第3話 四角い空
「ええっ!? フルダイブシステムのテストプレイ!?」
「しーっ! 大きい声を出すなよ、
「ご、ごめん、お兄ちゃん……。噂には聞いてたけど、まさか本当にあるとは思ってなかったから、びっくりしちゃって……」
「ははは、美結ちゃんが驚くのも無理ないよ。その場にいたボクだって大声上げそうになったんだから」
夕暮れ時。小高い丘の上にある学校の校門から、多くの生徒が溢れ出てくる。
ここは中学校と高校が隣接して建てられており、登下校時になると通学路は学生たちで埋め尽くされる。
まだ新年度が始まったばかりで、初々しさを残す学生たちが多い中、住宅地へと続く長い下り坂を、男女三人の学生が仲よさげに談笑しながら歩いていた。
その両隣に並ぶ男子生徒の名札には、二年生を示す青色のラインが引かれていたが、こちらは高校の校章が付けられている。平均的な背格好をした男子生徒には『
「いいなぁ、フルダイブのテストに誘ってもらえるってわかってたら、私も討伐戦の打ち上げに参加したんだけどな……。たまになら、お母さんに頼んでゲームの時間を延長できたのに……」
太ももの辺りで両手で持っていた学生鞄が、美結の不満を表すように大きく揺れていた。
それは美結でなくても、『エルナリードオンライン』のプレイヤーならば誰しもが悔しがる内容であった。
ゲームの運営会社が、フルダイブ、つまり五感のすべてをゲーム内に投影できるシステムを秘密裏に開発し、そのテストをしているという噂は、実は前々から囁かれていたのだ。
ネット上では、テストに参加したことを匂わせるような書き込みが発見されては数時間後には消される、ということが何度か起こっていて、その信憑性を巡ってプレイヤーたちが議論を交わすことがあった。
蓮も、一度だけそういった書き込みを見たことがあった。
それは、他のテスト匂わせの書き込みとは一見なんの関係もない、ただのイタズラ書きのようにも見えた。
短い文章で、内容も子どもじみており、誰一人信じることなく、無視されていた書き込みだった。
ただ、蓮は――何故そう思ったのか蓮自身も不思議なのだが――その書き込みがテストプレイのことを指している気がして、ずっと頭の片隅に引っかかっていたのだ。
曰く――
『エルナリードオンラインの世界は、実在している』
「大丈夫だよ。美結ちゃんがそう言うと思って、ちゃんとグレン、ユウ、シアの3キャラでテストプレイに参加しますって、アンナさんに言っておいたから」
「えっ!? ホントに! 私も参加できるの!?」
不思議な書き込みを見た時のことを思い出していた蓮だったが、美結の驚きと喜びの声で現実に引き戻された。
悠の言葉を聞き、しょんぼりした表情から、ぱぁっと花開くように明るい表情になる美結。その様子は、どこか小動物を思わせ微笑ましかった。
蓮は『エルナリードオンライン』に美結を誘った時、まさか彼女がここまでゲームにはまり込むとは思いもしなかった。
『エルナリードオンライン』には、戦闘コンテンツ以外にも、ゲーム内に自分の家を所有して飾り付けたり、料理や園芸などの生産系コンテンツも豊富で、美結はそういった方面で楽しみを見出しているようだった。
特に園芸に関しては、蓮が知らない間に周りから一目置かれるような存在になっており、聞くところによると『
「ああ、ゲームマスターのアンナさんが、よく一緒に遊んでる人がいるなら一緒に参加してもいいって。だから、美結も参加出来るように手配しておいたんだよ」
「ボクらは幼なじみだし、リアルでも三人で行動することが多いからね。出来るだけ普段と同じ状況を再現する方が、テストの成功率が上がるらしいよ? なんのことか良くわからないけど」
「わぁ、楽しみ! 明日の土曜日、予定入れてなくてよかったぁ」
程なくして、3人は自分たちの住むマンションの近くまで辿り着いた。
3人は学校から1キロほどの距離にある団地に住んでいたのだが、美結が中学生になってからは、『エルナリードオンライン』の話題でいつも盛り上がっていたので、登下校の時間が一瞬で過ぎるようになっていた。
4棟の大きなマンションが「ロ」の字型に東西南北に建っており、蓮は南側、悠と美結は北側のマンションに自宅がある。
「それじゃあ、蓮。明日、遅れないようにね」
「お兄ちゃん、絶対、遅刻したらダメだからね」
二人に念を押されつつ別れの挨拶を済ませると、蓮は1人で南側のマンションへと向かう。
マンションに囲まれた中心部には公園があり、蓮はいつもこの公園を横切って帰っていた。一足早く帰宅した小学生たちが無邪気に遊んでいる姿を、懐かしそうに、そしてどこか寂しげに見つめつつ歩く。
ほんの5、6年前まで、悠と美結を連れて自分もこの公園で遊んでいたのを思い出す。
