第41話 汨羅と決着

 アヌビスとの神霊憑依はうまくいった。


 不思議な感覚だった。一つの身体に俺とアヌビス二人の意識が同居している。なのに同じ一つの意識のような感覚もある。うまい表現がないが、違和感のない別思考という感じだ。たしかにこれは俺とアヌビスどちらの意識とも言い難い。

 頭にアヌビスの思考が走る。頭の中で会話している感じだ。


『成功です。さすがマスター、まったく拒絶反応がありませんでした』


『お、そりゃ良かった』


『しかもたった5分で神霊憑依を行うことが出来ました。どうやらマスターの器は想像以上のようです。神霊である私の魂をこんなにあっさり受け入れられるとは』


 アヌビスがうれしそうに言う。どうやら凄いことらしいが、俺が気になるのはたった一つだけだ。


『これでみんなを助けられるか?』


『はい、必ず』


『ならいい。行こうか』


 目の前の一ノ瀬へと意識を戻す。

 今ならわかる、一ノ瀬の莫大なマナの量が。最大で2の32乗……42億9496万7296と言ったのもハッタリじゃない。巨大すぎて今までの俺たちでは気づかなかったのだ。


 一ノ瀬もまた俺のマナが膨れ上がっていることには気づいているだろうが、向こうはまるで焦った様子がなかった。

 余裕たっぷりに両手を広げて、魔法を発動させる。


「ウインドカッター、の、204811乗


 2千を超える風刃が、突風となって襲いかかってきた。見える。102410乗の時は視認もできなかった風の刃が、今度ははっきりと見え、避けられる。

 アヌビスは前に自分の自慢は瞬発力だと言っていた。その通りだった。神霊憑依する前はがむしゃらに逃げるだけで精一杯だったのが、今はギリギリまで引き付けて僅かな動きで避けられるようになった。

 まるで俺以外の時間がゆっくり進むようになったみたいだ。


 2048のウインドカッターを全てかわすと、一ノ瀬がパチパチと拍手した。


「フフ、さすがにこれくらいは避けられるのね。よかった、さんざん待たされたのにこれで終わっちゃったらがっかりするところだったもの」


「は、待たせちまって悪かったな」


「なあに、結果は同じことよ。……スキル《米一粒》はね、増やしたものの発生場所や時間を多少操作することができるの。増やしたものを一度に全部出さなくてもいい。といっても1時間とか引き伸ばせるわけじゃないけどね」


「何が言いたい?」


「つまり弾幕も簡単に作れるってこと。ファイアボールの、1677万721624乗!」


 無数の火球が生み出された。それがマシンガンのように汨羅の周囲から発射され続ける。まさに無尽蔵と思えるような魔法攻撃だった。

 俺の眼前が全て火球で埋め尽くされる。炎の壁が迫ってくるようだ。たしかにこれは上下左右どこに逃げようとかわすこともできない。

 だが、問題なかった。


火の湖ジャハンナム


 俺は二又の神杖、ウアスを目の前へ向けて呪文を唱える。アヌビスと神霊憑依したことで使える古代魔法だ。ウアスの先から青い炎が吹き出し瞬く間に燃え広がると、一ノ瀬の火球の奔流へとぶつかり押し留めた。


「はあ!?」


 一ノ瀬の驚愕の声が聞こえる。目の前に炎の壁があって顔は見えないが、きっと大層驚いていることだろう。当然だ。1000万を超えるファイアボールの炎が止められるなんて思わなかったに違いない。


 アヌビスの古代魔法は、この世界の一般魔法とは隔絶した威力を出せる。神杖ウアスから放たれる青い炎は、壁のようだった一ノ瀬の火球群を止め、次第に飲み込み、やがて押し返し始めた。


 炎の壁越しに、苦しげな一ノ瀬の声が聞こえる。


「こんっ、な……ばか、な……。私の炎が、押し負ける、なんて……」


「どうした。ずいぶん苦しそうじゃないか、一ノ瀬」


「やかま、しい……! この程度で、勝ったつもりに、ならないで」


「余裕が消えたな。降参してくれてもいいんだぞ」


「あああっ、舐めるな! 消し炭にしてやる! ファイアボールの、1億3421万772827乗!」


 ファイアボールの壁がさらに膨れ上がる。俺もまたウアスを向け「火の湖」の火力を上げた。

 赤と青、二つの炎のぶつかり合いは壁から半球状になり、地上にもう一つ太陽が生まれたような熱と輝きを放つ。炎の余波だけで砂は溶け、大気を焦がした。俺も神霊憑依していなかったらとっくに燃え尽きていただろう。


