欲望の代償
「アアあああアアああぁああァァァぁ!!」
それはこの世のものとは思えない悲鳴だった。
男は喉を搔き毟り、呼吸すら忘れたかのように藻掻いている。
口から鼻から、目から。夥しい量の血液が溢れ出て止まらない。赤黒い水溜りの上で、殺虫剤を浴びた蟲の如く男は暴れ回っている。
その異常な光景に、俺達はただただ絶句していた。
「これは……?」
「副作用っすね」
戦慄している北風の答えたのは苦しむ男を淡々と見下ろしているカロンだった。
「魔力そのものが変質したことに肉体が耐えられなかったみたいっすね」
「魔力が変質……?」
「そっす。このおじさんはこの薬の影響でファミリアって存在に変貌したんすよ」
カロンは一本の注射器を取り出し、俺達に見せる。
中には血のような液体が詰められている。見るからに不気味な代物だ。
「俺ら吸血鬼は血を吸うことで人間を
カロンは再度男を見下ろし、溜め息を吐く。
「中々上手くはいかないっすね。まあ最初の実験だからこんなもんでしょ。全く、身の丈に合わない欲望を持つからこんなことになるんすよ。まあ所詮は
しょうがないしょうがない、と言いながらカロンは男の身体を持ち上げた。
そしてどこかへと去ろうとする。
「待って!」
カロンの背中に北風が声を荒げる。
「まさかそのために『遊園地狩り』と手を組んだの? そんな実験のために、ここを襲ったの!?」
その疑問に対する返答は実に軽いものだった。
「そっすよ? いやまあ、完全にそれだけって訳じゃないっすけど……、まあ半分くらいは」
「……! ふざけるな!!」
北風は怒髪天をつかれたような勢いで言葉を吐き出す。
その全てに、強い憎悪が込められていた。
「お前達魔族はいつだってそうだ! 遊び感覚で、下らない理由で、多くの人を殺してきた! 多くの未来を奪ってきた!」
彼女はまるで血を吐いているようだ。
腹の底で煮えたぎっている血潮を全て吐き出す勢いで、北風が吼える。
「私は絶対にお前達を許さない! お前達の計画は絶対に阻止する! この私が、必ず!!」
しかし吸血鬼からしてみれば、今の彼女の激情など檻の中の獣の咆哮でしかない。
確かな迫力こそあれど、結局は自分を噛みちぎることなどできはしないのだから。
「おー、確かに凄い執念っすね。ま、頑張ってみたら良いんじゃないすか? 君には何の可能性も感じないっすけど」
カロンは顔色一つ変えずに去って行く。その表情には侮蔑の恐怖も無い、ただひたすらの無関心が広がっていた。
▪▪▪
吸血鬼カロンによって召喚された魔蟲を苦も無く始末した後、俺は豪勢な部屋でとある人物と向かい合っていた。
彼女を訪ねた理由は協力をとりつけるため。今海神SOSに潜んでいる邪悪を打倒することは一人では難しい。
戦闘力という点では問題無いが、情報の漏洩という点においては不可能だ。
だから手を借りる必要がある。この場所で最も権力を持つ人間の手を。
「……成程、吸血皇の眷属に謎の怪人か」
「ああ。確かにこの場所で活動している」
この場で最も権力を持つ人間、海神セインは自身のこめかみを指で押さえ、どこか納得したように頷いた。
「だから彼は来なかったのか」
「彼?」
「いや、こっちの話さ。それで? 君のお願いというのは?」
「二つある。一つはこの数日、ここで起こる戦いの情報を外に決して漏らさないで貰いたい」
もしも漏れてしまえば必ず魔導省が首を突っ込んでくるだろう。
何せ眷属が居るのだ。通常ならばここら一帯の人間を避難させ、特別警報を発令した後に可能な限りの戦力を結集させて相対すべき相手。
幾ら実力のある魔導士と言えど、単騎で、しかも無許可で挑んで良い相手ではない。
「……それは、私の庭に蔓延っている害虫を見逃せということかい? 私の星々から
セインの顔に怒りが現れる。
当然の疑問だ。ここは彼女にとって強い思い入れのある場所。
穢されるのは我慢ならないのだろう。
「俺が必ず仕留めるということだ。勿論、犠牲は一人も出さない」
俺は強い口調で断じた。
この言葉を違えるつもりは無い。寧ろ、そのくらいは当然だ。
「二つ目は?」
「囮になってほしい。敵の目的の一つは、恐らく君だ」
眷属が自ら動くなどそう起こることではない。
特に吸血皇一派は竜人一派や悪精一派と違って慎重だ。何らかの確信を得た時にしか動かない。
「君に流れる色濃い『神の血』と、君が持つ『
海神SOSに対する破壊行為など、セインが許すはずもない。
それはつまり、それが起これば必ずセインが出てくるということだ。
それを利用して、奴等を一網打尽にする。
「……二日だ。今から四十八時間、それ以降は待てない」
「十分だ。協力に感謝する。詳細は追って伝える、スケジュールを開けておいてくれ」
俺は彼女に頭を下げる。
助かった。これで第一関門突破と言ったところか。
「おや、もう行くのかい? 折角だし、お茶でもしていけば良いのに」
「実に魅力的な提案だ。俺も是非共にしたいところなんだが、今回ばかりは遠慮させて貰うよ。カロンの放った魔蟲が他に居ないとも限らない」
「そうか。健闘を祈っているよ」
俺が立ち上がり、扉に手をかける。
出て行こうとした直前、背後からセインの声が届く。
「ところでグリム。ヒーローショーは好きかい?」
「は?」
また随分と急な質問だな。
まあ、答えるくらいなら造作も無い。
「嫌いだな。日曜の朝に流れるような甘ったるいものは見ていて吐き気がする。この世界にはヒーローでない人間しかいないのだからな」
勿論、この俺も含めて。
「そうか。私は嫌いじゃないけどね」
「だろうな」
セインが主役になって行うヒーローショーはここの名物の一つだ。
好きでなければ成り立たない。
「今私にとって、とても特別なゲストがここに来ていてね。彼には是非私が主演の舞台に立ってほしいんだ」
「君が舞台に他人を? それは、何とも珍しいな」
「初めてさ。だけど私は彼に何でもしてあげたいんだ。欲している物があれば与えてあげたいし、迷っているのなら手を取って導いてあげたい。それほどまでに特別な存在なんだよ」
セインは頬に手を当て、恍惚の表情でそう語る。
あの海神セインがここまで入れ込む存在が居るとは、非常に意外な事実だ。
スキャンダルで済む問題じゃない。
「だからグリム、どうか私の憂いを排除して欲しい。君の言う甘ったるい妄想を、僅かな時間でも現実に透写できるようにね」
「……ああ、わかった」
昔から思っていたことがある。
出会った時からずっと、彼女は不気味だ。
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