1-5 離解らせ

「どういう事?」

「解離性メスガキ症候群は、感染以前の記憶を解離――全て失ってしまうが、稀に家族の写真データが入ったスマホを持ったまま失踪するメスガキもいる。六歳以前の子供にスマホを買い与える親なんてそうそういないから、本当に稀だけどね」

「え!? それじゃアンタなんで……」


 後ろから紗綾ちゃんに顔を覗き込まれ、恵はブンブンと首を振る。振ったところでほっぺとおでこ、長い黒髪から覗く小さな耳の火照ほてりが、冷める事はない。


「恵がスマホを買い与えられていた理由は、おそらく感染前から大きな声で喋れなくて、スマホで録音再生するコミュニケーション方法が必須だったからだと思う。恵にとってスマホは他者との接点そのものであり、家族と自分を繋げるボイスログ。依存症にならないわけがない」


 自らの頬に手を添え、放熱を誤魔化しきれない事に気付いた恵は、諦めたようにこくんと頷いた。


「解離性メスガキ症候群は発症前の記憶を消去する。でもスマホのデータを消す事はできない。発症前に吹き込んだ自分の声を聞けば、自分がどういう環境で育ってきたかも分かるだろう」


 恵のスマホは両親が授けてくれた口であり、愛情の証でもある。親に向けて喋った言葉に、どんな返事だったかは分からずとも、声のトーンがそれを教えてくれる。

 スマホは在りし日の恵。失った記憶そのものなのだ。


「だが、メスガキは煽りが信条。尽きる事のない罵倒嘲笑マシンガンだ」


 恵はびくんと身体を震わせて、両目いっぱいに涙を溜めている。それは会ったばかりの俺に、心の奥底を見透かされた恐怖からじゃない。

 脳に巣食うメスガキウィルスが産む罵倒を放つ事もできず、その小さな身体で必死に耐えてるからだ。


「元々内気な少女がメスガキ化したんだ。いくら脳が汚い言葉を叫んでも、そんな事言えないと心の中では思っている。その相克が彼女を傷つけ、やっぱり小声でしか話せない。だからスマホに頼るしかなかったし、それでもさっきの二人組みたいに、コミュ障だとからかうメスガキも大勢いただろう」

「あの……も、もう……」


 恵は、小さな声で呼び掛ける。

 その表情からメスガキ特有の嘲笑は消え、潤む瞳に懇願の色が見て取れる。

 今、恵の脳内でメスガキウィルスが抑制され、解離性メスガキ症候群が減退、離解わからせられているのだ。


「もう、それ以上……言わない、で」

「恵はすごいよ。今までよく、がんばったね」

「あ、の……」

「うん」

「な……さい」


 恵はふらふらと俺に近付いてくる。屈んで話を聞こうとするも、両手が首に回って泣きつかれてしまった。

 真っすぐ伸びる黒髪を優しく梳いていると、恵は俺の耳元にそっと唇を近付けた。


「生意気言って、ごめんなさい……」


 消え入りそうな謝罪と、女児の嗚咽。今この瞬間、恵はメスガキではない。

 こうして抱き合ってるとよくわかる。抑圧されていた成長が、小さな少女の全身を駆け巡っている事に。

 離解らせられたメスガキは、数か月分の成長が一気に押し寄せる。背が伸び骨が太くなり、顔つきも少しだけ大人びる。

 抱き合う俺達の傍ら、紗綾ちゃんは拗ねたようにそっぽを向くだけで、何も言わなかった。

 しばらくそのまま抱き締めていると、恵は泣き止み、ゆっくり身体を離した。俺は彼女にスマホを差し出す。


「今頃真司も、声にならない叫び声を上げメスガキの煽りに耐えている。お願いだ恵、あいつの居場所を教えてくれ。メス堕ちする前に、助けてやらなきゃならない」


 恵はぼそぼそとスマホに録音すると音量を上げ、画面をタップした。

 決意に満ちたメスガキの声が再生される。


『私に案内させて下さい♡ おにーさんのお友達は、屋上のメスガキチャペルにいます☆』


* * *

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る