舞台の上で役者は踊る
「ふむ……」
食器の奏でる音が響く室内で、海神セインは息を吐く。
並べられた食事は全て超一流のシェフが手づから作った料理ばかり。世界をまたにかけるスーパーモデルである彼女に相応しい物をと、彼らが腕によりをかけた品々だ。
皿に盛られた料理が口に入る度、控えていた彼らはまるで天に召されるかのような恍惚を浮かべている。
だがセインの視界も思考も、彼らに割かれている部分は一割とて無かった。
彼女は彼らをどうでも良いと感じているわけではない。仕える使用人の一人一人が自身を磨き上げる研磨剤。意識しないなどあり得ない。
常々自分にそう言い聞かせている彼女がそれでも尚、彼らを無視する理由は単にそれよりも優先している作業があるからに他ならない。
今、彼女が見つめているのは水の注がれた透明なグラス。
中に入っているのは純粋なミネラルウオーター。しかしその色は黒い。
魔法によって別の場所の景色が映っているのだ。
「また薄気味悪い場所を使ったものだ」
グラスに映っているのはこの遊園地の地下にある水の供給場。
海神SOSには水を使ったアトラクションが多数用意されており、大量の水を確保するための場所が地下に存在している。
一般客は近寄れない場所だが、彼女ならその場所に赴くことも可能だ。
しかし、そこはお世辞にも清潔な場所とは言えない。勿論人が入って作業を行う場所である以上は最低限の衛生管理は行っているが、セインが好む所ではない。
故に彼女は使用する。自身に仕える、信者とも言うべき者達を。
「ああ、居た居た。……それにしても広いというのも考えものだな。たかだか数個の探し物のためにここまで時間を食うだなんて」
おかげで食事の時間にまでめり込んでしまった。
セインは少々不満げにぼやきながらも、顔には笑顔が浮かんでいる。
彼女の視界には少しの安堵を浮かべたアサヒの顔が映っていたためだ。
(ああ、可愛いなぁ……! 不安、恐怖、焦燥かな? 昔から変わらないその様子、最高だよ……)
セインはグラスを掴み、水を揺らしながら笑みを浮かべる。
その場に居る使用人達は彼女が料理の出来に喜んでいるように見えていることだろう。
だが実際は全く別。
彼女にとっての最高の甘露は、彼女の視界にのみ映っている。
「本当に、戻って来て正解だったよ。君の存在は、私の存在をもっと美しく輝かせてくれる。さあ、共に踊ろうじゃないか。既に舞台の幕は上がっている……」
セインはグラスを再び揺らす。映像が切り替わり、映し出されるのは真っ赤なビジョン。
まるで潰れたトマトのようなそれに、彼女は目を細める。それが何を意味するか、知っているからだ。
そこに居たのは蜘蛛の形をした怪物。グリムの言っていた自分の身柄を存在に一人を確認して、それでも尚彼女は笑う。
「良いじゃないか、強敵は大歓迎さ。強い穢れを払えばこそ、私の輝きも増すというもの」
この舞台の主演の一人。彼は恐怖に苛まれ、罪悪を背負い、光を浴びて身を焦がす。
哀れな自分を変えるために武器を取るか、はたまたその重さに押しつぶされて朽ち果てるか。
「私的には、どっちでも良いけどね?」
舞台の上で彼女は嗤う。
▪▪▪
助かった。
曰く、この場所はアトラクションで使用する水を供給するための施設だったらしい。
その点検に来たのだという業員によって、俺達は地上へと戻っていた。
既に空は真っ暗で、各店も開いていない。
よって今日の俺達の夕食はコンビニで取ることになった。
「……お前、金あんのか?」
「……あ。ごめん、財布落としちゃった」
「……奢るわ」
「……ありがと」
互いのやり取りは簡素で重苦しい。
まあ俺が自分の我儘で一方的に打ち切っているだけなんだが、それでも止めようという気にはならない。
北風と話していると、自分がゴミみたいな存在としか思えなくなってしまうからだ。
コンビニで買ったのは俺が焼きそばパンとコロッケパン、餡ドーナツ。
とにかく腹に溜まる物にした。
「遠慮はすんな。金ならある」
「うわ、すっごい。ブラックカードなんて初めて見た……」
あまりこう言うのを他人に見せるのは嫌なんだが、北風は俺に遠慮して小さいサンドイッチとお茶しか籠に入れなかった。
だからそれを見せ、他の物も入れる様に要求する。
