第2話 『始まり』への囁き

 ヘッドマウントディスプレイの小型化や高解像度化などの技術が向上し、VR技術が盛り込まれたゲームが一般的となった時代、とあるMMORPGが話題となっていた。


 そのゲームの名は――『エルナリードオンライン』。




 そのゲームはもともと、国内大手ゲームメーカーと海外の巨大IT会社とが共同で開発する予定だった。

 海外IT企業が推し進める、巨大メタバースプロジェクトの一環として、膨大な予算が注ぎ込まれ、最先端のVR型MMORPGとして開発が進んでいった。


 超美麗なグラフィック、多種多様なモーション、広大なマップ、詳細に作り込まれた数多くのアイテム、個性的なモンスター。

 次々にプレリリースされる膨大なデータに、多くのゲーマーが期待に胸を膨らませた。また、それ以外にも、大勢の有名イラストレーターやシナリオライターと契約を結んでおり、向こう十年、これを越えるゲームは出てこないとまで言われるほどであった。


 しかし、肝心の巨大メタバースプロジェクトが様々な要因で頓挫。先行して動いていたゲームプロジェクトだけでも継続させようという動きもあったのだが、多くの企業やクリエイターが関わっていたことで権利関係が複雑化していて、どこかひとつでもこじれると全体の運用が難しくなる、といった状況になっていた。

 結局、ゲームとしての魅力はあるが権利関係を綺麗に解決できないということで、どのゲームメーカーも受け入れ先として手をあげなかったのだ。


 多くのゲーマーたちの期待を一身に集めたそのゲームは、産声を上げることなく、幻となって消え去っていったのだった。




 そして、数年後――幻の神ゲーとして一部のゲーマーが語り継ぐだけの存在となっていたそのゲームが、突如、製品版としてサービスが開始されたのだ。


 そのゲームは『エルナリード開発研究所』という謎の新興企業によって、『エルナリードオンライン』という、まったく新しい名前を与えられていた。

 キャラクターやストーリー、音楽などは新しいものへと変更されていたが、3Dモデルのデータなどはそのまま使い回されていた。


 メインストーリーもリアリティがあり好評で、特に世界設定の細かさが尋常ではなかった。なにせゲーム内の図書館に置いてある書物、そのひとつひとつにテキストデータが割り振られており、読み物や図鑑として成立していたのだ。


 もうひとつ尋常ではなかったものが、敵モンスターのモーションデータだった。

 もともと開発中の段階からリアルな動きをすると評判だったのだが、製品版のモンスターは実物がそこにいるとしか思えないような複雑な動きをしており、プレイヤーたちを驚かせた。

 ついには、本物のモンスターの動きをモーションキャプチャーで取り込み、AIがリアルタイムで動かしている、などという説がプレイヤーたちの間で、まことしやかに囁かれるようになるほどであった。


 そんな紆余曲折を経て、突然、サービスが開始された『エルナリードオンライン』は、日本を中心に、またたく間に世界中のゲーマーたちを虜にしていった。


 一年も経つ頃には、ゲーム内にはいつも多くの人で溢れかえり、VRMMOの全盛期とまで言われるようになっていた。

 人々は、バーチャルなゲームの世界で新たな生活基盤を形成するまでになっており、それはまさに、かつてのIT企業が目指したメタバースの世界が実現したともいえるだろう。




 そんな『エルナリードオンライン』に存在する、とある酒場で、今、多くのプレイヤーたちが宴を楽しんでいた。

 剣や魔法といったファンタジー世界を舞台とした作品にありがちな、中世あたりをモデルにした酒場の中を、様々な服装や装備品で身を固めたプレイヤーたちが、料理やジョッキを片手に行き来していた。

 中には現代風の服装や着ぐるみ、水着のような服装をした者もいて、混沌とした雰囲気を醸し出している。


「もう一回! 今度はこっちのアングルから写真撮るよー。はーい、3、2、1!」


「見て、この『エンペラーグラタン』! 最近、料理スキルをカンストさせたの! 最高難易度の最高品質よ、みんな食べて食べて!」


「だーからっ! あれは俺は悪くないって! ちゃんと敵の攻撃は避けてたのに、何故かわからないけど当たっちゃってたの!」


 リアルに作り込まれた料理や酒に囲まれていると、それがバーチャルな品だと頭でわかっていても、本当にお腹がいっぱいになったり、酔っ払ったような気分になってくる。 

 貸し切られた酒場の中で、気の合う仲間たちとの語らいを、皆が存分に楽しんでいた。


 そんな中、一組の男女が席を立ち、店の扉へ向かおうとしていた。長剣と盾を背負った赤毛の戦士風の青年と、金髪をショートカットにした女神官だった。


「よう、お二人さん。今日はもうお帰りで?」


 両手にジョッキを持った、武闘家風のプレイヤーがグレンとユウに語りかけてきた。


「ああ、こっちは真面目な高校生なもんでね。いつまでも不良な大人たちの相手はしてられないってわけ」


「はっ、真面目が聞いて呆れるぜ。真面目ってのは、打ち上げに参加せずに勉強の時間だからと、ちゃんとログアウトしたシアちゃんみたいな子を言うんだ。お前らは、立派に俺たちの仲間、不良の大人予備軍ってやつだ、わっはっはっ」


