第14話 魔法使いの少女②
「魔法陣の文字が……分かるのか?」
驚きの声をあげるグレン。彼にとっては、文字どころか、ただの模様にしか見えないのだが、目の前の少女はそこに明確な意味を読み取っているようだ。
「文字の意味が分かるようになったのは、こっちの世界に来てから。ゲームをしてる時は、ただの記号や模様にしか見えなかったものが、こっちに来て急にその意味を理解出来るようになったの。でも私は、この世界に来る前から、ゲーム内の魔法陣には数学的な法則性があると思っていたわ。それは決して、デザイナーが適当に描いただけでは成し得ない、複雑な、それでいて芸術的ともいえる関数や方程式が用いられて描かれてたから」
どこかうっとりとした表情で語る少女。友人にネットゲームを布教してる時の自分みたいだと思いつつ、グレンは引き続き少女の言葉に耳を傾けた。
「このゲームの魔法陣には、ゲーム以上の何かがある。何十年、何百年と魔法的、数学的に研鑽を重ねた果てに描かれたとしか思えないような法則性や機能美があった。それがずっと不思議だった。だからこそ、私は『エルナリードオンライン』のゲームに興味を持った。ほんの気まぐれから始めたゲームだったけど、魔法陣のデザインを通して、私はこの世界に魅了されたの。今になってようやくわかった。こちらの世界の魔法使い達が、気の遠くなるような時間を費やし研鑽を重ねた魔法陣を、そのままゲームに使用していたんだもの。惹かれて当然だわ」
グレンにとっても、その話はとても納得のいくものだった。グレンの場合、魔法陣のデザインではなく、ゲームに出てくるモンスターの動きから、同じような印象を抱いたことがあったからだ。
ブレスを吐く前のドラゴンの喉の膨らみ。戦斧を振るうミノタウロスの筋肉の動き。巧みなフェイントを交えてくるダークエルフの剣戟。数え上げたら切りがないが、ゲームとは思えないリアリティを、グレンは多くの戦いの中で感じ取っていた。
普通のゲームなら、パターン化された動きによって、現実では起こりえない挙動をするものだが、エルナリードオンラインに出てくるモンスターの動きは、現実のものとしか思えないほどモーションがリアルで、パターンが豊富だった。
人的、時間的、金銭的な制約があるゲーム開発において、およそ考えられないほどのリソースが、モンスターの挙動に割かれているのは明白で、プレイヤーの間では長年の謎となっていたのだが、それがゲームの売りなのだろうと納得されていた。
「だから私、フルダイブのテストと称して、こっちの世界に召喚された時も驚かなかった。あんな緻密で、精巧で、美しい魔法陣が、フィクションなわけないって思ってたから。自分でも馬鹿げてるとは思いながら、でもずっと信じてた。このゲームの世界は――」
――それは、グレンもまた、ゲームに熱中しながら脳裏をよぎっては、あり得ないと自ら否定し、そして、否定しきれない……したくないことだった。
「――必ずどこかに実在している、って」
自分でも荒唐無稽な考えだと思っていた。子どもが思い描くような幼稚な考えだ。
異世界が実在していて欲しい。異世界に行ってみたい。ゲームの中のような世界で、めいっぱい冒険がしたい。
誰かに話せば、きっと笑われるだろう。だから誰にも話せなかったし、話さなかった。
しかし、アプローチの仕方の違いはあれど、同じようなことを考えていた人間が自分以外にもいたことが、グレンには嬉しかった。
「俺も、もし実在するなら、このゲームの世界へ行ってみたいって思ってた。いつまで子どもみたいな夢を見てんだって自分でも思ってたけど……でも今、その夢が叶ってるんだな」
そう思うと、今さらながら興奮で手が震えてくるようだった。
「私も。現実世界のデザイナーが描いた偽物の魔法陣じゃなく、本物の魔法使いたちが作り上げた本物の魔法陣を研究したいって、ずっと思ってた。だから、今、この魔導書を読むことが何より楽しいの」
少女はそう言って、手にした古めかしい魔導書に目を落とした。
「さっきから聞いてると、ずいぶんと魔法陣に関心をもってるんだな。なにか特別な思いでも?」
グレンがそう聞くと、少女は魔導書に描かれた魔法陣を指でなぞりながら答えた。
「父が……数学者なの。その影響か、こういう幾何学的なものに子どもの頃から惹かれてて。小さい頃、よくノートにいろんな幾何学模様を描き込んで遊んでた」
「へぇ、じゃあ子どもの頃から、そういう素養があったんだ」
相変わらず、抑揚の無い小さな声からは感情が読み取れない。魔女帽子の陰から時折見える横顔も、ずっと無表情なままだ。だが、ここ数分の会話を経て、その声や顔から、わずかながらの感情を読み取れるようになった気がした。
「それなら、あれとか知ってる? ヴァルヴェインの必殺技、超広範囲高火力のブレスを吐くときに出てくる三つくらい魔法陣が重なってるやつ。あれにもちゃんとした意味があるのかな?」
――それは、他意のない言葉だった。
無口だった少女が、打ち解けるように話し始めてくれたことが嬉しくて。同じように異世界に興味を持っていた人物と話せたことが嬉しくて。ただ、もっと会話を続けたくて。そんな思いから出た言葉だった。
だが、グレンはこのことをすぐに後悔することになる。
少女の無表情な顔がグレンの方に向けられる。わずかに読み取れるようになった少女の感情は、歓喜だろうか。それとも――狂喜か。
「あぁ……多層型魔法陣、ね。まだ魔導書を全部読み解けていない状態だし、あくまで現時点での私個人の魔法知識による考察で、素人の貴方にもわかるようかみ砕いた表現になるけど……。
まず、多層型魔法陣の各層が生成するエネルギー場は、量子場理論におけるゲージ場やスカラー場の概念に似ているわ。これらの場は、重なり合うことで干渉パターンを形成し、ドラゴンの炎にある種の特性を付与するものと考えられる。例えば、一層が炎の温度を制御し、もう一層が炎の速度や方向性を調整するといった具合ね。この場合、各層の相互作用は、リッチフローのような幾何学的流れを用いてモデル化できると考えられるから、ドラゴンの炎が持つエネルギー密度や渦度を計算することが可能になるはずよ。
次に、魔法陣の多層構造化はトポロジカルな量子計算におけるアニオンのように、異なる次元での状態の重ね合わせを利用できると予想できる。この原理を用いると、ドラゴンの炎は単なる熱エネルギーの放出ではなく、さまざまな量子状態の重ね合わせを表現することができるから、この重ね合わせにより、炎は非常に予測不可能な攻撃を可能にするの。
さらに、これらの効果は複素解析、特にリーマン面上での多価関数の理論を魔法学的に用いることで――」
先ほどと同一人物とは思えないほど早口で話し始める少女。
知識や知見、考察などを溜め込んだ人間が、それを存分に放出できる場を提供された時に、いったいどんな状態になるかを、グレンは身をもって体験することとなった。
大いなる後悔と共に……。
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