第15話 適性:Sランク

「そして、複素解析の観点から、魔法陣をリーマン面として捉え――」


 永遠に続くかと思われた魔法陣の講義が、急に止まった。


 とうの昔に理解の範疇を超え、今頃、頭から煙が出てるのではと半ば本気で疑いかけていたグレンは、改めて少女の方を見た。

 魔法使いの少女は、しゃべるのを止めた口の形のまま固まっていた。そして、最初に見た時よりは、若干、顔が赤くなってるような気がした。

 この少女の表情を読み取るスキルがあるとして、おそらくまだそれは1レベルしかないだろうが、それでも彼女が今、恥ずかしがっているのだろうという予想はついた。


 それを物語るように少女はゆっくり前を向くと、まるでこの部屋に来た時に戻ったかのように、ジッと手に持った魔導書に目を向け微動だにしなくなってしまった。


「あの……えっと、どうかした?」


 不安になってグレンが聞いてみても、少女は無視するかのように俯いたまま。ただ、冷たく無視をするというよりかは、どう答えを返して良いかわからない、といった雰囲気ではあった。


「……ごめん」


 少女の声を初めて聞いた時より、もっと小さくなった声量だったが、かろうじて謝罪の言葉を聞き取ることができた。


「……つまらなかったでしょ、こんなマニアックな話」


 鍔広の魔女帽子を目深に被り直した少女から、聞きようによっては泣き声にも聞こえる声がこぼれた。


「あ、あぁ、気にするなよ、気持ちは良くわかるからさ。俺もよく、シアに――あ、俺の仲間の一人なんだけど、そいつにコンビネーション技の話とか熱弁しちゃってさ。この技は硬直が3フレームだから強いとか、この技は判定が強いけどボタン入力の猶予が4フレームしかないから練習しろとか、そういう話をしては呆れられてるんだよ」


 とはいえ、さすがにさっきの情報量は常軌を逸していると思わずにはいられなかったが、それは言わないでおくことにした。


「それに、その、つまらないってことはなかったよ。おかげで魔法陣に対する理解が深まったというか。まぁ……難しい理論とか方程式とかは正直、よくわからなかったんだけど……。

 要するに、火を意味する魔法の文字を、魔法陣の中にどう並べるかで意味を強調する……ちょうど、漢字の『火』を上下に並べると『炎』になるみたいな。さらに、文字の角度や、魔法陣の回転数なんかも『火』と関連するようなものにして、何重にも意味を強調していく。そうすることで魔法の威力を高めたり、呪文を短縮したりするのが魔法陣の役割、ってこと……だよな?」


 正直、話の意味を本当に理解出来ているか不安だったので、最後の方になるほど声は小さくなっていった。

 しかし、話を聞いた魔法使いの少女はというと、驚いたように目をわずかに見開き、再び、グレンの方に向き直った。

 しばらく、何かを言いかけては止めるという時間が過ぎたが、ようやく言葉を紡いでくれた。


「……意外。ちゃんと聞いてたんだ」


「まぁ、最初の方に話してくれた部分で、かろうじて理解出来そうなところだけね……。ずいぶんと薄い理解だとは思うけど……俺、数学とか苦手でさ。関数がどうのとか言われ始めると、聞いてはいたけど、内容はさっぱりで……」


 苦笑いを浮かべるグレンを見て、魔法使いの少女は、初めて笑顔とわかる表情を浮かべ、


「呆れられて聞き流されてると思ったから……ちゃんと聞いて、理解しようとしてくれてたことが…………嬉しい」


 それだけ言うと、また再び前に向き直り、今度はページに顔を埋めるかのような近さで魔導書を読み込み始めた。

 それが、どういう意味を持つのか、考えを巡らせようとした時――


「やぁやぁ、申し訳ない。ちょうど王宮の方に行っていたものでね。待たせてしまいましたね」


 ノックの音とともに、そう言いながら、50歳くらいの中年の男性が入って来た。ロマンスグレーの髪を綺麗に撫でつけ、清潔そうなイメージを受ける。中肉中背で優しそうな表情を浮かべており、所長というよりは気の良さそうな用務員のおじさんといったところか。


「どうも、この研究所の所長を務めます、レオン・コスタと申します。以後、お見知りおきを」


 レオンと名乗った男性は、ソファーに座ると同時に深々と頭を下げつつそう言った。


「あ、えと。グレンです」


「……セレナ」


 とりあえず、自己紹介の流れかと思い名乗ったが、ここで初めて魔法使いの少女の名前を知ったことに気づく。


「グレンくんと、セレナくんだね。詳細はそこのエレノアくんから聞いたよ。まさか、Sランク適性の者が2人も同時に召喚されるとはね。この研究所始まって以来のことだよ。召喚のスイッチを押したアンナくんは、よほどの豪運とみえるね」