「奢るつってんだから、俺の顔立てろ」
こういう場合遠慮される方が逆に失礼に値すると聞いた事があるが、俺が感じているこれもそうなのだろうか。
(いや、違うな)
これは自分を下げないための借りの押し売りだ。
ただのマウントの奪取。相手にその気は無い、完全な独り相撲。
二人で俺の部屋に戻り、離れた位置に腰かける。
視線も合わせず、一言の会話を交わすこともなく、俺達は床につく。
一定の距離が開けられた二つのベッドに寝転がり、背を向けている。
(…………)
眠れない。いつにも増して余計なことを考えてしまう。
この倦怠期の夫婦みたいな状況も相まって、睡眠を妨害してくる要素がてんこ盛りだ。
(そういや、ここには電話あったよな? 明日は朝一で連絡しないとな……)
携帯壊されたこともしっかりと告げ口しておこう。
こんな目にあったんだ、何かやり返さないと気が済まない。
「…………――――――」
ああ、段々眠くなってきた。
今日もしっかりと疲れている。だけど多分安眠はできない。
▪▪▪
炎の中で咆哮が轟く。
それはただの空気の振動。しかしその規模と籠められた魔力の量が、たかが振動を凄まじいまでの破壊兵器に仕立て上げていた。
積み木が崩れるように家が崩壊し、空き缶を潰すように人が死んでいく。
私の記憶に縛られて消えない、凄惨な記憶。
降り注ぐ瓦礫の雨を運良く避けた私は、すぐ近くの脅威が過ぎ去るのを震えながら待っていた。
「――――うぅ」
鼻腔を擽る肉と血が混じり、焦げ付く匂い。
どこかで油の弾ける音が聞こえた。
遠くからは悲鳴が聞こえる。まだ誰か生きている人間がいたみたいで、悲鳴や断末魔が絶えるまでに結構な時間を要していた。
それも次第に消えていく。そして残ったのは私の極限まで潜めた呼吸音と弾ける音だけ。
殺戮が終了したのだと、私は理解した。
しかし脅威は去らない。何かを探しているのか、未だに近くをうろついている。
物心ついた時から一緒に過ごしてきたパパ、ママ、
毎日一緒に保育園に通っていたミカちゃん、マルちゃん、コズエちゃん。
近所の駄菓子屋のお爺ちゃんに、スーパーでいつも顔を合わせるパートのおばちゃん。
私の日常の中で当たり前にあった存在が、一瞬にして吹き飛んだ。
怒りも憎しみも確かにあり、しかしそれら全てを塗り潰すほどの圧倒的恐怖。結果、私は動けない。
込み上げる吐き気と今にも泣きだしそうな自分を壊れかけた理性に必死に抑える。
(助けて、誰か助けて……!)
その祈りが通じたのは、いつだっただろうか。
何せもう半分気絶状態だったのだ。時間感覚どころか、五感全てが無くなってしまっていたに違いない。
「大丈夫?」
瞼越しに感じる、暖かい感触。
ゆっくりと目を開けると、そこには女性が立っていた。
ベージュの長髪に私と同じ赤色の瞳。背が高く、見惚れてしまうほどの体つきをした彼女は汚れ切った私を見るや否や、ぎゅっと抱きしめてくれた。
「ごめんね……! 間に合わなくて、ごめんね……!」
そう言われた瞬間、必死に堰き止めていた思いが決壊して溢れ出した。
喪ってしまって悲しくて、私から全部を奪った魔竜が憎くて、助けてくれなかったお姉さんが憎くて、でも感謝もしていて。
色んな思いを、喉が潰れるまでぶちまけた。
彼女は、何も言わずに聞いてくれた。
「…………おはよう」
誰に聞かせる訳でもなく、私は呟く。
ただで部屋を貸して貰ったから、自然にその言葉が出てきたのだろう。
「また、同じ夢……」
ベッドから立ち上がり、私は目の前に広がる景色を見つめる。
平和というのは盤石に見えて、その実砂上の楼閣だ。理不尽というのはある日突然やってくる。
あのお姉さんには今でも感謝しているし、会ったらあの日のことを謝らなければならないと思っている。
(けど、全く同じにはなれない)
私はどこかで凄惨な事件があったとして、それに間に合わないなんてことは嫌だ。
そこに人が居るなら絶対に助けるし、絶対に脅威を打ち払ってみせる。
何の罪の無い人が理不尽で死んでしまうなんて、私には我慢ならないから。
「この世界に、ヒーローは居ない……」
なら、私がヒーローになるんだ。
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