ヒナタの想い
「どうにかしてここから脱出しねぇと……」
焦燥が止まらない。
目が覚めてからもうどれくらいが経過しただろうか。時計の携帯も無いこの空間では何一つ把握できない。
ただ時間だけが過ぎていっているのだという感覚だけがある。
「黄泉坂の野郎……。アイツが携帯を壊したりしなきゃこんなことにはならなかったかもしんねぇのに……」
この場にあるのは僅かな水だけ。空腹を満たすこともできない状況でできることはこの場に居もしない人間に対して恨み言を吐くだけだ。
そしてその行為には何の意味も無い。だが、そうでもしなければ溜飲は下がらない。
「…………落ち着こう。焦っても、どうしようもないよ」
そんな時、北風が呟いた。
「黄泉坂君だって、私達のこと見捨てるなんてことはしないでしょ。もしかしたらもう魔導省に連絡してくれてるかもしれない」
北風の表情は気丈だった。さっき『遊園地狩り』に襲われそうになったというのに、瞳には力強い光がある。
「もしそうじゃなくても、大丈夫。私がきっと何とかする」
「何とかって……」
この状況で一体どうするというのか。
魔法は使えない、身動きも碌に取れない。水滴が岩を削るようにジワジワと、体力が消耗していく。
俺達が置かれているのは、そういう――。
「黙ってると変な想像ばっかりしちゃうからさ、少しお話しない? 私、産神君のこと気になるな」
「お話? 俺のこと?」
コイツはいきなり何を言い出すのか。そんなことして一体何の意味が……。
「君はさ。どうして魔道具の道に進んだの?」
「……それは」
気がついたら、口が動いていた。
理由は、俺も苛つくことに疲れていたのかもしれない。
「俺は見下されて生きてきた。物心ついた時からあったのは軽蔑、侮蔑、憐れみ。誰も俺のことを励ましたりとか褒めてくれる人間は居なかった」
この世界の正道は詠唱魔法で、魔道具は邪道。
魔導士が花形で、魔道具職人は下職。それがこの世界の常識であり秩序だ。
少なくとも、俺の居た場所はそうだった。
「くだらねえと思った。けど実際、ウチに媚び売ってくるだけのクソ共にも俺は勝てない。それが心底腹立たしかった」
道を歩く度に聞こえてくる陰口、罵詈雑言。
幾らこの世界が物語だと思っていても、浴びせられているのは俺自身。
そんな折に、自覚したのだ。この世界は物語で、俺は倒されるためだけに存在している悪役であると。
その時は心の底から絶望したし、悲観した。
運命、定め、法則。世界には俺の命を奪おうとしているものが溢れている。
そして、何よりも。
「ムカついたんだよ。俺を見下してくる理由がわかって、心底。何で俺だけ、何でアイツ等ばっかりってな。だからぶっ壊してやろうと決めた。この世界が長年かけて作り上げてきた伝統とかそういうの全部更地に変えてやろうってな」
それだけだ。本当にそれだけ。
けど実際、それだけが俺を動かす原動力だった。それがあるからこそ、俺は十年もの間一生懸命になれた。
前世でもしたことが無い程の圧倒的没入。楽しかった。
「けど……」
脇目も降らずに進んだ結果、俺は失った。
師匠とか、情熱とか、色々。
魔道具を作ることは楽しいと、今でも思う。けど、前よりも没入できるかと聞かれれば答えは否だ。
「……それは、どうして?」
「……わからん。初めて人を殺して、何かもう色々わかんなくなった」
理解はできるが納得できない。
けど、あの時点で他に方法があったのかと聞かれれば多分無い。
じゃあもっと前に、俺はどうすれば良かったのか。
「想像してみろって、言われてもなあ……」
この世界は本じゃないんだ。目に見えない物を見ろと言われても、無理だろう。
何か見えたとしても、それは見えた気になっている憶測に過ぎない。
本人に聞いてみないことには何とも言えないじゃないか。
「……ああ! もうまた気持ち悪くなってきた! ハイ、もう終わり終わり! 俺ばっかりに話させてないで、お前も語れよ!」
また頭がこんがらがってきて、俺は北風に話のバトンを渡した。
「私? 良いよ、何について聞きたい?」
何について、か。
俺は浮かんだ原作知識を放り出し、口を開いた。
「何でお前はここに来たんだ? わざわざ国家魔導士の独断専行に首突っ込んでまで……」
「知っちゃったから。『遊園地狩り』ってのがここに来てるって」
「は? それだけか?」
「うん。それだけ」
変な奴だな。俺は率直な感想を口に出す。
