第20話 決闘
ゲームの中では、身長1mほどの幼いキャラクターと2m超えの大男とが、互角に殴り合ってる光景など、よくあることだろう。ただ、グレンが今いるのは異世界とはいえ現実である。当然、ゲームの世界とは違い、物理法則というものが成り立つ。
格闘技において体重の差というのは、戦闘力に大きな影響を与える。公平を期すために細かく階級が分けられるほどだ。
グレンもそのことは良く知っていて、勢いで決闘することになったとはいえ、体格差が歴然としている相手と戦うなど、普段ならば絶対に受けて立とうとは思わなかっただろう。
だが、決闘を申し込まれた時、グレンは不思議と勝てるような気がした。体格も筋肉量も相手の方が遥かに上なのは明白だが、何故かヴァルクスは戦闘経験をあまり積んでいなさそうだなと感じたのだ。
どうしてそんな考えに至ったのか、グレンが考え込んでいると、
「おい」
ヴァルクスがグレンだけに聞こえる声で語りかけてきた。
二人は酒場の壁にもたれるように並んで立っていた。他の者たちが決闘場所を空けるため、テーブルや椅子を片付けるのを待っているところだった。
少し離れたところで、グレンの仲間達がこちらを心配そうに見つめている。セレナですら魔導書を読むのをやめて、グレンの様子をじっと窺っているようだった。
ちなみにアンナは、騒ぎを聞きつけ文句を言いに来た店主にペコペコ頭を下げている最中だ。
「悪いことは言わん。大人しく俺に殴られておけ。抵抗しなければ、一発で気絶させてやる。多少痛い思いをするだろうが、この先、ドラゴンなんかと戦うことを考えたら今のうちに戦線離脱しておいた方が身のためだ」
腕を組み、まっすぐ前を見据えたまま、低く響く声で語りかけてくる。
「英雄なんて持ち上げられて良い気分になるのは分かるが、連中にいいように利用されるだけだ。いいか。研究所の連中は、いまいち信用できない。あまり、大人を信用しすぎると痛い目にあうぞ」
暴力的な男なのかと思ったが、どうやらさっきからの一連の行動は、グレンを英雄としての戦いから遠ざける意図があったようだ。
無愛想で終始不機嫌そうな顔をしていたので怖い人間かと思っていたが、案外、優しい性格なのかもしれない。
「心配してくれてありがとう、とは言っておくよ。大人しく殴られるつもりはないけどね」
「ふん、生意気な小僧だ」
「はいはい、皆さん、準備いいですかー。半ば無理矢理ですけど、お店の許可ももらったので、ちゃっちゃとやっちゃいましょう」
アンナが少し疲れたような表情で戻って来た。
ちょうど片付けも終わったところで、酒場の真ん中辺りに適度な広さの空間が出来ていた。
「じゃあ、ヴァルクスさんとグレンさん、こっちに来てください。はい、ではお互い向き合って。いいですか? 当たり前ですが、お互い武器の使用は禁止。どちらかが気絶したりしたら、その時点で終了。それ以外でも、私が止めたらすぐに決闘を中止すること。これはあくまで、英雄の強さをヴァルクスさんが実感するためだけのものですから、勝敗を決めたりするのは二の次ですからね。あと、一応聞きますけど、やっぱりやめようっていう気になったりしてないですかね? 今なら全然間に合いますけども?」
「いいからさっさと始めてくれ」
アンナの最後の抵抗も、ヴァルクスに一蹴される。
アンナがすがるようにグレンに視線を送ってくるが、苦笑いを浮かべつつ首を振った。
「悪いが、本気でやらせてもらうぞ。強いと噂のお前があっさりやられたとなれば、他の子ども連中の目も覚めるだろうからな」
ヴァルクスが殺気すらこもった目でグレンを睨み付けてきた。
日本の街中で同じような状況になったら、たぶん震え上がって何も出来ないだろうな、などと冷静に考えている自分に気付き、少し驚く。
グレン自身、なぜこうも落ち着いていられるのか、不思議に思いながらヴァルクスの視線を受け止めていた。
「では……はじめ!」
『バシィィィンッ!』
「おおっ!?」
一瞬のことだった。
アンナのかけ声が響くと同時に、不意打ち気味にヴァルクスの渾身の右ストレートがグレンの顔面に向けて放たれた。
丸太が振り回されたかのような重い一撃は、ヴァルクスの大きな体からは想像しがたい素早い動作で繰り出され、避けるのも受け止めるのも不可能かと思われた。
だがそれは、軽い感じで上げられたグレンの左手によって、あっさりと受け止められていた。
「……ぐっ! う、動かん!」
ヴァルクスの大きな右の拳を、グレンの左手が鷲掴みにしていた。
ヴァルクスの様子から察するに、鷲掴みにされた右手を振り払おうと力を込めているようだが、ビクともしないらしい。