 この熱量、いくら何でも滅茶苦茶だ。Sランクとはいえレベル32の一ノ瀬もきついんじゃ……。


「ああ……ぐっ……なんで……一億の炎よ。なんで、押し返されるのよ」


 案の定、一ノ瀬の苦しげな声が聞こえてくる。やっぱりだ。一ノ瀬のスキルはたしかに強いが、本気でその力を解放すれば自身も無事じゃ済まない。

 だから一ノ瀬はあえて小出しにスキルを使っていたのだろう。こちらを弄んでいたのもあるだろうが、最初からファイアボールで一面火の海にしては一ノ瀬もきついんだ。


 対して俺は神霊憑依のお陰でこの巨大な炎にも平気でいられる。時間制限のあるチート技だが、おかげででたらめな一ノ瀬のスキルにも対抗できる。


『アヌビス、神霊憑依はあとどのくらい保ちそうだ?』


火の湖ジャハンナムでだいぶマナを使っています。このままだと30分が限界です。マスター、早く決着を!』


『わかった!』


 勝負を急ぐべく俺は「火の湖」の火力を上げる。

 神杖ウアスから放たれる青い炎はますます巨大になった。炎の優勢は今や明らかになり、一ノ瀬の火球ファイアボールを俺の火の湖ジャハンナムが押し返し飲み込んでいく。

 一ノ瀬の叫び声が上がった。


「ああああああっ、うそっ、そんな!?」


「喰らえ、一ノ瀬」


 青い炎が赤の火を包み込む。直後、爆発とともに巨大な火柱が立ち上がった。空にまで届くような高い高い火柱が吹き上がる。


 普通のモンスターが相手ならこれで終わりだ。だが俺もアヌビスもまったく油断していなかった。

 十数秒間も燃え続けた後、火柱が消える。


「はあ……、はあ……」


「さすがだな」


 一ノ瀬はまだ健在だった。制服や肌の一部が焦げているものの、重傷になるような火傷は見当たらない。

 頭の中でアヌビスが話しかけてくる。


『予想通り、「火の湖」でさえも倒すことは困難ですね』


 Sランクのステータスだけで『火の湖』の火力は防げない。普通なら防御魔法を張らないと無理だが、一ノ瀬の場合はマナが多すぎて常にバリアみたいになっているのだ。42億9496万7296っていうでたらめな量のマナがそれを可能にする。


『ですが、防御魔法で防いだわけではないため、大きくマナが削れてます。おそらく一ノ瀬の残りマナは1億を切っているでしょう』


『わかった』


 俺は一ノ瀬に声をかける。


「一ノ瀬、降参してくれないか? こっちの強さはわかっただろ。俺はお前と戦いたいわけじゃない。水さえ分けてくれるなら、他に干渉はしない」


 しばらく荒い息をついていた汨羅だが、俺の顔を見るとにっと微笑んだ。


「降参なんか、絶対しない。まだ私のマナは残っているのよ、力尽きるまで戦いましょう」


「……まだ続ける気かよ」


「当然。勝つのは私よ」


 再び一ノ瀬が両手を広げる。


 正直俺はもう戦いたくなかった。時間制限付きのチートとはいえ、神霊憑依の強さは彼女だってよくわかったはずだ。決着はもうついた。


 このままだと一ノ瀬を殺すしかなくなっちまう。本当にそれしかないのか。


 ためらっている間に、一ノ瀬がスキル発動準備を終えた。


「死になさい。水弾スプラッシュの、にじゅう――」


『マスター!』


 俺より先に憑依中のアヌビスが動いた。ウアスを握った腕と唇が勝手に動き、呪文を発動させる。


「ウプウアウトの矢!」


 神杖ウアスから光の矢が生まれ、超高速で一ノ瀬を貫いた。魔法の発動準備は明らかに一ノ瀬のほうが早かったのに、魔法の速さでウプウアウトの矢が上回った。これもアヌビスの持つ古代魔法だ。一ノ瀬のマナ防御も貫通する力を持った強力な攻撃魔法。

 だからこの戦いでは使うつもりはなかった。


 俺がはっと気づいたのは、矢が一ノ瀬の腹を貫いた後だった。


「一ノ瀬!」


 俺はダッシュして砂面にくずれ落ちる一ノ瀬を抱きとめる。彼女の腹からは血があふれ、口からもごぽりと血の塊を吐き出した。

 力を失った一ノ瀬の身体を抱えたまま叫んだ。


「一ノ瀬、一ノ瀬!」


『すみませんマスター。マスターを守るため、やむなく……』


『いや、アヌビスは悪くない』


 俺が早く決断しなかったせいだ。

 呼びかけていると、一ノ瀬の目がうっすら光を取り戻す。


「一ノ瀬! 悪い、思わず撃っちまった」


「なにを……謝っているの? 殺し合いをしていたのだし、当然で、しょ……」


「当然なもんか! お前は助ける」


「は……? え……? 最後まで、よくわからないわね、あなた……」


 そこへ、隠れていたパーティーメンバーたちが駆けつけてくる。ジャックに護衛されながら、燕や鈴芽、ウサたちが近づいてきた。


「終わった、の?」


 と、一ノ瀬を抱えている俺を見て困惑した様子だ。

 説明は後回しだ。ウサの姿を見つけた俺はすぐに叫んだ。


「ウサ! 今すぐ《蒲の穂》を出せるか!?」


「う、うん、出せるけど……」


「一ノ瀬を助けてやってくれ! 俺がやり過ぎたせいで死にかけているんだ」


「え、一ノ瀬汨羅を助けるの?」


 ウサは困惑……というより明らかに嫌がる素振りを見せた。一ノ瀬はこの辺を牛耳っているマフィアのボスみたいなもんだから、当然だろう。復活したらなにをするかわからない相手だ。