つまり北風はどこかしらから聞きつけた情報を鵜呑みにしてここまでやってきたというのか。
「それだけで良くここまで動けるな」
「動かないよりはマシだからね」
その口調には重いものが籠められている。
読者だった俺は知っている、彼女の過去を。
「けど、それ以上に私は強くなりたいんだ」
「強く?」
俺の反復に彼女は頷く。
「私の家族ね、もう死んでるんだ。十年前、魔竜に殺されたの」
知っているという言葉をどうにか飲み込み、俺は北風の言葉に耳を傾ける。
「家族だけじゃない。近くに住んでた人達全員殺されて、私だけが生き残った。魔導士が来て魔竜を倒してくれた時には、もう辺り一面焼け野原だった」
北風の拳がギシリと音をたてる。
蘇る悪夢を思い出し、噛み締めているのが良くわかる。
「それは……」
「同情はしないで。そんなものに意味なんて無いから」
わかっていることとは言え、改めて聞かされるとやっぱり感じ入るものはある。
だが慰めたところでどうにもならない。北風は暗にそう言っている気がした。
「悔しかった。怖かったし、私一人が動いたところでどうにもならないとか考えちゃって、結局私はジッと隠れてることしかできなかった」
それは仕方の無いことじゃないだろうか。
十年前、北風は当時五歳。さっき人質に取られた子供とそう変わらない年齢だ。
まだまだ親の庇護にあるべき存在で、魔竜なんて存在に立ち向かうなんてできないし、するべきじゃない。
だが、彼女はそれらの正論をすべて投げ棄て、それでもと言う。
「何より、嫌だった。何もできずにただ全部が焼かれていくのをただ見てるだけだなんて私には耐えられなかった」
俯き、鉛を吐き出すかのように心中を吐露する北風。
直後、顔を持ち上げ、言う。
「私が立ち向かうのは見てるだけなのが嫌だから。例えそれが無謀だとしても、死んでしまうかもしれなくても、棒立ちになるよりは、マシだから」
ああ、何て強い。
俺は後悔していた。彼女と話したことに。
わからない。一体どうしてそんな強い顔をしていられる?
一体どうしてそんな気高く振る舞える?
「死ぬだけじゃない。……人を、殺すかもしれないんだぞ」
北風はまだ知らないんだ。人を手にかけたという現実、その先に待っているものを。
「飯がマズくなる。夜眠れなくなる。周囲の景色が皆色褪せて、楽しいと思えなくなる。……思っちゃいけなんだと、思うようになる」
それが大切な人であればあるほど辛くなる。積み上げてきた誇りが、埃のように舞って散る。
「なあ北風、教えてくれよ。もしもお前の命を、大事な物を誰かが奪いに来るとして、お前はそいつを殺せるか? 殺して、その先普通に暮らしていけるのか? こればっかしは強くてもどうにもならないぞ」
この世界は命の危機に満ちている。
戦うことを選ぶなら、いつか必ずぶつかる壁。
覚悟を決めろと人は言うかもしれないが、それってそんなに簡単なことじゃない。
それはまるでさざ波のようにゆっくりと。
しかし絶えず心を乱す。落ち着く時は永遠に来ない。
「命を奪うって、重いぞ?」
沈黙が流れる。
意地悪すぎる質問だったか。
人殺しの自分を肯定できるかどうかなんて、やった人間にしかわからない。
質問を撤回するために口を開こうとする。
だが、その前に北風が口を開いた。
「私は、やると思う。迷っている間に大勢の人が死ぬなら」
「……簡単に言うなよ」
「そんなつもりは無いよ。ただ、あの時生き残った私にできることなんて、それくらいしか無いから」
「……え?」
「迷ってるうちに人が死ぬ。私が弱くても人が死ぬ。だから立ち向かうし、強くなりたいの。それが私の動く理由。……強くなれば、より多くの人を救えるから」
やめろ。やめてくれ。何でそんなに力強く言えるんだ。
殺す恐怖を知らない癖に。失う悲しみしか知らない癖に。
何でそんな、物語の中のヒーローみたいなこと言うんだよ。
「例え敵を殺しても、私は護るよ。皆も、君も」
「もう、いい」
「え?」
「話しかけんな。……ムカつくから」
俺が行っていることは何も間違っていないはずだ。
殺したくない。その結果自分が傷つきたくない。
普通のことで、おかしくなくて、人として称賛されるべき想いのはずだ。
なのにどうして、俺はこんなに惨めな思いをしている?
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