心か虚栄か、俺には分からない。それでも穴倉みたいな研究室を見渡せば、あながち間違いではないと思えてくる。

 実際、博士のMSGK被験薬は個人で開発してるみたいだし、俺以外の治験者を探す素振りもない。でっかい企業に出資してもらって、もっと大々的に研究した方が効率いいだろうに……そうしないのも、企業の思惑に自分の研究を振り回されたくないからだろう。


「おっと、話を元に戻そう。君の質問は、私がフェテレータを紛いモノだと判断した理由だったよな?」


 恵が頷くと、博士は足を組み替え話し出す。


「フェテレータの開発者は、企業と組んで金儲けするでもない。魂込めた論文書いて査読に回すわけでもない。鼠小僧よろしく陰でバラまいたりもしない。以上三点、いずれの方法も取らない理由はただ一つ。その開発者は、フェテレータにまともな効果が期待できないと知っているからだ。せいぜい違法ドラッグとして闇に流通させ、小遣い稼ぎにするしかない」

『確かに。誰にも文句を言わせない効果が示せるのであれば、堂々と発表すればいいですよね』

「おまけにメスガキ花嫁の胃液血液毛髪からも、怪しい物質は検出されなかった。フェテレータの真偽を保留にしたとしても、彼女の暴行自死がドラッグによるものとするには根拠が乏しい」


 福浦さんは立ち上がり、那須野博士に一礼した。


「ありがとうございました。また何か分かったら、ご連絡お願いします」

「福浦刑事は、どこか行くのかい?」

「こういう時こそ現場百回。フェテレータの件も含めて、ガンキのメスガキに聞き込み調査行ってきます」

「おお、いいねぇ。さすがメスガキ課のエース、レベル☆☆ツー理会者ワカラセだ。いってらっしゃい」

「和志と紗綾ちゃん、恵さんもありがとな。気を付けて帰ってくれ」


 爽やかなイケメン笑顔を残して、福浦さんは一人部屋を去って行った。


「じゃあ俺達も……」

「いいや、君達はダメだ」


 流れで帰ろうとする俺達を、那須野博士は呼び止めた。


「和志くんは採血他健康診断。紗綾ちゃんは髄液採取。恵ちゃんは帰ってもいいけど……どうする?」

『あの……待ってる間、汚部屋の汚片付け☆ しててもいいですか?』

「そりゃ構わないけど、家に帰らなくていいのかい?」


 恵は顔を真っ赤に染め、恥ずかしそうな声を再生した。


『私、ガンキは住み込みバイトでして……おにーさんに責任取ってもらおうかなと思って♡』

「ちょっと恵! まさかアンタ、カズくんちに転がり込む気じゃないでしょうね!」


 紗綾ちゃんがツッコむも、恵は答えず俺に抱きついてくる。

 慌てて引き剥がそうとする紗綾ちゃんだけど、背後に忍び寄った那須野博士が注射器を突き立て、全身麻酔してしまう。


「さぁ、紗綾ちゃんはこっちだよ~」


 ぐったりする紗綾ちゃんを抱いて、博士は奥の検査室に連れていく。俺と恵は、その後ろ姿を呆然と見送った。


 メスガキより怖いもの、それは大人の女性なのかもしれない。


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