第42話 汨羅の過去

「休戦……?」

「休戦って、え?」


 ハロウィンパーティーのメンバーが困惑した声を上げる。


 俺達に対峙する一ノ瀬の纏う空気はあきらかに変わっていた。やわらかい。

 超自然的な表情は鳴りを潜め、年相応の――70年以上生きているらしい一ノ瀬の本当の年齢はともかくとして、見た目相応の――顔になる。


「言葉通りよ。戦うのやめましょうってこと。あなたも、あなたの仲間たちももう傷つけたりしないわ。約束する。まああなた達があくまで決着をつけたいって言うなら別だけど」


「やらないやらない。戦わないですむならこっちこそありがたい。約束する」


「そう。ただ休戦はするけれど、それを続けるには一つ条件があるわ」


「条件?」


 一ノ瀬がさっと手を振ってオアシスを示す。


「少し長い話になるの。ひとまず私のオアシスまできてくれる? そこで話しましょう」



 ◆◆◆◆



 一ノ瀬は本気で休戦をしてくれた。しばらく後、俺と仲間たちは一ノ瀬の案内でオアシス内の彼女の家に招かれていた。

 この何もない砂漠でどうやって建てたのか、木組みの瀟洒なログハウスと言う趣きの家が、オアシスに涌く泉の近くにあった。


 休戦にまだ半信半疑だった燕たちも、中に招かれ飲み物まで出されてようやく警戒を解く。一ノ瀬と戦った俺たち6人に加えてアヌビス(神霊憑依は解いていた)にジャック、さらにあのよくわからんイケメン美女喜桐きぎりまで入っても、一ノ瀬邸のリビングにはまだ十分なゆとりがあった。


 全員が柔らかいクッション付きの椅子に腰掛ける。イケメン美女喜桐が執事よろしく全員に飲み物を配り(オアシスで採れるらしいオレンジを絞ったジュースで、日本でも飲んだことがないほどおいしかった)、ようやく俺たちは落ち着いた。


「休戦の条件の話だけどね。ええと、どこから話したものかしら」


 自身も一口オレンジジュースを飲んでから、一ノ瀬が目線をさまよわせる。


「……そうね、長くなるけどまずは私の身の上話をしましょう。そうしないとうまく伝わらないと思うから」


「ああ、聞かせてくれ」


「改めて自己紹介させてもらうけど、私の名前は一ノ瀬 汨羅いちのせ べきら。百年前に日本からこの世界にやってきたわ。その時日本の元号は大正だった。おそらくあなた達と同じ世界から来たはずよ」


「大正……!?」


 いきなり大昔の話になって戸惑う。俺は燕に視線を向けた。


「なんとなく百年前ってことでいいんだよな?」


「ええ。大正何年かにもよるけど間違っていないはず。でも、うーん、この世界と地球の時間の進みは違うと考えていたけど、そうでもないのかしら? まったく、異世界召喚だとか転生だとか考えてもわからないことだらけね」


 燕が様々に思考をめぐらしているのが伝わる。ひとまず考えるのは彼女に任せて、俺は一ノ瀬の話に集中する。


「それで、一ノ瀬……さんは、俺たちと同じ日本人だったってことか?」


汨羅べきらでいいわ。敬語もいらない、楽にして。さっきまで殺し合ってた仲でも良ければ、だけど」


「じゃあ汨羅」


「驚くほどためらいがないわね……まあいいわ」


 こほん、と汨羅が咳ばらいして続ける。


「そう、私は日本人だった。この世界に召喚されたのは17歳の時、普通の女学生をしていたわ。横浜にあるエリス高等女学校というところに通っていたの。知ってる?」


 その時鈴芽がまっさきに反応した。


「え〜〜、エリ女!? 超お嬢様学校じゃん。すごいね! そう言えばその制服見覚えあるある〜、エリ女のだ」


「そう、あなた達の時代にもまだ残っているのね。良かったわ。私はそこの5年生だったの」


「5年生?」


 俺が首を傾げると、燕がすぐ教えてくれた。


「戦前は高等女学校っていう学校の区分があったの。中高一貫に近いわ。高女5年生は現代で言う高校2年生ね。ただ高女はだいたい5年制だから、最終学年でもあるわよ」


「あなた、歴史に詳しいのね。話が早くて助かるわ」


 にっこりと微笑んで汨羅が燕を見る。戦う前と違い、そこには純粋な親しみがあった。

 いっぽう燕はそっけない。


「どーも」


「あらつれないわね。怖がらせちゃったかしら。まあそれはともかく、私は卒業を控えた普通の高女5年生だった。ああそうそう、この世界ではなんの意味もないけれど、一応実家は華族の男爵家だったわ。別の日本から来た召喚者に聞いたのだけど、華族ってもうあなた達の未来では無いらしいわね」