グレンの方はというと、直立不動の姿勢のまま、ピクリとも動いていない。右ストレートを受け止めた瞬間ですら、その場から一歩も動いていなかった。
「これは驚いた……。さすがは英雄。こうも一方的だとは思いませんでしたが」
ハインツが軽く口笛を吹きながらもらした感想が、グレンの耳にも届いた。
実は、グレン自身が今の状況を一番驚いていた。
アンナのかけ声が響く数瞬前、決闘に備え、ヴァルクスに意識を集中し始めた頃から妙な感覚に包まれていた。
研ぎ澄まされた感覚、とでもいうのだろうか。ヴァルクスの呼吸や、筋肉の緊張、わずかな体重移動や、視線の動き。
普段なら気付きもしないような細かい情報が次々に頭に入ってくるのだ。そして、それらを統合していくと、ヴァルクスが次に何をしようとしているのかが理解できた。
『開始の合図と同時に不意打ち気味に仕掛けてくるつもりだ』
そして、その読み通り、アンナの声と同時にヴァルクスが動く。
『右のストレート。狙いは顔面』
見ている者には、グレンがものすごい反射スピードでヴァルクスの拳を受け止めたように見えただろう。
しかし、グレンには、ヴァルクスの視線や身体の前動作から、どのような攻撃がくるのかが予測が出来ていた。グレンにとっては、いつどのタイミングでどんな攻撃をするか、ヴァルクスがわざわざ宣言してから攻撃してきているように感じられたのだ。
だから、拳が飛んでくるであろう場所に、あらかじめ左手を置いておいた。そのくらいの感覚だった。
「馬鹿なっ……こんな細い腕の……どこにこんな力がっ」
ヴァルクスほどの筋骨隆々の男が渾身の力を込めているにもかかわらず、グレンの左手は微動だにしない。
グレン自身、それなりの力を入れている感覚はある。だが、それは小学生相手に腕相撲をしてるくらいの感覚だった。
「ぐうぅ……このぉっ!!」
ヴァルクスが無理矢理手を引き剥がそうと、全身に力を込めようとする。
最大限の力を引き出すため、ほんの一瞬だけ腕の力が抜ける。
その瞬間すら、グレンには手に取るように分かった。
「ぐあぁぁぁあぁっ!!」
一瞬の隙を逃すことなく、ヴァルクスの右手を真上に逸らすようにひねり上げる。手首の関節を極められ、ヴァルクスがひざまずいた。
それは異様な光景とも言えた。筋骨隆々の大男が、ごく普通の体格の少年によって、為す術なく押さえつけられているのだ。
「そっ、そこまで!」
あっけにとられていたアンナの声が、ここにきてようやく響いた。
アンナの声にグレンがハッと我に返る。今まで経験したことがないほど意識を集中していたためか、自分が自分でないような感覚に陥っていた。
「あっ、わ、悪い!」
グレンが慌ててヴァルクスの右手を解放する。
「手首……大丈夫か? なんていうか、俺も今、自分の力に驚いてるっていうか……加減とかがその、わからなくて……」
グレンが、右手首をさすりながら痛みに顔をゆがめているヴァルクスに声をかける。つい先ほどまで戦っていたことが嘘みたいなグレンの平然とした様子に、ヴァルクスは驚きを隠せない様子だった。
「あれだけ力を込めていたのに……息一つ乱れてないのか……」
「どうですか、ヴァルクスさん。見た目は普通でも、我々異世界研究所が魔法と錬金術の粋を集めて作り上げた強化ホムンクルス体。そして、開発した私たちが引くくらいの勢いでゲームに熱中し、毎日プレイヤースキルを磨いてきた異世界のみなさん。この二つが合わさった、人類の最終兵器ともいえる『英雄』の力。納得していただけましたか?」
アンナの自慢げな、しかし聞いていた英雄たちにはちょっと引っかかる物言いに、ヴァルクスは唸るような声で答えるしかなかった。
「ああ、完敗だ……確かに、これは、俺たちが命をかけて守るだけの価値があるだろう」
ヴァルクスが負けを認めたことで、驚きの声や歓声とともに、まばらな拍手があちこちから上がる。その音に混じり、聞こえよがしに舌打ちをするロベルトの姿が目に入ってきたが、今は考えないでおくことにした。
一通り騒ぎが収まった頃合いで、アンナがパンパンと手を叩き、皆の注目を集める。
「さぁさぁ、予定よりずいぶんと時間が経ってしまいました。早速ですが、魔術師ギルドの方に移動しましょう。そろそろ転移装置の準備が整ってる頃ですので、急いで行きましょう」
手荷物をまとめ、いそいそと酒場の出入り口に向かったアンナだったが、酒場の出入り口で怒りの表情を浮かべ仁王立ちしている店主と目が合い、ものすごい勢いで反転して戻って来た。
「あっ、その前に! 酒場のテーブルと椅子を元に戻してから行きましょうね!」
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