「あの子は昔から運だけは良かったので。だからこそ、スイッチを押す役に抜擢されたと言っても過言ではないかと。所長……こちらが適性試験の資料となってます」


 レオン所長の後から部屋に入ってきていたエレノアが分厚い紙の束をレオン所長に手渡した。そのまま、レオン所長が座るソファーの後方へと回りこむ。


「確か、君とアンナくんは同郷だったよね。フリムトヴェイルだっかな?」


「エールベルンです、所長。今は、それより……」


「あぁ、そうだったね。すまない、えーっと、資料によると……」


 レオン所長は胸ポケットから老眼鏡のようなものを取り出し、資料に目を通していく。


「ふむ……速報値では二人ともSランクなのは間違いない、と。ひとりはダブルSの可能性もあるんだって?」


「はい、今、詳細データを解析中ですが……可能性は高いかと」


「なるほど、訓練用人形とブースの壁を破壊……。ここに来る途中に少し覗いてきたが、見事な大穴が開いていたね。かなり頑丈な壁だったはずだが……」


「あの……すみません」


 大人二人の会話に不安を覚えたグレンが恐る恐る問いかけた。


「やっぱりその、弁償とかさせられる感じですかね? 返済のために、この世界のために働け的な……」


 その問いかけに、レオン所長が優しい笑みを浮かべながら答えた。


「ははは、いやいや、そんな心配は無用だよ、グレンくん。むしろ、私たちは壊してくれた方が嬉しいくらいだ。君たちが強大な力を秘めた英雄であることが証明されたわけだからね」


「それを聞いて安心しました……。てっきり、怒られるのかと。じゃあ、なぜ俺たちだけ呼ばれたんです?」


「慣例として、適性がSランク以上の英雄が召喚された時は、私が直接会うことにしているんだ。君たち英雄は召喚が成功したというだけでも、こちらの世界では宝ともいえる存在なのだが、Sランクともなればその価値は計り知れないのだよ」


「さっきから気になってたんですけど……そのSランクというのは? 『エルナリードオンライン』には、そういうランク付けのような要素はなかったですよね。こちらの世界での強さの基準、みたいなやつですか?」


 グレンは先ほどから気になっていた疑問をレオン所長にぶつけてみた。すると、それは私からと、所長の背後にいるエレノアが答え始めた。


「ここで言うランクとは、召喚された精神体の異世界適性と、憑依した肉体との相性の良さを表している。このランクが高いと、それだけその肉体が持つポテンシャルを引き出しやすくなるんだ。君たちに分かりやすいようゲーム的に説明するならば、『最大レベルが普通より高いキャラクター』と表現すればいいかな。仮に人の強さの限界が100レベルだとしても、君たちはその限界を超え、さらに強くなれる可能性がある、ということだ」


 時折、身振りを交えながら、エレノアが丁寧に説明してくれる。


「ゲームを通じてこの世界のことを学んでもらい、モンスターとの戦闘をたくさん経験した高レベルプレイヤーを召喚する。そして、こちらの世界の住人では対処が難しい問題を解決してもらう。我々は『英雄計画』と呼んでいるが、まだまだこの計画は始まったばかりでいろいろと問題も抱えている状態だ。だがそんな中でも、すでに各地で大きな成果をあげている英雄たちがいるのだ。それまで倒せなかったモンスターを倒したり、膠着状態だった異種族との戦争を好転させたりしているのだよ。BランクやAランクの英雄が、だ。Sランクの英雄ともなれば、文字通り世界を救うほどの活躍が期待できる」


 少し興奮気味に語るエレノアだったが、ここに来て急に声のトーンが落ちた。顔の表情も心なしか陰りが見える。

 初めて見たときからずっと難しい顔をしている印象のエレノアだったが、今はそれに加え、悲哀に満ちた顔をしていた。

 しばらく沈痛な面持ちで押し黙ったあと、意を決したように再び話し始めた。


「この世界は、竜族や巨人族、それに魔族といった人間より遥かに強大な存在がたくさん存在する。こちらの世界の人類には、そういった存在に太刀打ちする術がなく、多くの命が犠牲になってきた。私たちにとって君たち異世界からの英雄は、そういった脅威に唯一対抗できる、人類を救ってくれるかもしれない貴重な存在なのだよ」


 それまで黙っていたレオン所長が、エレノアの後を継ぐように熱のこもった声で二人に訴えかけてきた。


「ゲームのフルダイブ体験だと思ってやってきた君たちに、こんな事を頼むのは筋違いだと重々承知した上でお願いしたい。命の危険がないのは保証しよう。ゲーム感覚で良いし、面白半分でも良い。飽きたのなら、それ以後、召喚に応じなくても構わない。放課後や休日の空き時間、数時間でも数分でも構わない。どうか――」


 レオン所長が、テーブルに擦り付けんばかりに頭を深々と下げながらこう言った。


「どうか、この世界の人類を救ってはくれないだろうか」

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