第17話 エルナリードという世界

「今から500年ほど前、君たちの世界では50年ほど前のことになるな。500年前の人類は、君たちでいう弥生時代頃の文明レベルでね。他種族に比べあまりに貧弱で、大陸の辺境で細々と暮らしていた。ある時、精霊の声を聞こうとしていた巫女が、不思議な信号を感じ取ったのだ。それは、次元の壁を越えて伝わってきた君たちの世界のテレビ放送だったのだよ。巫女が電波を受信したなんていうと、危ない感じに聞こえるかもしれないが、それはまさに我々にとっての福音となったのだ」


 研究所の正面玄関までの道中、アンナに任せておくのは不安だという理由で、エレノアがエルナリードの歴史を簡単に説明してくれていた。

 アンナはというと職員のマニュアル本を読みながら、英雄の一団の最後尾を歩いていた。エレノアに、今の知識量では減給だと言われ、今になって必死に復習しているのだ。隣にはセレナが、これまた魔導書を読みながら歩いているので、なにやらシュールな光景が広がっている。


「当時の人類はそれを神のお告げだと思い込んだ。時折巫女が感じ取る、かすかな映像や音声を必死で研究し、次第に日本語を理解していったのだ。学問、農業、科学技術から芸術文化にいたるまで、我々はテレビから学んだといって良いだろう。実際、ほんの数百年程度で人類の文明は飛躍的に進化した。テレビからもたらされる情報の解析こそが最重要課題となった人類は、異世界からより多くの情報を得るための研究に注力したのだ。そして今から200年ほど前、その研究は飛躍的な進歩をとげることになった。なぜだかわかるかい?」


 エレノアの周りに集まっていた、ゲームの設定好きな英雄たちが一斉に考え始める。


「200年前というと、西暦2000年代ですよね……あっ、もしかして……インターネット? それとも携帯電話?」


 ちゃっかりその集団に加わっていたアイリスがいち早く答えた。


「おや、優秀だね君は。そう、そのふたつが登場したことで、異世界との通信環境が大きく変化した。それまで微弱すぎて受信するのに大変な労力が必要だった信号が強化され、一方的にもたらされる映像や音声を覗き見るしかできなかったのが、こちらから任意にアクセス出来るようになったのだ」


 終始冷静なエレノアの言葉に、わずかばかり熱がこもったように聞こえた。しかし、すぐに元の状態に戻ってしまう。


「もっともこれは口で言うほど簡単なものではなかった。召喚術や念話といった魔法の応用で受信することは出来ていたが、信号をこちらから送信するとなると並大抵の難易度ではなかったのだ。技術を確立するまでには、数多くの偶然と、口にするのもはばかられるような非人道的な手段も取られたと言われている」


 沈痛な表情を浮かべ、押し黙ってしまうエレノア。地球ですら科学の発展には犠牲はつきものなどという言葉があるくらいなのだ。この世界の人類が支払ってきた犠牲の大きさが、エレノアの表情からうかがい知れるようだった。

 黙ってしまったエレノアの代わりに、マニュアル本を開いたままのアンナが話し始めた。


「異世界間通信が確立された当初は、通信の精度も速度も、それはそれは酷いものだったんですよ。にもかかわらず、ほんの数秒間、異世界との通信を確保するだけで、人的資材や魔法的なリソースなども含めて国家予算レベルの資金が必要だったとか。異世界間通信の黎明期には、通信が繋がった数秒間でとにかく集められるだけのデータを集めて、通信を切ったあとで集めたデータを時間をかけて解析するなんて方法が取られてたんですよ。そのため、国家予算の大半を注ぎ込んで得たデータが、とある個人サイトの大量のポエムで、それが原因で国が滅んだなんていう悲しい事件もあったくらいでして」


「悲惨だ……」


「そのサイト作った人も、まさかそんなことになってるなんて想像もしてないよ……」


「嫌な事件だったね……」


 アンナの説明に、あちこちから沈痛な言葉が漏れ聞こえる。特に年齢層の高い英雄たちほど、深刻そうな顔をしていた。


「嘘かホントか分かりませんが、その滅んだ国の末裔たちの間では、そのポエムが『滅びの詩』として今も語り継がれているとか」


『やめてあげてよ!』


 聞くに堪えない話に、思わず悲鳴まであがる始末。


 幾分和らいだ空気になったことで、エレノアが気を取り直したのか、再び語り始めた。


「ここ100年ほどで我々の技術も大きく進歩した。君たちの世界もまた、ネット社会と呼ばれるほど、それを取り巻く環境が大きく変化してきた。知っているかい? 君たちの世界に溢れる電波。こちらの魔術師たちは、それをよく『音』として例えるのだが、もはや君たちの世界は24時間休むことなく、大音量の雑音を鳴らし続けているような状態になっているのだよ。その『音』は年々大きくなり、こちらの世界との通信も容易になってきた。お陰で異世界通信技術はここ数年だけでも大きく発展してきているのだよ」


 グレンも自分のスマホを持っているし、小学生でも持っている子がいるくらいだ。今やなくてはならないアイテムとなっているが、あれら全てが通信している間、ずっと音を鳴らすような物であったとしたら、うるさいどころの騒ぎではないだろう。

 エレノアが言うように、異世界の壁を越えて鳴り響いていると言われても納得できる話だった。


「君たちの世界との通信は我々にとって重要で、大変なものであるのだ。それは今現在も変わらない。世界情勢の変化と技術の進歩によって、ネット通信こそ確立されたものになったが、それでも常時というわけにはいかない。ネットゲームの企画開発は我々で行っているが、運営や管理は、ほとんどが君たちの世界の会社に外注している状態だ。重要な案件の時にだけネット会議を開き、我々がクライアントとして依頼や指示を出しているという状態なのだ。それ以外はほとんどメールなどで済ませている」


「それでもネットゲームの運営が成り立つんですね」


 ふと浮かんだ疑問が思わずグレンの口をついた。


「これも君たちの世界の発展のお陰でね。今や会社の起業からクレーム対応まで、ありとあらゆることがアウトソーシング出来る時代なのだ。こと、ネットの活用という面では、君たちよりも我々の方が熟達しているといってもいいだろう。なにせこちらは、人類の存亡がかかっているのだからね。さて、そろそろ正面玄関だ」


 エレノアが言い終わると同時に、広いホールのようなところまで来た。大きな扉があり、それが外への出入り口なのだろう。


「私はまだ用事があるので、同行するのはここまでだ。あとはアンナが案内や説明をしてくれるはずだが……大丈夫か?」


「うん、大丈夫。完璧。まーかせてっ!」


 冷や汗を流しながらも、何故か自信満々で答えるアンナ。100%ハッタリだろうが、不思議となんとかなるような気がしてくるのはアンナの人徳であろうか。


「さて、英雄諸君。せっかく異世界に来たというのに、このような研究所ではさぞや実感が持てなかったことだろう。この扉の先には、君たちが思い描いたような本物の異世界が広がっているはずだ。数々の冒険を経験したり、見たこともない不思議な光景を目にしたり、中には恐ろしいモンスターとの戦いを経験する者もいることだろう。そんな異世界の生活を存分に楽しんで、堪能してきてくれ。そして――」


 芝居がかったエレノアのセリフ。冗談めかして言った最後の言葉が、その軽い口調とは裏腹に、重く、グレンの胸に響いた。


「――そのついでに、この世界を救ってくれ」

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