気に食わない

 あの日の夜、俺は黄泉坂と対面した。


 転生を自覚してからずっと意識してきた人間との一対一での初対面。

 俺達の希望によって周囲には誰もおらず、ゆったりとした夜風が流れる庭の中で俺は奴の顔を見た。


 不思議と憎悪のような感情は湧き上がってこない。今回の件に奴は全く関わっていないため当然と言えば当然なのだが、その時まで俺はまるで義務のように主人公とその仲間達だと定義した者達を憎んでいたため、少しだけ違和感があった。

 

「…………」


 黄泉坂はただ俺を見つめてくる。俺も何から切り出して良いかわからず、互いに何も言いださない沈黙が流れる。

 だがこのままでは良くない。そう思ったゆっくりと口を開いた。


「何の用だ?」


 雰囲気的に世間話から入れる感じでもなく、出てきたのはシンプルな問い。

 正直国家魔導士の名前を出した時点で要件はわかりきっているが、自分からそれを話すのは少し忌避感があった。

 

「……先日の学園での騒動のことだ」


 切り出されたその口調は存外低い。まるで込み上げる溜飲を飲み込んでいる様子で、黄泉坂は俺を見据える。


「……それなら、もう話せることは全部話したぞ」


「だろうな。お前の証言と確認された事実には何一つ食い違いは無かった」


「なら何で……」


「お前、ウィズの助手だったというのは本当か?」


 黄泉坂の眼には力が籠っている。

 そこにあるのは怒り? 悲しみ? はたまた絶望?

 正直、よくわからない。今まで他人の内面を見ようともせず、ただ自分のためだけにひた走ってきた俺には他者の心というものを汲み取る力に欠けている。


 だから今は足りない知識からなる憶測を捨て、ただ提示された文面への答えを示す。

 それ以外には何もできないし、するべきではない。


「ああ、そうだ。昔どうにか生きていく知恵をつけるために、母さんに頼んでつけて貰った家庭教師だ。そこから色々あって、助手にして貰った」


 正確には助手にして貰ったのではなく、大事な生贄として手元に置かれていたというべきだが。

 しかしその立場があったからこそ、俺は自分だけの武器を作れた訳であり。

 ただ純粋に吐き捨てるのは憚られるというのが本音だ。


「そうか。……つまりお前は彼女の一番近くに居ながら、彼女の変化には一切気がつかず、あまつさえその命を奪ったと。……そういう訳だな?」


「……あぁ?」


 黄泉坂の言葉に明確な悪意と侮蔑が宿り、そこで漸く、奴の抱いている感情の一つが俺に対する怒りであると理解した。


 同時に苛立ちが湧き上がる。

 確かに奴の言っていることは正しい。俺は何一つ彼女の心持ちを把握できていなかったし、彼女の命を奪った。

 後悔もしているし、その日の夜は感触が手に残って眠れなかった。嘔吐もした。


 十分に後悔したからもう良いなんて温いことを言うつもりは無い。

 それでも尚、奴から向けられているこの感覚は我慢できなかった。

 理由は、この時はまだわからなかった。


「ウィズ・ソルシエールは常に完璧な女だった。強さ、気品、魔道具職人としての腕前。全てが一流で無駄が無い。エリートという言葉ですら彼女を表現するにはまだ足りない、そんな完全無欠を体現したような魔導士だったんだ」


「……それが?」


「そんな彼女が一時期失踪した。どうしてそうなったのかは大体想像がつく。俺も同じ職場に居たし、似たような目にあった。嫌気がさすのも良く理解できる」


 黄泉坂の語っていることは俺の知らない知識だった。

 どういう意味だと尋ねる間もなく、奴は矢継ぎ早に語っていく。


「だがその結果行き着いた先がお前を助手にすることだと言うのは、どうも理解できない。彼女は無駄を嫌い、常に効率を追い求める女だった」


 何を言いたいのか、段々わかってきた。


「つまり俺がウィズの助手をしていた時間は、完全に無駄だった。って言いたいのかお前は?」


「そうだとも。お前の評判は聞いていた。膨大な魔力こそ持つものの、体質のせいか詠唱魔法は使えず、ただ優秀な遺伝子を持て余し、家柄が生み出す甘い蜜を吸って寄生している道楽息子。それがお前に対する評価だ」


