第24話 無敵 VS 無限

 銀盆のような満月が、白く冴え冴えと荒野を照らしている。

 満月のかたわらには糸のように細い月がある。ふたつの月は荒野にたたずむ一人の女人を照らし出していた。


 十二単に似た古風な和装をまとうその女人は、絶世の美女と形容するにふさわしかった。腰まで届く豊かな黒髪を持ち、その顔は月の女神のように美しい。

 ふと、月下の美人はなにかに気づいたように首を傾ける。そして美しい顔には似つかわしくない凄絶な笑みを浮かべた。


「……来たか」


 美女以外人っ子ひとりいなかったはずの荒野で、空中に影が生まれた。影はじわじわとその大きさを広げると、まず三日月のような口が現れ、ひげが現れ、鼻が、目が、耳が現れ次第に巨大な猫の顔となった。

 猫が大きく口を開く。中から人形のように愛らしい金髪の少女が出てきた。


「こんばんは。素敵な夜ね、かぐや姫」

「ああ、いい夜だなアリス」


 巨大な猫の手のひらに乗り傲岸と見下ろすアリスと呼ばれた少女。対して月光の照らす荒野に立ち不遜に見上げるかぐやと呼ばれた美女。

 かぐや姫はバシル帝国の序列一位、アリスは帝国と双璧をなす強国クラレント共和国の序列一位である。どちらもナラティブはSランク。帝国と共和国、大陸の中でも抜きん出た力を持つ2大国の最高戦力が両国国境で退治していた。


 国境は最初から荒れ果てていたわけではない。もとは肥沃な農作地帯であり湖や森もあった。それがここ数十年の戦いで見るも無惨に荒廃してしまったのだ。


 Sランク同士の戦いとはそういうものである。今日もかぐやとアリス、二人のSランクが殺し合う。もはや月に二度の恒例行事となりつつあった。二人の頭に国家の威信や領土の獲得といった意識はない。ただ相手を滅ぼし自分の物語のほうが優れていると示すそんな意志だけが支配している。


 ナラティブは魂深くに刻まれる強力な魔法だ。ナラティブを発現させたものは次第に魂を物語に引きずられその容姿まで変わってしまう。かぐや姫もアリスも元は日本人だったが、数十年この世界で生きるうちに今や自分の転移前の名前も思い出せないほど物語に引き寄せられていた。


「こんなに素敵な夜だもの、あなたを殺しに来たわ」

「こんなに素敵な夜だからな殺し合わねばもったいない」


 どちらも凶々しい笑みを浮かべる。


 爆ぜるように二人は叫んだ。


物語魔法ナラティブ《アリス・イン・ワンダーランド》! 《トランプの兵隊》!」


物語魔法ナラティブ《竹取物語》! 《月の軍勢》!」


 アリスの手のひらから奇術のようにトランプのカードが放たれる。54枚どころではない。何十枚、何百枚、否、何千枚というトランプが風に舞い地上へと撒き散らされた。どういう原理なのか、アリスの手から生まれるトランプには際限がない。


 地上へ舞い落ちたトランプは精強な兵士の姿へと代わり、かぐや姫へ向けて殺到する。

 対するかぐや姫は上空の月を指差すと、叢雲が生ずるように軍勢を召喚した。馬に乗った騎馬武者が、月から地上へと駆け下りてくる。本当に月から来ているわけではないのだろうが、凄まじい速さで月の軍勢は地上へと降り立った。上品で華麗な軍装をまとった月の戦士たちは、落ち着いた様子で陣を敷きかぐや姫を堅固に守る。


 奇しくも二人は似たスキル、軍勢を召喚する能力を持っていた。たった二人で戦争さえできるほどの強力なスキル。Sランク同士の戦いは、もはや個人の戦闘という枠に収まらない。

 トランプ兵は陣を敷くことなく乱戦のように月の軍勢へ襲いかかった。とはいえ月の軍勢はせいぜい百騎ほど、トランプの兵隊は万に届くかという数がいる。あっという間にもみつぶされるかに思えた。


 戦闘が始まる。たちまち勝負は明らかになった。


 例えるなら岸壁に押し寄せる波濤のように、トランプ兵は砕け散った。月の軍勢に一切の粗暴さはない。あくまでも優雅に、美しく、洗練された動きで、アリスの兵隊を寸刻みに粉砕した。人間の兵士相手ならば10倍以上の戦力差でも勝てるトランプ兵が、文字通り紙切れのごとく屠られていく。


