第8話 隠居勇者

「ふん、ふふん、ふ~ん。」

 上機嫌に鼻歌交じりでベッドシーツの洗濯をしているアビー。

 メイド服ではなく、普段の婦人服に身を包み、軽快にその他の洗濯物も干していきます。


 …やってしまいました。

 何をと言われますと…アビーと逢瀬を果たしてしまいました。


 新居に引っ越して一ヶ月、街の警備係の職にありつけ、祝い酒も入ってしまったのですが…。

 一年ぶりの女性との逢瀬…酔いの覚めた朝、オレはドルイド法国の方角に向かって土下座をしました。


 やがて目を覚ましたアビーは満面の笑顔でオレに抱きつき

「ありがとうございます…」

 と感謝されました。


 んで、現在彼女が干しているベッドシーツが、その逢瀬の結果です。


 流石に逢瀬をした相手がメイドだと色々駄目になると思い、本日からは『夫婦』を演じることで話をまとめました。

 ちなみに、アビゲイルさんってば、公爵令嬢様らしく、メイヒルとは従姉妹関係になるそうです。

「これで、公爵家も跡取りに恵まれます。」

 そう言って一糸まとわぬ姿のまま、喜んだ顔は、たしかにメイヒルに似ているように思えました。


「こんにちはぁ~。」

 洗濯物を干し終わった庭先に女性の声が響きます。

「は~い…」

 アビーが女性の声に答え、玄関口の方へ歩いて行きました。

 そして、かしましい女性たちの会話の声が聞こえ始め、それは徐々に庭の方へ移動してきます。


「やぁ、レイ。

 頑張ってるようですねぇ。」

 精霊女王アイリスが顔を見せるなり放つ一言。

 隣では両頬に手をあて赤面しているアビー。

 …もはやかたる事は出来ず、情報はダダ漏れになっていくのでした。


 ◇ ◇ ◇


「それで、アイリスさんの本日のご要件は?」

 オレとアビーの向かいに座るアイリスに質問すれば

「レイのお仕事確認…かしら?」

「何故に疑問形?」

 とぼけるアイリスにツッコミを入れるオレ。


 どうやらアイリスはオレたちの事を報告する必要があるそうで、当然ながらオレの就職も報告義務に含まれているらしい。

「ああ、自警団の仕事に就いたよ。」

 オレが答えれば

「そうですか…。

 まぁ、貴方の腕前なら、隻腕でも大丈夫でしょうね。

 このあたりの動物や化物じゃ、貴方の相手にもならないから。」

 アイリスはニコニコしながらオレの話を聞いている。

 そもそも、隠し事をする間柄でもなければ、隠すことなど何もない。


 さて談笑も進み、用意されていたお茶菓子も消化され終わった頃、アイリスがゆっくりと立ち上がる。

「じゃぁ~ね、レイ。

 アビー、くれぐれもレイの事お願いね。」

「はいっ!アイリス。」

 アビーはアイリスと笑顔で握手を交わす。


 オレはそんな二人を漠然と眺めていた。

 これから始まる長い物語のきっかけがこんなものだったという事を知るのは、まだまだ先のことであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る