「うへえ、華族ときたか」


 うめき声を上げるしかなかった。マジモンのお嬢様じゃねえか。なんか所作に品があるというか、出会ったときの表情も異常に作り物っぽいなと思っていたけどまさか貴族のご令嬢だったとは。


「昔の話よ。それに私は自分の血を誇りに思ったことは一度もないわ。あれほど窮屈な牢獄もないもの。搾取される側からしたら、また違った意見もあるのでしょうけど」


 再びオレンジジュースに口をつけてから、汨羅は続ける。


「それで、日本の世間すらろくに知らない箱入り娘が、百年前いきなり見知らぬ世界に飛ばされてきたというわけ。私にとって幸いだったのは召喚された先がハイエルフの里だったということ。ハイエルフって知ってる?」


 ハイエルフについてはあらかじめカヅノさんやこっちの世界の人達から聞いていた。おおむね俺たちの知っているハイエルフと大差ないと言っていい。エルフよりさらに長寿で、高度な魔法を操り、深遠な森の中に隠れ住んでいる。

 俺たちは頷いて先を促す。


「ハイエルフたちはとても親切に私の世話をしてくれたわ。私が飛ばされた時転生してハイエルフになっていたのも良かったみたい。つまり同族として扱ってくれたわけね。この世界のハイエルフは私と違って金髪碧眼だったけど、その程度の差異は気にしないでくれた。本当にみんな優しくて親切だったのよ」


「それは良かったな」


 心からの言葉だった。ラノベやゲームで異世界の知識を持っていた俺たちと違って、百年前の女学生にとってファンタジー異世界は文字通り未開の秘境に放り込まれるのと同義だっただろう。転生した先がハイエルフの里でなかったら、生き残れなかった可能性が高い。


「そう、みんな親切だったの。30年間、私は穏やかにこの世界で暮らせた。いきなり人生が変わってしまった戸惑いも不安もあったけど、慣れてくると正直この世界のほうが私は暮らしやすかった。ゆっくりハイエルフの暮らしを学んで、魔法も少しずつ覚えて……。

 スキルなんてほとんど使わなくても良かった。ハイエルフのみんなは私のナラティブを褒めてはくれたけど、それ以上に私の意思を尊重してくれた。なのに、バシル帝国の奴らは、私が兵士になるのを拒否したっていうだけでっ……」


 汨羅の表情が陰る。肩を震わせ、怒りを押し殺すように唇を噛んだ。


「……私がこの世界に来て30年ほど経った頃、どこから嗅ぎつけたのかバシル帝国の兵士がやってきたの。ハイエルフの作った結界をぶち破って無理やりね。そして望みの報酬をやるから兵士として戦えって言ってきた。当然断ったわ。自分の身に危険が及んでるならともかく、戦争なんてまっぴらごめん。それでなくても静かな里を乱されて怒っていたから、きっぱり断ったの。帝国兵たちは私を無理やり連れていこうとしたけど、それも《曽呂利》のスキルで撃退した。そしたら……あいつらハイエルフの森を。彼らが命よりも大事にしている森を、焼き払ったの」


 俺たちは声も出せなかった。あんな無機質に見えた汨羅から今始めて、怒りが、悲しみが、当時のまま全く風化せずむき出しの感情として伝わってきたからだ。


 一呼吸おいて、汨羅が顔を上げる。真っ直ぐ俺を見据えて言った。


「休戦の条件というのは、そのこと。あなたの《花咲かじいさん》は素晴らしいナラティブだわ。……あなたの力を使って、どうかハイエルフの森を再生してくれないかしら」

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