第40話 終結
セレナの魔法が発動すると同時に、ゴルドザの背後にも巨大な魔法陣が現れた。
それと同時に、セレナの目の前の魔法陣から、黒い奔流が放たれる。
『ブォォォォォォン』
不気味なうなり声のような音とともに放たれた闇色の帯が、ゴルドザを飲み込み、そのまま背後の魔法陣へと吸い込まれていく。
『ギャリィィィィィィィッ!』
「グギャァァァァァッ!!!」
金属を削り取るような不快な音とともに、ゴルドザの絶叫が広場に響き渡る。
黒い奔流は相変わらず不気味な音をたてながら、濁流のように流れ続けている。
セレナが使用したこの魔法は、発動して終わるタイプではなく、集中している間、発動し続けるタイプのようだ。
「なんだ……これは……」
魔法の射線から、かろうじて外れていたグレンには、目の前を通過していく黒い奔流の正体がよく見えていた。
それは、黒褐色のイナゴのような生物。その大群だった。
猫ぐらいの大きさがあり、頭のほとんどの部分が口で、その口の中には大量の牙が生えているものを、イナゴと表現して良いのかは疑問だが。
およそこの世の生物とは思えない、禍々しさがそこにはあった。
思わず目を逸らしたくなるような、この醜悪な生物に、グレンは心当たりがあった。
生物を冒涜したような構造で、見る者に嫌悪感を抱かせるような生物群。
「コイツは……魔界の生物か……」
デーモン族が住むと言われている、この異世界とは、また別の次元に存在するとされる魔界。そこに存在するモンスターと、ゲーム内で何度か戦ったことがある。
魔界の生物は、そのどれもが禍々しい姿をしており、気の弱いプレイヤーの中には、見ただけで気絶した者もいたという話だ。
このイナゴは、まさに魔界の生物そのものだった。
その魔界の生物の大群を召喚するのが、セレナの使った古代語魔法だったようだ。
魔界のイナゴは、ものすごい勢いで飛翔し、その道中にいたゴルドザを鋭い牙だらけの口で噛みちぎり、そのまま後ろの魔法陣へと消えていく。
金属を削り取るような音は、魔界のイナゴの顎と、ゴルドザの黒い鎧が接触している音だった。イナゴの数が多すぎてゴルドザの姿はシルエットくらいしか見えないが、時折、火花のようなものが散っているのが確認出来る。
魔界のイナゴの顎をもってしても、あの鎧を傷付けることは出来ていないようだった。だが、ゴルドザは全身をあの鎧で覆っているわけではなかった。
「ガァァァァッ!!! ギアァァァァァッ!!!!」
耳を覆いたくなるような絶叫が続いていた。
ゴルドザは、姿隠しの王冠を被るため、頭を覆う兜はしていなかったのである。
「……くっ」
苦悶の声をあげながら、セレナがその場に座り込んだ。
それと同時に、魔法陣から湧き出ていた黒い奔流がついに途切れた。
しばらくして、召喚されたイナゴがすべて魔法陣に吸い込まれると、セレナが展開していた複数の魔法陣が消え去った。
グレンたちが、ゴルドザのいた場所に改めて視線を送る。
そこには、頭の部分が存在しない巨大な黒い鎧が、広場に立ちつくしていた。鎧に覆われていた部分は、原型をとどめている部分もあるようだが、頭部は骨ごとかじりつくされてしまったようだ。
巨大な鎧は、しばらくはその状態を保っていたが、やがて、関節部分から大量の血を流しながら、ゆっくりと後ろに倒れ、ずしんと地響きを立てた。
一呼吸置いて、周りから歓声が沸き起こる。遠巻きに様子を見ていた鬼影隊の隊員たちだ。
「お兄ちゃん……終わったんだよね?」
「ああ、なんとかな……」
シアの問いかけに答えたあと、グレンは精根尽き果てたように、仰向けに倒れ込んだ。
「……すまん、シア。動けるなら、ユウを呼んできてくれ。まだ隊長を治療中なら、俺は後回しでいいけど、回復魔法かけてもらわないと一歩も動けそうもない……」
草むらに大の字で横たわりながらシアに声をかける。
わかった、とシアが答え、その場から離れていく足音が聞こえてきた。
寝転んだグレンの視界に、昼の鮮やかな青から淡いオレンジ色のグラデーションに彩られた空が飛び込んできた。いつの間にか、夕暮れが近づいてきたようだ。
息を整えながら、しばらく魅入られたように空を見つめていると、アイリスが近くに歩み寄ってきて、グレンを覗き込んで来た。
「お疲れ様です、大丈夫ですか? ずいぶんとぼーっとしちゃってますけど」
「ああ……なんていうか……」
グレンは、アイリスに返す言葉を考えた。
異世界に来てから半日もたっていないはずだが、いろんなことがありすぎた。思ったことや、感じたことを言葉にして、何かを伝えたかったのだが、グレンの口から出たのは結局、こんな言葉だった。
「空が……広いな、って」
グレンの言葉を受けて、アイリスも空を見上げる。
急速に薄暗さを増していく空を見ながら、ほんとですね、と短く答えた。
その時、周りから鬼影隊の声が聞こえてきた。周辺の森に隠れていたゴブリンたちを追い払っているようだ。