美結は今よりもっと泣き虫だったし、悠は姉2人妹2人に囲まれて育ったせいで、おままごとや人形遊びの方が好きという子どもだった。ひとり活動的だった蓮は、半ば無理やり2人を連れ回し、鬼ごっこや戦隊モノのヒーローごっこなどをして遊んでいた。
今にして思えばワンパクな子どもだったと思う。公園には比較的大きめなジャングルジムがあって、その一番高いところに登って、剣に見立てた棒を振りかざし仁王立ちするのが好きだった。
この公園で一番高い場所に立つことで、自分が一番偉い存在になった気がしたのだ。そこまで怖くて登れなかった悠と美結が、すごいすごいとキラキラした目で見上げてくるのも、好きだった理由のひとつかもしれない。
その頃は、いつの日か悠と美結を引き連れて、世界中を冒険して回るのだと本気で夢見ていたものだ。
そのジャングルジムがあった場所には、今は別の遊具が設置されている。亀の形をしたドーム型の遊具で、中に入ったり穴から顔を出したり出来る。上に乗ることもできるが、もともとあったジャングルジムに比べるととても低く、大人の胸くらいの高さしかない。
蓮が中学生になってしばらくした頃、ジャングルジムで遊んでいた子どもが落下し、骨を折るなどの大怪我をしたことがあった。老朽化していたこともあり、反対する者もいたものの、ジャングルジムは撤去されることとなり、代わりに今のドーム型の遊具が置かれたのだった。
ジャングルジムだけではない。シーソーや鉄棒も危険だという理由で、ここ数年で撤去されてしまっていた。砂場ですら普段はシートがかけられていて、昼間の一部の時間帯だけしか遊べなくなっている。猫などが夜間に糞などをして不衛生だから、というのが理由らしい。
そのせいか、若い母親が幼児を遊ばせている光景は見かけるものの、小学生が遊んでいる姿はまばらになっていた。
いつからだっただろうか。大好きだったはずのこの公園を横切る時、つい早足になってしまうようになったのは。
ジャングルジムのてっぺんに立った時に感じていた万能感が、いつの頃からか羞恥心に変わってしまった。
それでも子どもの頃の自分に夢を見させてくれた、その遊具のことは大好きだったが、それも大人たちの都合によってあっさり取り除かれてしまった。
望めば何にでもなれると思っていた根拠のない自信もまた、大好きだった遊具とともに、いつの間にか消え失せていた。
残されたのは、突出した才能があるわけでもなければ、どうしても叶えたい夢があるわけでもない、現実の自分。
このまま、身の丈にあった大学へと進み、人並な会社に勤め、人並な人生を送っていくのだろうと、半ば諦めとともに自分の未来像を思い描く。
子どもの頃に夢見ていた冒険の日々は、すでに開発され尽くした地球上にはなく、未来に待っているのは今の大人たちと同じような平凡な日々だろう。それなりに努力すれば、それなりの人生が用意されている。
――それも悪くない、と、最近は思い始めていた。
だからだろうか。
蓮は、ゲーム、特に剣と魔法を題材としたロールプレイングゲームに強く惹かれるのだ。
ましてそれがネットゲームともなればなおさらだった。気の合う仲間と冒険を重ね、自らを鍛え、まだ誰も踏み入ったことのない未知なる場所へと進んでいく。
ゲームがアップデートされ、新しい土地やダンジョンが追加されると、誰よりも先に攻略しようと、悠や美結を引き連れてゲームに没頭した。
だが、それも現実逃避だと思うようになってきている自分を、自覚してしまうことがあった。
悠も、美結も、自分に付き合ってゲームをしてはくれているものの、最近は勉強に時間を取られるようになり、一緒に遊ぶ時間も、徐々にではあるが減ってきていた。
自分自身も、自由にゲームで遊べるようなんとか平均的な成績は維持してきたが、学年が上がり勉強の内容も高度なものになってくるにつれ、徐々にそれも難しくなってきていた。
ふと、先日、進路調査票の将来の夢の欄に、ほんの一瞬、『冒険』と書こうとした自分を思いだし、苦笑いを浮かべる。羞恥にも似たこの感情は、未だ心の片隅に住まう幼い自分へのものだろうか。はたまた、夢を諦めてしまった今の自分へのものだったのか。
公園を渡りきり、自宅のある南棟のマンションの入り口に差し掛かった時、なんとなく呼ばれた気がして後ろを振り返ってみた。
そこには、いつもの公園と、四方に建てられた大きなマンションによって、四角く切り取られた、空が広がっていた。
「……狭い空だな」
思わず出た言葉に急き立てられるかのように、蓮はマンションの中へと入っていくのだった。
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