 ウサの感情ももっともだが、今は説得している時間はない。


「頼む、早く!」


「あ〜もうわかったよ。そう言えばボクも助けてくれたもんね……。《蒲の穂》!」


 ウサがスキルを発動すると地面に柔らかそうな蒲の穂が敷かれ寝床を作った。俺はそこへ一ノ瀬を横たえる。

 蒲の穂から鱗粉のような白い光が放出され、一ノ瀬の傷へと集まっていく。矢に刺された傷が少しずつ治っていく……しかし塞がらない。

 思わずウサの顔を見ると、重たい表情で首を横に振った。


「ごめん、ボクの蒲の穂だとこれが限界……。この傷は深すぎて、治しきれないよ」


「そんな……。そうだ、ポーション! ポーションなら、さらに回復できるんじゃないか!? ウサ、大黒様の袋に入れてあったよな」


 慌てて次の方法を考える俺に、一ノ瀬が静かに口を挟んだ。 


「もう……いいわよ……」


「一ノ瀬、バカ言うんじゃねえ」


「ほんと変な子……あなたたちを殺そうとした私を……助けようとするなんて」


「関係ないだろそんなの!」


「ふふ……こんな状態になって、まっとうに命を心配されるなんて思わなかったわ」


 一ノ瀬がゆっくりと俺に顔を向ける。


「そういえばあなたのナラティブを聞いてなかったわね。ずいぶん強力なスキルを持っているけど、なんの物語なのかしら?」


「……《花咲かじいさん》だよ。枯れ木に花を咲かすだけの、大した事ない能力だ」


「へえ、それでその強さなの、意外ね。私と違ってずいぶん優しい力。うらやましいわ」


 一ノ瀬は本当にうらやましそうな顔をする。


「残念ね。あなたとはもっと別の出会い方をしていたら……こんな戦いしなくてすんだかもしれないのに」


「まだ諦めるな一ノ瀬! こっちには上級ポーションもあるんだ」


「…………」


 返事はなく、一ノ瀬が静かに目を閉じる。抱ているからだが、ますます冷たくなって……、



「……く、くくくく」


 こらえきれない、というような笑い声が聞こえた。笑っているのは一ノ瀬だ。今際の際だというのに心からおかしそうに笑っていた。戸惑っていると、彼女が静かな声で言った。


「ごめんなさい、茶番はこれくらいにするわね。《米一粒》の、0乗」


 一ノ瀬の身体が瞬く間に白い光に包まれた。


 数秒もしないうちに光は消え、あとには何も残らない。俺が確かに抱いていた感触も、徐々に冷たくなっていく彼女の体温も、嘘のように残っていなかった。

 そして俺のそばにはもう一人の一ノ瀬が立っている。怪我も、傷ついた服もすべて元通りになった戦う前のような一ノ瀬が。俺が戦う中で必死に削ったマナも完全回復している。


 しばらく反応することができなかった。呆然と、そばの一ノ瀬を見上げる。新しい一ノ瀬は、その長い黒髪を優雅にかき上げてクスクスと笑った。


「スキル《米一粒》のは、私自身に対してだけ使える能力。あらゆるものを1にする力。これを使えば何度でも完全な私が生み出される。もちろん1は1でしかないから、元の私は消えてしまうわ。いくらでも私を複製できるような能力ではないから安心して」


「な……ん……」


「なにを驚いているの。Sランクとの戦いなんて、でしょ。しかも私は仮初かりそめの不死。かぐや姫あたりのデタラメさに比べたらとても弱いわよ。だって私は殺そうと思えば殺せるもの」


 一ノ瀬の口元が三日月のような弧を描いて笑った。


「それともなに? まさかあなた、一回私を殺したくらいで倒せるとでも思っていたの?」


 頭の中で、アヌビスが叫ぶように警告を発する。


『まずいですマスター! 神霊憑依の時間はあと15分もありません! しかもこんな不死身の能力、果たして殺しきれるかどうか……』


 俺は黙って一ノ瀬を見つめていた。とっさになんて言えばいいかわからなかったからだ。


「…………」


「ふふ、どうしたの固まっちゃって。では戦いの続きをしましょうか」


「……よ」


「うん?」


「よかった……生きてて……」


「は?」


 俺のつぶやきに、今度は一ノ瀬が固まった。


「良かった。俺はてっきり殺しちまったかと……」


「……あなた、状況がわかっているの? 私が復活したのよ。大ピンチなのよ」


「それでも、お前が生きててくれてよかったよ」



「―――――――――っ!??」



 一ノ瀬はなにかすごい感情を我慢しているような渋面で黙り込んだ。

 それから頭を左右に大きく振り、長いため息をつく。


「はあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜。……嘘よ」


「へ?」


「戦うのは嘘。嘘と言うか、一旦やめ。休戦しましょ、休戦」


 一ノ瀬が呆れたような、でもどこか嬉しそうな、複雑な表情で言う。


「花咲天道、あなたに興味が出てきたわ。戦うのはやめて、ひとまず話しましょうよ」

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