オン・ステージ

 この海神SOSでは今日もまたいつも通りの日常が続いているように見える。

 人々は昨日の騒動なんて全く耳に入っていないかのような状態で楽しそうな表情を浮かべており、ここは老若男女が楽しめる楽園の様相を保っている。


 だが油断はできない。確かにここで昨日怪物が出たのだ。

 しかもそれは明確に人間を襲った。被害にあった人間とて多くは無くとも少なくは無いはず。

 加えてあんなファミリアなる訳の分からない怪物に襲われたのであれば騒ぎの一つや二つ発生してもおかしくはない。

 だが現実問題として今この場に居る人々の全てが焦りや恐怖の様子なんて微塵も見せていない。

 

(確かにここで怪物が出たはず……。なのにこの能天気ぶりは何?)


 まさか情報が出回っていないのか?

 もしそうだとして、そんなことがあり得るのか?

 この情報化社会で特大の話題の種になりそうなことが一切出回っていないだなんてそんなことが。


 加えてもう一つ。

 携帯通信魔道具が使えなくなっている。電話は愚か、ネットワークサービスもだ。

 どう考えても異常な事態。幾ら問題を認識していないとはいえ、ここまで大規模なことをすれば誰だっておかしいと思うはずだ。


(情報統制? 黄泉坂君が何かした? いや、でもそんなことをしたら魔導省にバレるんじゃ……)


 思考を回してみるが思いつかない。

 そもそも幾ら彼が様々な方面で強い権力を持つ国家魔導士だとして、そんなことができるのか。

 ましてやここは五大旧家の海神家が運営する遊園地。権力があってもそう簡単に動かせるとは思えない。

 後考えられるのは、ここのオーナーが黄泉坂君に協力していることだけか。


(営業面の観点から内々に処理しておきたいとか? いやでもそんなことするくらいなら普通に魔導省に連絡する方がよっぽど良いはず……。何も今は行楽シーズンという訳でも無いんだし)


 ならやはり黄泉坂君の影響か? それとも、吸血鬼が何かしたか。

 可能性としては後者の方が高い。


「早く見つけ出さないと……」


 大変なことになる。

 いや、もうなっている。誰一人としてこの現状に違和感を持っていないのだとしたら異常だ。

 大規模な洗脳魔法が行使されているとしか思えない。

 海神SOS全体にかけられていると仮定して、最も有力なのは音属性の魔法だろうか。

 スピーカーやら何かを介せば、全体にかけることは不可能じゃない。


 だがそれを確かめようとヘッドフォンを外そうとした時、音楽を掻き消すほどの爆発音が響いた。


「出た!」


 私は確信した。

 爆発だけじゃない。この油にように粘ついた、浴びるだけで気分が悪くなっていくような魔力。

 明らかにこの世のものじゃない、この世に存在してはいけない不快な魔力。


「皆、早く逃げて!」


「ギャㇵアアアアア――――!!!!」


 人間のものとは思えない絶叫。

 それもそのはずで、そこに居たのはもう見た目からして人間ではない存在。

 かろうじて保っていた人の形を全てかなぐり捨てて、そこに居たのは最早ただの化け物。

 いや、違う。巨大な蜘蛛の胸の中に微かに見える。


 埋め込まれた『遊園地狩り』の姿が。


「…………なんて」


 哀れ。昨日吸血鬼カロンは身の丈に合わない欲望を抱いたと言っていたが、これがその成れの果てということか。

 彼のそれはきっと醜悪で残酷。自分だけが良ければ他全てを平気で傷つけられるような、そんな欲望。

 そのために何度も人を殺し、嬲ってきたのだろう。


 ……同情の余地は無い。

 全ては自業自得だ。


「出てきたからには容赦しない!」


 既にあちこちから悲鳴が上がっている。

 戦わないという選択肢は最早存在していなかった。


「ギヒィイ! 女ァ!」


 死に瀕するような状況では生物は子孫を残すため、内に秘めた性欲を爆発させるというがどうやらそれは怪物になっても同じことらしい。

 私に向かって噴出された白い粘着性の糸はまさにそれを良く良く表していると言える。


「甘い!」


 身体から放出した魔力を炎に変え、その糸を燃やす。

 威力も低く、範囲も狭い。だが詠唱無しで放てる上にこの程度ならば支障は無い。


「ふっ!」


 発火によって発生した爆発を避け、一気に怪物へと肉薄する。

 できるだけ時間はかけたくない。

 怪物の、というよりは恐らく元となった『遊園地狩り』の得意魔法であろう爆発魔法の効果が糸に乗っている。

 仮にも何人かの人間を殺している威力、万が一無差別攻撃なんてされたら面倒という言葉では済まない。


 ならもうそれ以上の高火力をぶつけて相殺して、かつ一方的なダメージを与えるしかない。


「炎属性対決で私が負ける訳ないでしょ!」


 あの日以来ずっと鍛えてきた。

 偶々近くに住んでいた元国家魔導士の師匠に頼み込んで、来る日も来る日も必死の修行に明け暮れた。

 全ては理不尽から皆を守るため。


「《滾るのは魂の炎。炸裂せしは我が猛り!》『炎爆撃エクスフレイム』!」


 それは私が最も得意とする上級魔法。

 煮えたぎる思いを燃料に変えて、進撃する十字の炎。

 私の豊富な魔力の加わったそれは本来想定されていた威力を遥かに上回っているとのお墨付き。

 

