第9話 エレノアの講義

 まさかと笑い飛ばす者。やっぱりと納得顔で考え込む者。戸惑いと興奮で、にわかに室内がざわつく。


「静粛に。君たちが驚くのも無理はない。だが、考えてみてほしい。君たちは全員、先ほどまで市販品のヘッドマウントディスプレイを装着して、簡素なベッドに寝かされていただけだっただろう? たったそれだけで、現実と区別がつかないほどのバーチャルリアリティを体験できると思うか?」


「じゃ、じゃあ、俺たちは、その強化されたホムンクルスってやつに憑依してる幽霊っていうことになるのか?」


 さっきとは別の男が不安そうな声をあげる。


「わかりやすくいうなら、そう表現してもいいだろう。正確には『異世界から精神体だけを召喚し、こちらで用意したホムンクルスの肉体に定着させた』ということだ。昔は肉体ごと召喚する方法も模索されたようだが、物理的に次元の壁を突破するのは難易度が桁違いでね。マナで出来た精神体だけならば、次元の壁を越えることが可能だったのだ。もっとも、理論上可能というだけで、実現するのは至難の業だったがね」


「要するに……魂が抜き取られたってことですか? それって、元の肉体は大丈夫なんでしょうか?」


 ローブ姿の気の弱そうな男性がエレノアに尋ねる。

 確かに、グレンもその点は気になるところだ。ゲームの中の世界に行ってみたいと夢見たことはあるが、それで元の体が死んでしまって、二度と戻れなくなるというなら話は変わってくる。


「そこは安心して欲しい。精神体だけ召喚したと言っても、完全に元の肉体から切り離されたわけじゃない。君たちの精神体は今もなお、次元の壁を越えて元の肉体と繋がっている。本来、肉体と精神体は強く結びついていて、ここにいる君たちの精神体も、強力な磁石に引っ張られるように、今も元の肉体に戻ろうとしているのだ。精神体をゴムの様に引き延ばして、こちらの世界まで引っ張ってきている状態、といえばイメージしやすいだろうか」


 エレノアが後ろにあるホワイトボードのようなものに図を書きながら説明する。まるで学校や塾で授業を受けているようだ。


「君たちの本来の肉体に似た状態のホムンクルスをあらかじめ用意おき、精神体をこちらの世界に召喚する。そして、精神体にこちらの世界のホムンクルスが自分の肉体であると誤認させることで、こちらの世界に精神体を定着させているのだよ」


「でも、本来の肉体に近いホムンクルスを用意するっていっても、どうやって? 事前に私たちの身体データを調べたんですか?」


 20代後半くらいの女性が手を上げつつ、エレノアに質問する。


「肉体と精神体の結びつきというのは実に難解なものでね。身長や体重、その他身体的特徴がまったく同じものを用意したとしても、召喚した精神体がそのホムンクルスに定着するとは限らないのだ。召喚した精神体が、用意したホムンクルスに定着するかどうかは、現状、まったくの運と言って差し障りない状態だ。だから我々は、様々なパラメーターを有した一万体以上に及ぶ強化ホムンクルスを用意した上で、召喚に臨んでいるのだよ」


『一万体!?』


 何人かが驚きと共に声を上げるのを耳にしながら、グレンはこちらに来て最初に目覚めた時の事を思い出していた。


「そうか、最初に目覚めた部屋にあった大量のカプセル。あれ、全部にホムンクルスの肉体が入っていたのか……」


 グレンが目を覚ました部屋だけで数百。移動中も似たような部屋がいくつもあるのを目にしたが、あの様な部屋がきっとこの建物には何十部屋とあるのだろう。とてつもない規模といえる。


「驚くのも無理はないが、召喚を確実に成功させるにはまだまだ足りないくらいだ。男女の違いはもちろん、身長や体重。さらには、そのホムンクルスに移植する魔法や戦技も膨大な種類におよぶ。魔法や戦技といったスキルの移植は肉体の育成段階から施さないといけないので、召喚が成功した肉体に後から移植するという方法がとれない。だから、それらの組み合わせを考えれば天文学的な数になる」


 エルナリードオンラインは、多くのプレイヤーが自由に自分の分身を作り上げることができ、その自由度の高さが大きな魅力のひとつとなっていた。グレンも、長い間ゲームで遊んできたが、自分と全く同じキャラクターと出会ったことはなかった。


「しかも、仮にそれらのパラメーターがピッタリと合う肉体があったとしても、その肉体に召喚された精神体が定着するとは限らないのだ。今回の召喚で言えば、全国にテストプレイ会場を設置し、招集したプレイヤーは全部で二百人以上いた。だが、実際に召喚に成功したのは、ここにいる20数名だけ。実はこれでも多い方なのだよ」


「あの」


 女性化してしまったショックのせいか、今まで大人しく黙り込んでいたユウが、おずおずといったぐあいに手を上げて質問する。


「ボク、女性の身体に入っちゃってますけど、本当は男なんです。これはいったい……?」


 ふむ、と物珍しげにユウをじっと見つめたあと、エレノアがあくまで仮説だがと前置きした上でこう言った。


「召喚装置は肉体と精神体の相性を最優先して選別するようになっている。少ない例ではあるが、ゲーム内では戦士系をメインにプレイしていた者が、魔術師系に調整されたホムンクルスに召喚されたこともあるので、現実世界の状態がそのまま反映されるとは限らないようだ」


「要するに、ユウさんは男性でいるより、女性でいた方が自然ということになりますね」


「…………」


 アンナの正直すぎる補足に言葉を失うユウ。確かにこっちの方が違和感ないかも、とは言えないグレンであった。


「あぁ、ゲーム内で異性のキャラクターで遊んでいた者は……残念ながらその再現は諦めてくれ。このユウ氏の例はかなり特異なものなのだから。もしかしたら、知り合いと一緒に召喚されて、知り合いの本当の性別を今日初めて知ったという者がいるかもしれないが……今回は大丈夫そうだな」


 エレノアのなんとも表現しがたい表情を見るに、過去の召喚でことがあったのだろうということは容易に想像出来た。

 現実の世界でも、ネットゲームにおけるオフ会では、ことがあるのだ。


「彼女、いや、この場合、彼と呼ぶべきかな。彼のように自分の性別が変わっているともなれば、自分が異世界に召喚されたと信じられるだろうが、ほとんどの者はそうではあるまい。体に古傷でもあれば、それが消えていることに気付くかもしれないのだが……。あぁ、古傷の場所が顔の場合は除外してくれ。今の君たちの顔は、一時的に幻覚の魔法で元の世界の顔を再現しているだけだから、傷も魔法で再現されてしまうのだ。そのうち調整するが、今は物理的に変わっているわけではないので、手で触ったりすると違和感を感じるかもしれない」


 そこまで説明したエレノアが、手にしていたペンを置き、改めて部屋にいる全員を見渡しながら言う。


「ともあれ、君たちが異世界に来たという実感が持てないというのは、肉体と精神体の親和性を高めるうえで障害となる。そこで、ここが異世界であるということを君たちに理解してもらうためにも、ひとつテストを受けてもらおうと思う」


「テスト……ですか?」


 エレノアの近くにいた何人かの者が、思わず聞き返す。


「そうだ」


 エレノアが言い放った次の言葉。それは、彼女の冷静で事務的な物言いとは対照的に、この場にいる者たちの感情を大いに揺さぶるものだった。


「本物の魔法や戦技。使ってみたいだろう?」

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