 『無敵』。


 かぐや姫の《月の軍勢》が持つ能力はシンプルに表現される。

 ただ『無敵』、あらゆる攻撃を受けても一切傷つくことなく、敵には必殺の一撃を与える。


 まるで幼子おさなごの考えたような能力が、馬鹿馬鹿しいほどの現実として顕現していた。

 万に近い数のトランプ兵が急速にその数を減らしていく。月の軍勢が一撃振るうたびに、三、四体のトランプ兵がまとめて切り飛ばされ、穿たれ、殺されていく。



 これが《月の軍勢》。これが帝国の序列一位。これが、これこそが「かぐや姫」。


 日本で最古最強の《ナラティブ》が、冠前絶後の暴力性を発揮した。



「どうしたアリス? そなたの大事な大事な玩具おもちゃたちが、このままでは鏖殺みなごろしだぞ。稚児の片付けにわらわを付き合わせるつもりか?」


 月の軍勢の敷く陣内で、花見でもしているかのように恬然とかぐや姫はくつろいでいる。

 アリスはぎりっと唇を噛む。


「うるさい! 今日こそは、あんたを殺してやるって決めたんだから!」


 アリスが大きく手を広げると、その背後から白波のごとくトランプカードが溢れ出した。

 千を遥かに万を超え、百万に達する紙津波が地上へと降り注ぐ。


 かすかに目を見張って、かぐや姫が呟いた。


「ほう、その数もしや、鏡の方との合わせ技だな。鏡合わせれば無限に等しく生み出せるということか」


 すぐに見破られてアリスは舌打ちした。かぐや姫の言う通り、このトランプはアリスのもう一つのナラティブ【アリス・イン・ミラーランド】で生み出したものだ。


 アリスは極めて珍しい、姉妹が二人同時に召喚された転移者だった。一卵性双生児だった二人はナラティブを最初に発動したとき、片方が鏡の世界に囚われてしまう。現実世界にはどちらしか存在できない、二人一対のイレギュラー。

 アリスは世界で唯一2つのSランクナラティブを持つ者だった。その強力さと引き換えに今では双子姉妹の自我が溶け合って、どちらが姉で妹だったかも判然としない。


「余裕かましてられるのも今のうちよ! 本気の物量差ってやつを教えてあげる!」


 大きく膨れ上がったマナが、アリスからトランプへと注がれる。紙のトランプはたちまち兵士となって《月の軍勢》を十重二十重に取り囲んだ。

 万倍を超える戦力差でも、《月の軍勢》に焦りはない。だが、先程より苦戦はしていた。未だ《月の軍勢》で討ち取られたものは一人もいないが、押し寄せるトランプ兵に圧迫され敷いた陣から一歩も動けなくなっている。

「無敵」を冠する《月の軍勢》にとってはありえないことだった。


 そもそも《月の軍勢》とまともな勝負になっている時点でおかしいのだ。

 《月の軍勢》は召喚された瞬間敵対者を動けなくするーーゲーム風に言えば強制スタンの能力を持っていた。


 しかしこの能力が通用するのは生物だけという弱点がある。本来縛りにもならない弱点だったが、これが無数のトランプ兵を使い魔として召喚できるアリスに突かれたのだった(アリス自身はSランクと高レベルによる耐性でスタンを無効化できる)。


 初めて荒野の戦いが拮抗する。《月の軍勢》の「無敵」と《トランプの兵隊》の「無限」が互いに押し引きできぬ伯仲勝負となった。

 とはいえ、このままでは先に崩れるのは無限の方のはず……だった。


「アリスや、よくやった方だがこれで手仕舞いかの? ならば今宵も妾のほうが……」


「《首切り役人》!」


 アリスが叫ぶとトランプの兵隊のうち3枚が次元の違う速さで剣を一閃した。

 直後、かぐや姫の首が落ちる。


「ほう」


 落ちていく頭だけで驚きの声を上げたかぐや姫は、自分の体を眺めながらつぶやく。


「首を落とされたのは初めてだ。やるの」


「やかましい! 死ねっ、死ねっ、死ねええええっ!! 《首切り役人》!」


 かぐや姫の首と体が、さらに切り刻まれる。さいの目状にカットされ見るも無惨な肉塊と化したかぐや姫だったが、数秒後には元の姿に戻っていた。


「くぅっ!」


「愚かだのう、不死身の妾がこの程度で死ぬわけなかろう。どうせやるならせめて月のない昼間にやるべきだったな。それならば一時間位は時を稼げたろうに」


 何事もなかったようにカラカラと笑うかぐや姫。アリスは悔しさに唇を噛む。


「だが《首切り役人》は良かったぞ。妾の《月の軍勢》を超える速さの兵士など、そなたが初めてじゃ。やはりお主は妾の好敵手にふさわしい」


「うるさいうるさいうるさい! チェシャ猫ぉおおおおお!」


 かぐや姫の背後に巨大な口が開き、ぞぶりと肩口から食いちぎった。即座に月の軍勢が迎撃するが、チェシャ猫はもう姿をくらましてそこに存在しない。

 右半身から激しく血を吹き出しながら、かぐや姫は哄笑した。


「ハハハハハハハハ、今宵はよく身体をもがれる夜だな」


「笑うなあっ! くたばれっ、死ねっ、死ねっ、殺してやる!!!」


「ハッハッハ、愉快愉快。さてそろそろこちらも反撃といくか。簡単に死んでくれるなよ」


「やってみろ月の化け物!」


 狂々きょうきょうとかぐやが笑う。

 烈々れつれつとアリスが瞋怒しんどした。


 魔神と化した二人の戦いは大地を割り天を揺らし、夜が明けるまで続いた。

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