ゴルドザが倒された時から、すでにゴブリンたちは逃げ出し始めていたようで、戦闘にはなっていないようだ。
「……これで、なんとかクエストクリア、かな。ゴブリン退治なんて、いかにもゲーム序盤のクエストって感じだったのに……とんでもない高難易度クエストだったな」
大きなため息とともに、グレンが愚痴をこぼす。
「そういえば……」
グレンの言葉に何かを思い出したのか、アイリスがどこかへ歩いていってしまった。
行き先を確認したかったが、首を上げるのも一苦労だったので諦めた。足音の方向的に、ゴルドザがいた方へ向かったようだ。
「やっぱり……指輪なんかは紐に通して、まとめてネックレスみたいにして身につけていたんですね。指にはめてたのは、腕輪とかですね。冒険者たちから奪ったにしては、サイズの違いをどうしてるのかと疑問だったのですが」
アイリスは、ゴルドザの死体の側でいろいろと調べているようだった。
「そうか。人間用のアクセサリーが、あんな大きな体にそのまま身につけられるわけないもんな」
「でも……そうなると、ひとつ気になることが」
不思議そうにつぶやくアイリスの声が聞こえてきた。
さくさくという草を踏みしめる音が聞こえてくる。アイリスが、数歩だけ、グレンの方に近づいたようだ。
「この鎧は、いったい誰があつらえたんでしょうか?」
空を見上げながら、睡魔の訪れを感じ始めていたグレンの思考が、その言葉を聞いて覚醒した。
「……確かに。あの鎧のサイズは、明らかに人間用に作られたものじゃない」
「ええ。最初から、ゴルドザの体の大きさに合わせて作られたものです。じゃあ……誰がそんなことを?」
ゴブリンがあんな鎧を作れるはずがない。だとすれば、人間かドワーフあたりの鎧職人、それも希少金属を加工できる技術を持っている者ということになる。ゴブリンが、そんな職人に依頼出来るだろうか?
「……やれやれ。ボスキャラを倒して、はい終わりっていうわけにはいかないか」
ゆっくり体を起こし、剣を杖代わりにしてようやく立ち上がるグレン。
「ゲームだったら、あとは報酬を――」
グレンはそう言いながら、身体をアイリスの方に向ける。
目に飛び込んできたのは、ちょうど立ち上がろうとしているゴルドザの頭のない死体の姿だった。
まるで糸で吊られた操り人形のような、不自然な動きで立ち上がったその黒い全身鎧には、赤く光る魔法文字が鎧全体にびっしりと浮かび上がっていた。それは無機物な鎧の血流のごとく、赤く脈動するように明滅していた。
グレン以外にも、その光景を目にしている者たちは何人かいたのだが、誰一人として声をあげることが出来なかった。
あまりにも現実離れした光景に、なによりまず、自分の目を疑うような状況だったからだ。
だが、グレンは、なぜだか以前にも似たような光景を見たことがあるような気がした。存在しないはずの記憶のフラッシュバックに襲われ、身体が硬直していた。
ボタボタと鎧からこぼれる血の音に気付き、アイリスがゆっくりと振り返る。彼女が、目の前にある現象を理解する前に、その鎧は手にした巨大な棍棒を頭上へと振り上げる。
アイリスの視線が、その動きを追うように頭上へと向けられると同時に、掲げられていた棍棒が振り下ろされた。
その瞬間、硬直していたグレンの脳裏に、一瞬で様々なイメージが流れた。
(焦り、後悔、呆然とする少女、炎、死、巨体、恐怖、握りしめた剣の感触、絶叫、頬を伝う血――)
一瞬で駆け抜けた大量のイメージが、ひとつの強い思いに集約した。
(絶対に、助ける)
「【
――シュピィィィ…………ンンンン…………
静寂に包まれた森の広場に、澄んだ高音が響き渡った。
反射的に目を閉じていたアイリスが、恐る恐る目を開けていく。
棍棒が目の前に迫っていたが、そこで止まっていた。
状況がわからずアイリスが戸惑っていると、固いものがこすれるような音がした。
音の方をよく観察すると、ゴルドザの着ていた鎧の中心に、垂直に線が入っていた。その線に沿って、ゴルドザの身体の左右が少しずつ縦にずれていったのだ。
左右のずれが大きくなるにつれ、全身の魔法文字が光を失っていく。
そのうち、バランスを崩したゴルドザの身体が、真っ二つに割れるように、左右に倒れていった。そして、その傷口からは血の代わりに灼熱の炎が吹き上がり、一瞬で二つに分かれたゴルドザの身体を包みこんだ。ものすごい高温で、鎧の中に残っていたゴルドザの死体を、みるみる灰にしていった。
あっけに取られていたアイリスだったが、はっと我に返りグレンの方を見る。
グレンは両手で持った剣を振り下ろした体勢で立っていた。
何かの戦技を放ったようだったが、力を失ったように、そのまま前に倒れ込んでいく。
慌てて駆け寄ったアイリスが、グレンの身体を受け止めた。
グレンの耳に、アイリスが何かを叫んでいる声が届いたが、言葉の意味を理解できぬまま、意識は深い闇の中へと引きずり込まれていった。
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