舞台の幕

「ああアアアアああァァッァァッぁあぁぁ、ふざけやがってぇ……! とんだ不良品掴ませやがったなクソガキィ……!」


「やだなぁ、俺はちゃんと説明したっすよ。これは黒魔術によって作られた薬だから、その辺理解しといてくださいよって。なのにおじさんすぐ飲んじゃうんですもん。若い人は脅えを知らないとは言いますが、まさかここまで無鉄砲だとは」


 赤い霧が漂う謎の場所で、カロンはのたうち回る男を見下ろす。

 初めて彼が激痛を味わってから既に十五時間以上が経過しているが一向に治る様子を見せない。

 それどころか、髪は色を失い、頬はこけ、瞳からは光が消えている。

 どこをどう見ても、長くは持たないことは明白だった。


「うーん、参ったっすねぇ……」


 この現状はカロンにとって芳しくない事態だ。

 彼からしてみればこのような人間がどうなろうとしったことではないのだが、少なくとも派手に暴れ散らしてくれる手駒が居なくなるのは困る。

 自分の存在が完全にバレた以上、敵を誘導する囮は絶対に必要なのだ。


「けどストックはあんまし無いから無駄遣いできないし、そもそもそこら中の人間むしを利用しまくるのも問題。かと言って俺が出張りすぎて強いのにわんさか来られても困るし……。こりゃもう猶予無いっすかね……」


 カロンに浮かんでいる選択肢は二つ。

 どちらの彼にとってのリスクは存在している。しかしどちらか一方を選ばなければ自分自身に『死神』の刃が向けられるかもしれないのだ。それだけは絶対に避けたいというのが彼の思いだった。


「…………まあ、グリム君は引きつけてもらわないと俺が困るっすからね。おじさんに残った最後の寿命、使わせて貰うっすよ」


 言いながら、カロンは三つの注射器を全て取り出し、藻掻く男の首筋に突き刺した。


「ああああア゛あああぁぁぁぁあ!? て〝めえぇ、何しやがった…………!?」


「全ツッパっす。一々駒増やすより、もうおじさんに力の限り暴れてもらった方が良いかなって」


「ふ、ふ、ふ、ふざけんじゃねえええええええ!!!」


 怨嗟の絶叫が響き渡る。

 そこからの男は見るも無残な姿へと変わっていく。


 全身が膨れ上がり、大量の毛が生えてくる。瞳が真っ黒に染まり、一気に増殖。四肢のあらゆる場所に蜘蛛の口がついている。そして下半身を突き破り、生えてくる無数の脚。

 この姿を見れば前回まではまだ人としても原型がかろうじて残っていたと言えるだろう。


「――――――――――!!」


 声にならない叫びが轟く。その姿を目にしたカロンの口角は歪に歪んでいた。


「ハハッ! 中々イケメンじゃないっすか。今なら俺の採集コレクションに加えてあげても良いっすよ」


 ま、この先生きていられたらっすけど。

 淡白に言い捨て、カロンはその場から立ち去って行く。


「さーて、お宝探しといきますか。――あ、できればあの銃も手に入れときたいっすねえ」


▪▪▪


「やあ、おはよう」


 携帯が壊されたから目覚ましは無い。

 よって俺を目覚めから引き起こすのは染みついた習慣、もしくは対外的な要因によるものだ。

 今回は後者。


 目の前に広がる大きな肉の塊は俺の顔の近くに腰かけている者が居ることを示している。優しい声と反比例するかのような圧迫感。これでは目が覚めるのも仕方ない。

 恐らくオーナー特権のようなものを使って俺が寝泊まりしている部屋へと勝手に入ってきたのであろうセインは笑顔を浮かべて、俺に朝の挨拶を告げた。


「……北風は?」


 昨晩この部屋に居たのは俺だけじゃない。泊まる場所も確保するだけの持ち合わせも無い癖にやってきた馬鹿も一緒に居たはずだ。

 だが、ぐるりと周囲を見渡してみても、今この空間には俺とセイン以外の人間が居ないように見受けられる。


「彼女なら部屋を出て行ったよ。ほら、そこに書置きがある」


「あ……」


 セインが指を指した場所には確かに書置きがあった。

 内容はお礼と、いつか必ず借りを返すという旨。

 そして、今から私は見回りに行ってくるとのことだった。


「見回りとは物騒だね。何かここでトラブルでも?」


「ああ。セイン、悪いが電話を貸してくれ」


 セインは恐らくあの件を知らない。

 昨日助けてくれた作業員の人には説明していないし、時刻の関係もあってどこにも連絡できずにいた。

 だがこの海神SOSで起こっている事態はとても隠していて良いものじゃない。


 素直に大人へ助けを求めるべき案件だ。黄泉坂の考えなんて知ったことじゃない。


「別に構わないが、意味無いと思うよ?」


「は? どういうことだよ」


「わからない。けどどういう訳か今朝からずっと電話が繋がらないんだよね」


 そう言ってセインは自身の携帯の画面を俺に見せる。

 確かに彼女の言う通り、通り具合示すアイコンにはバツ印がついている。


「……何で?」


「さあ?」


 普通に考えて緊急事態。

 現代にとって最も手近な連絡手段を絶たれたというのに、セインは特に慌てた様子を見せない。

 それどころか完全に落ち着き払った様子で紅茶を飲んでいた。


「流石は私のお気に入りで構成された場所、紅茶も今私が一番気に入っているものを揃えてくれているね。アサヒ、君もどうだい?」


 セインは俺の近くに丸テーブルを持ってくるとそこに紅茶とスコーンを置く。

 だが今は朝食なんてどうでも良い。

 欲しいのは連絡手段だ。


「なあ、ここに備え付けの通話魔道具とか無いのか!?」


「あるにはあるが全部駄目だよ。このホテルだけじゃなく、海神SOSにある全部の通信系の魔道具は全部動かない。多分誰かに魔力の流れを妨害されているんだと思う」


「マジ、かよ……」


 最悪だ、一体誰がこんなことを?

 思いつく奴は幾らでも居る。情報が洩れることを嫌がる奴は三人。内二人は人間ではないが、奴等は皆魔導省や警察の介入を嫌がる立場にある。

 その中で最も可能性が高いのは、吸血鬼か。


「急にどうしたアサヒ。君がそんなに慌てるなんて珍しい」


「お前は何でそんなに落ち着いてるんだよ! ここら一帯の通信が全部妨害されてるとか、どう考えても異常だろ!?」


「まあそうだね。だがどんなトラブルが起ころうとも私は揺るがない。主演とは何時如何なる時でもどっしりと構えていなくてはいけないものさ。……それで? 一体何があったというんだい?」


 セインは余裕綽々な態度を微塵も崩さず、俺に話を促す。

 しかたない。昨日起こったことを話せば流石のコイツも少しは焦るだろう。


 俺は話した。怪物のこと、吸血皇に仕える眷属がやって来ていること。

 そして国家魔導士にも関わらず外部に連絡を取らないばかりかそれを妨害してきた大馬鹿クソ野郎が居るということ。

 全て包み隠さず、一切の虚飾無く話した。


「ふむ…………」


 ティーカップを置き、セインは思案の動作に入る。

 彼女にも事態の深刻さは伝わったはずだ。

 

「君の言うことは良くわかった。なら私達がすることは決まっているね」


「ああ、すぐに外に出て連絡を――――」


「私達の手で、その狼藉者を捕らえようじゃないか!」


 …………は?

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