 言ってろ、と軽口を言い合いながら、他の顔見知りたちにも別れの挨拶をしつつ、二人は酒場を後にするのだった。


 その酒場は、海岸近くの整備された広い道沿いに建てられており、その道を歩きながら街の中心部へ歩いて行くと、ちょうど潮風にあてられ良い感じに酔いが覚める、とプレイヤーたちの間では評判となっていた。

 もちろん、それはバーチャルなゲーム世界の中での話で、本当に酔いが覚めるわけではないが、多くのプレイヤーはその雰囲気を楽しんでいた。グレンとユウもまた、そういう雰囲気を大事にするタイプのプレイヤーであった。


「あぁ……疲れた疲れた。最後、ちょっと危なかったけど、なんとか倒し切れてよかったな」

 グレンの、実物より少し野太く加工された声が、均整の取れた顔立ちから放たれる。

 

 ヘッドマウントディスプレイの小型化に、フェイスキャプチャーやボイスチェンジャーと言った技術の進歩で、今やゲーム内のコミュニケーションの取り方は現実の物と大差のないものとなっていた。

 上半身の動きも、やろうと思えばヘッドマウントディスプレイに内蔵された外部カメラで動きをトレースし、ゲーム内に反映することが出来ていた。

 唯一、下半身の動き、つまり、移動に伴う行動のみが、コントローラーでの操作という昔ながらの方法がとられていた。多くのメーカーがこの課題をクリアしようと試行錯誤を繰り返していたが、いまだに有効な手段は開発されていなかった。


 グレンの言葉を受けて、神官服に身を固めた若い女性が、呆れ果てた表情を浮かべながら答えた。淡い金髪に神官帽を乗せ、まだ幼いともいえる整った顔立ちは、苦笑いを浮かべてもなお愛らしさを保っていた。


「ちょっとどころじゃないよ……ほとんど死にかけてたじゃないか。ボクの回復魔法がほんの少しでも遅れてたら、戦線が崩壊してたよ?」


「そこはほら、ユウのヒールワークを信頼してるからですよ。なにせ、毎年選出される最も活躍した9人のプレイヤー『パワーナイン』のヒーラー枠に2年連続で選ばれてる神ヒーラーさまですから」


「もう……すぐそうやって茶化すんだから。シアちゃんがいないと、すぐに敵に突っ込むクセ、直した方がいいよ?」


「はいはい、わかってますよ……。せっかく勝利の余韻にひたってるんだから、説教は勘弁してくれよ……」


『相変わらず仲がいいですねー、お二人さん』


 二人の会話に、突然、割り込んでくる声があった。まだ若いと思われる女性の声は、軽いエコーのようなエフェクトがかかっており、直接脳内に響くような聞こえ方をしていた。


「この声は……GMのアンナさん?」


『はぁい、ご名答! 都市国家エールベルン所属! イベント担当ゲームマスター! アンナさんです! とぉう!』


 明るく元気な声と同時に、突然、二人の前方に光の渦が巻き起こる。その渦が収束するとともに、中世を舞台としたゲームとは思えない、近代的なデザインの制服に身を包んだ女性が飛び出してきた。


「グレンさん、ユウさん、お疲れ様でした! もう今回のヴァルヴェイン討伐はお二人のおかげと言っても過言ではありませ……あれ? いない? おかしいな、ちゃんと座標を確認してテレポートしてきたはずなんだけど?」


『後ろです、アンナさん……』


 どうやら飛び出す方向を間違えたのか、二人に背を向けたまま話し始めたアンナにむかって、申し訳なさそうにグレンとユウが同時に声をかけた。


「えっ!? あ、アハ、アハハハハ。やだなぁ、ジョ、ジョークですよ、ジョーク。二人の緊張をほぐそうと思ってワザとやったGMジョークってやつですよ、アハハハハハ」


(今、緊張する要素、ゼロでしたけど……)


 とは思いつつも、それを口には出さない程度には二人は大人であった。

 アンナと呼ばれた女性は、年の頃なら20歳前後であろうか。赤みがかった髪を内向きのボブカットでまとめており、小柄な身長もあって、高校生と言われても納得がいく風貌だった。


「相変わらずというか、いつも通りというか……。おっちょこちょいなのは、さすが『愛されキャラナンバーワンGM』の名を欲しいままにしてるアンナさんだけのことはありますね」


「やだなぁ、グレンさん、そんな褒めても何も出ませんてば」


 呆れ成分をふんだんに盛り込んだつもりだったが、アンナにはまったく通じてないようだった。まぁ、この鈍感さも彼女が『愛されキャラ』としてプレイヤーたちに親しまれる所以ゆえんではあるのだが。


(裏では『危なっかしくてほうっておけないキャラナンバーワン』って言われてるのは黙っておくか……)


 と、心に誓うグレンであった。


「ところで、なにか用があったんじゃないですか、アンナさん?」


 このままだと話が進まないと思ったユウが、アンナに水を向けた。


「そうそう! 実はお二人に耳寄りな話があってきたんですよ」


「耳寄りな話、ですか?」


 聞き返したグレンに、とびっきりの笑顔を浮かべるアンナ。


 そして、騒がしかった今までとは打って変わって急に静かになったと思ったら、二人に顔を寄せてきて、小声でこう言うのだった。


「ええ、実はこれ、ナイショの話なのですが――」




 すべてはこの、どこか憎めない運命の女神の囁きから始まったのだと、後にグレンは度々思い返すこととなる。




「――世界初のフルダイブシステムのテストプレイ。参加してみませんか?」

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