拉致

「最っ悪だ……」


 薄暗く黴臭い、狭苦しい空間の中俺は声をあげた。

 気絶している最中に嫌な記憶を見せられたし、目が覚めたらこんな場所に放り出されている。

 殴打による腹の痛みがまだ残っている。


 隣には糸でグルグル巻きにされた北風が目を閉じていた。

 

「…………っ」


 その北風のゆっくりと目を開ける。

 そして自身の置かれた現状を把握し、唇を噛み締めていた。


「よう、おはようさん」


「産神君……。ここは一体……?」


「さあ。俺ここの責任者じゃないし、こんな場所見たことも聞いたこともねぇよ。まあ本来客が入るような場所じゃないのだけは確かだろうな」


「私達、捕まったのね……」


 俺達二人とも糸で縛り上げられている。

 殺されはしなかったようだが、一体これからどうなるのかは想像もできない。

 身代金か、はたまた快楽目的の殺しか。

 あの怪物の言動から推測するに後者のが可能性は高そうだ。


「なあ、北風。お前魔法使えないのか?」


「無理。魔力にはまだ余裕があるけど……多分この糸のせいだと思う」


 北風の身体に巻き付いている糸は若干赤みがかっている。

 俺にも同様のものが使われているが、特に体調に変化は無い。


「多分体外への魔力放出を抑制するもんだろうな。……参ったぜ、あの怪物こんなのも使えんのかよ」


 あんな如何にも一話で倒されそうなゲスト怪人に連れ去られるなんて不覚にも程がある。

 奴が子供の人質なんて姑息な真似をしなければ、今頃勝っていたはずだというのに。


「いや、この糸は多分……」


 北風が何かを言いかける。

 しかしそれに被せるように重い鉄の動く音が聞こえた。


「やーやー、お二人とも。意外に元気っすね~」


「……誰だテメェ?」


「吸血鬼……!」


「は? 吸血鬼?」


 俺は目の前に居る軽薄そうな男を見つめる。

 正直暗くて顔の全貌はわからないが、一見普通のイケメンといった雰囲気だ。

 だがその魔力を感じた瞬間、全身に悪寒が走るのがわかった。


 成程、確かに普通の人間ではないらしい。

 

「そこのお嬢ちゃんには教えたっすけど、改めて吸血皇の眷属が一人、カロン・セギュールっすよ。以後よろしくっす」


「眷属!?」


 俺は思わず大声をあげてしまった。

 眷属、吸血皇。最悪だ。最悪の大物と出くわしてしまった。

 噴き出た冷汗が頬を伝って、コンクリートの床に落ちる。


「流石は産神のお坊ちゃん、俺らのことちゃーんと知ってるっすね」


 眷属。それは人類と敵対する魔族の中でも最高峰に力を持つ存在。

 人類排斥派の魔族の頂点に立つ四人の魔族、その直属の配下である。


 原作ではその凄まじいまでの力を振るい、多くの人間の命を奪った最悪の敵だ。

 当然十七年前の災厄の時にも姿を見せており、自身の主である吸血皇の援護をしたという。


 吸血鬼カロンが空間内に灯りをつける。

 闇と重なっていたそのシルエットが明らかになる。


「……聞いてた顔と全然違うな」


「変えたんすよ。あの戦い以降、俺らは決して軽くない傷を負っちまったんで、療養する必要があったんす」


 そう言えばあったねそんな設定。

 まあどうでも良い事ではあるが。


「……どうして私達を攫ったの? 目的は何?」


「さあ? 何なんすかね? 少なくとも君等を選んだのは俺じゃねえっす。俺の目的は君達とはまた別で、今は経過観察の最中」


「経過観察?」


 カロンの視線の先が別の場所に向けられる。

 そこには先程の蜘蛛の怪物が居た。


「漸くお目覚めかクソガキ共」


 怪物の身体が変化する。赤黒い血のようなエネルギーがその全身を覆い、そこから人間の姿が現れる。

 見た目は一言で言うなら小太りの中年男性。

 そいつは下劣な笑みを浮かべながら俺達を、特に北風の身体を舐めまわすように見ている。


「ハハハハッ! やっぱ良い身体してんなお嬢ちゃん! 流石は名門校の生徒。魔力の多い人間は肉体的成長が凄まじいと聞くが、こりゃ確かに凄いわ」


 成程、なんてわかりやすい奴だ。


「最っ低……!」

 