 随分と好き勝手言ってくれる奴だと俺は眉間に皺を寄せた。

 俺は何も寄生をしていた訳じゃない。十年近く研究と鍛錬に励み、知識と技術を手に入れた。そしてその成果も存在している。

 何より、その時間を一秒も知らない人間に侮辱されるのは我慢ならない。

 

「……やっぱり俺のこれは悪癖だなぁ。意識を変えようにも中々治りやしない。お前を、もう少しマシな人間だと思ってた」

 

 原作にて黄泉坂が俺を舐めていたのはアサヒが奴の評していた通りの人間だったからだ。

 今の俺は違うし、原作とは異なる道を通っている。

 だからこそ、もしかしたら幾分マシな関係性になるのではないかと期待した。


 それこそが、額面通りにしか受け取らないという証明であるにも関わらず。


「随分と偉そうに言ってくれるな年齢詐称のクソ野郎。だったら何か? お前だったらウィズのことを救えたとでも?」


「当然だ。お前とは付き合いの濃さが違う。俺達は常に互いを高め合い、語り合った仲だ。俺ならば彼女の変化に気がつくことなど造作も無かった。助手を求めていたのならもっと優秀な人間を紹介した。そうすればお前のような落ちこぼれの出涸らしに頼る必要も無かったろうに……!」


「はっ、やっぱそうじゃねぇか。お前はウィズがやろうとしたことを何もわかってねぇ。お前の勝手な理想をウィズに押し付けて、アイツのことを見ようともしてなかった。 ……俺達は同じ穴の狢だよ」


「……何だと?」


「アイツがどうしてあんなことをしたのか、最後に俺は聞いた。お前には一生理解できないだろう理由だったぜ。教えてやんねーけど」


 原作ではハーレムを築いていた黄泉坂にこんなこと言っても単なる負け惜しみにしかならないかもしれないが、それでも言っておかなければ気が済まない。

 そもそも、コイツの怒りには何の正当性も無い。ただ自分の中の鬱憤を晴らしたいがための八つ当たりだ。


「少なくとも俺の見てきたアイツは完全でも無欠でも何でも無かった。自分の弱い心に押しつぶされただけの、普通の人間だ」


「お前に彼女の何がわかる……!?」


「……俺にわかるのはそれだけだ」


 最後の言葉はただ小さく呟くだけ。

 少しでも黄泉坂に隙を見せたくなかったという意図によるものだが、同時に何度でも自分に言い聞かせておかなければならないことでもあったからだ。


 だがしかし、一切何もわかっていないとは思いたくない。

 休憩時、一緒に紅茶を楽しんでいた時や俺の作ったものにダメ出しを行う時。

 あの時見せていた暖かな顔が嘘だとは思いたくないのだ。


「……俺はもう戻るぞ。お前のしょうもない癇癪に付き合う気はもう無い」


「…………何故お前なんだ。」


 言いたいことは言った。

 俺は背を向け、家に戻る。

 

 扉に手をかけながら、俺は拳を握りしめる。

 アイツはウィズのことを疑ってないんだ。昔の一側面の記憶だけを頼りにして、それを必死に守っている。

 そりゃそうだ。完全無欠の魔導士がそれとは程遠い愚行に手を出したんだから。


 認めたくない。何かの間違いであって欲しい。

 きっと、あの助手に原因があるに違いない。俺達の間で起こったのは、そんな責任の押し付けだ。


「くだらねぇ……」


 そんなことをしたところで、もう彼女は戻ってこない。


(やっぱり、同じ穴の狢だな……)


 ベッドの上での微睡みの中、俺はそんなことを考えていた。

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