 加えてその速さ。そこらの怪物になんて負けはしない。

 

「ギィイイイイイイ!!?」


 放たれた攻撃全てを飲み込み、怪物を焼き焦がす。

 しかし立ち上る硝煙の中から、そんなものは効かないとばかりに突進してくる。


「っ!?」


 実に安直な攻撃。

 しかしその耐久力は異常の一言。この間はもっとしっかりダメージを喰らっていたのにも関わらず、今回は活力が有り余っているらしい。

 

(いや、あれはどっちかと言うと……)


 気にしていない、と言った方が良いか。

 師匠曰く、私の魔法は威力だけなら既に国家魔導士の世界でも通じるレベル。つまりそれは人類によっての強敵、難敵にも一定以上の有効打を与えられるということを意味している。

 それを喰らって効かないなんてありえない。

 あのよくわからない薬で完全に神経が馬鹿になっているのだろう。

 現に奴の身体は焦げている。


「上等、何度でもぶち込む!」


 躊躇うことは無い。脅えることも無い。

 今私ができるだけを全力で。


「《渦巻きしは我が怒り。螺旋となりて敵を貫け!》『螺旋焔スパイラルブレイズ』」


 魔力の流れが両手に集まり、形成されるのは炎の槍。

 全身がまるで発射された銃弾のように回転しているそれはただ相手を焼くだけではなく、貫くことも可能だ。

 持ち手は無く全てが炎。だが私の両手を焦がすことはない。


 回転する炎と蜘蛛の脚が衝突する。

 硬化された脚の堅牢さは中々のもので、私の槍に一歩も退くことは無い。

 パワーのかなり高く、このままでは押し切られる。腐っても基礎スペックは高いらしい。


 膠着状態。そこから私は素早く動きだし、一気に懐に入り込む。

 八本の脚が生えているその場所はまるで天井。その部分に私は槍を突き刺すべく構えた。


 しかし。


「なっ!?」


 爆発した。

 一体何が起こったのかわからず、ただ意識だけが一瞬吹き飛ぶ。

 気がつけば身体は大きく吹き飛ばされ、背中がついている壁は大きく亀裂が入っていた。

 更に周囲には巨大なクレーターができている。悲鳴はもうどこからも聞こえない。

 どうか、被害者が居ませんように。


「まさかさっきの私と同じ……?」


 私は詠唱も無いまま、魔力を炎に変換した。

 だが詠唱も魔法陣も無いだけあって大した規模でもない。精々が迫る攻撃を振り払う程度の微細なもの。

 それが普通であり、だからこそこのような事態はあり得ないのだ。


 詠唱を行わないことが問題なのではない。理を壊す黒魔術によって生まれた怪物に、こちらの道理が通じるなんて期待はしていない。

 ただ純粋な威力の高さ。たった一つにして絶対的な脅威がそこにはある。


「ヤバい……!」


 怪物の口に魔力が溜まっている。

 明らかに攻撃の前準備だ。だが完全な不意打ちを喰らったせいで身体が動かない。

 回避は不可能。よって、ただその光線を喰らう以外に道はなかった。


「ガハッ……!」


 全身の皮膚が焦げ落ちるような感覚。

 痛いし熱い。死なず、意識があることが不思議なくらいだ。怪物が手加減した訳でもあるまいに。

 

「………………く」


 どうにか立ち上がる。

 だが身体の重心が定まらない。額から流れた血液によって視界が不明瞭。

 魔力のコントロールの完璧とは程遠い。

 

 しかし怪物は未だ健在。特に大きなダメージを負った様子も無い。

 戦況は絶望的という他無い。

 

 それでも、ここで倒れる訳にはいかないのだ。逃げたくない。死にたくない。私はただ、この世界に理不尽を齎す存在を。


「殺してやる――――」


 ふらつく足を無理矢理抑えながら、なんとしてでも。


「っとすまないお嬢さん。どうかここは私達に任せてくれないか?」


「――――ぇ?」


 声が聞こえる。それは美しく透き通った人魚の歌のように澄み渡る美声。聞いた瞬間、全身から力が抜けて安堵の気持ちが広がる。

 状況は何一つ好転していないし、今後どうなるかの保証も無いにも関わらず。


「あなたは……?」


「海神セイン。このステージのオーナーさ。星々の嘆きに応え、今参上した」


「おい、お前どういうつもりだ……?」


「どうもこうも無いさ。今の君にピッタリのステージ、ここで君が何を想い何を謳うのか。観客の皆に送ろうじゃないか!」


 どういう訳かアサヒ君を抱えた彼女は高らかにそう叫んだ。

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