「お前、女の身体目的で暴れたのかよ。しょうもねぇ……」


「黙れ、落ちこぼれのゴミ野郎!」


「ゴハッ!」


 俺の腹に蹴りが入る。

 怪物状態の時よりはマシだが、今だと結構キツイ。胃液が込み上げてくる。


「お前なんざ用事が済んだら殺してやるよ。どうせ誰も悲しまねぇだろ?」


「えー!? 殺しちゃうんすか!?」


 心の底からの軽蔑の眼差しと共に唾を吐きかけられた俺の身に下ったのは殺害宣言。

 武器の無い今の状態では、宣言通りの結末が下されるだろう。

 しかし、それに待ったをかけたのはまさかの吸血鬼だった。


「あ? 何か問題あんのか?」


「いや勿体ないでしょ! この子おじさんなんかとは比べ物になんない程の天才クンっすよ!?」


「ああ!?」


 カロンの発言に男が怒りの声をあげる。

 そんな男の様子などどこ吹く風で、カロンは俺と視線を合わせる。

 そしてとある物を取り出した。

 

、君が作ったんすよね?」


 サモンツブッシャー。俺の手の中から消えていたそれを提示し、カロンは俺に尋ねる。


「……だったら何だ。人の努力の結晶を汚い手で触んじゃねぇよ」


「ハハハ、それは失礼。素晴らしい技術が用いられてるもんで、つい」


「は?」


 それは意外な言葉だった。

 いや、言葉の流れから貶される雰囲気ではないのは察していたが、まさかここまでストレートに褒められるとは思ってなかった。


「魔道具の分野は齧る程度っすけど、それでもこれがとんでもねえのはわかるっす。なんせファミリアと互角以上に渡り合えるどころか単騎で圧倒できる性能じゃないっすか。リリスちゃんがこれ見たら絶賛ものだと思うっすよ」


「…………」


 コイツは、今純粋に俺のことを褒めている。

 クソ、何か調子が狂うな。


「チッ!」


「ガハッ!」


 また蹴られた。今度はさっきよりも強い。


「……コイツは殺す。これは決定事項だ」


「ええぇー? ……まあ良いっすけど。そんならコイツは貰っとくっすかね」


「ふざけんな!!」


 冗談じゃない。あんな奴に俺の力作が盗られてたまるか!


「クソッ! 外れねぇ……!」


「そりゃそうっすよ。俺の血が練り込んである特性の糸。魔力を封じて身体の自由を奪う特別品っす」


 駄目だ、どうやっても外れない。

 このまま殺されるなんて死んでも御免だ。

 けど、この状態ではどうしようもない。見下ろしてくる吸血鬼を睨みつけるだけで精一杯でしかない。


「ああイライラする! お前が余計なこと言うからだクソが!」


「ええ、俺っすか? 事実を言っただけっすよ」


「協力者じゃなきゃ今すぐ殺してるとこだぞゴミ野郎が……! おいガキ! 来い!」


「グッ……!」


 男は無理矢理北風の身体を持ち上げる。

 そして彼女を顎を掴み、瞳が重なる寸前の距離にまで顔を近づける。


「この苛立ち、お前で鎮めさせて貰おうか……!」


「離してっ!」


「嫌だね! 俺はずっとこうしたかったんだ! 俺をクビにしたあのクソ上司もこんな感じの女だったっけなァ! 気の強い女を無理矢理組み伏せてぶち込んでやる快感と言ったらもう! たまんねぇよオイ!」


 コイツ、マジで最低のクソ野郎だな。

 ゴミはどっちだよ。


 髪を引っ張られ、強制的に連れて行かれそうになる北風。

 しかし彼女がこのままやられるわけもなく、思い切り足を振り上げた。


「ほぐぅ!?」


「うわ、クリーンヒット。いたそー」


 男の股間に叩き込まれた全力の蹴り。

 幾ら怪物に変貌できる人間とはいえ、流石に生身の状態で急所に攻撃を当てられるのは堪えるらしい。


「テんメェ、このガキィ!!」


 怒り狂った男が北風に飛び掛かる。

 しかしその直後、男は前のめりになって倒れた。


「…………あぇ?」


「あっちゃー、これは……」


 カロンが頭を抑える。

 その直後、ぽたぽたと液体が落ちる音が響く。


「ゴポォ――――」


 ドチャリと、男の身体が赤と黒の泉の中へと沈んでいく。

 そして。


「ギぃアアアアァァあああああああああ!!!」


 絶叫が、この狭苦しい空間を満たした。

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