セインの人生
「お~、集まってる集まってる。
そこは陽光遮る日傘の下。吸血鬼カロン・セギュールはグラスに注がれた冷たいサイダーを飲みながら感情のままに笑う人々の姿を視界に収めていた。
彼らは笑顔で、この場所を心から楽しんでいることが伝わってくる。恋人、家族。皆幸せそうだ。
「マジ何で太陽光に弱いなんて体質なんすか吸血鬼は! ああ仕事じゃなくプライベートで来たかった……。そうすりゃ後の戦いとか気にせず思いっきり遊べたのに……」
カロンは白い机にうつ伏せになって自身の現状を嘆く。
だがその浮かない表情はすぐに切り替わった。
「ま、しょうがないか! 今は仕事仕事! 『神の血』を引くあの子と『神の力』を絶対ゲットしてみせるっす! さてさて……手頃な実験体は居ないっすかねぇ……」
ここはこの時間最も人が集まるレストラン街。
時刻は十一時三十分と昼食をとるには丁度良い時間帯だ。既にそこら中に人が集まり、座席取り競争が始まっている。
こういう場所では殺気立つ者も多い。カロンはそれを狙ってここに来たのだが。
「……な~んかもっと良さ気な
カロンがにやけながら見つめるその先には一人の太った男性。
彼はこの場に不釣り合いなほどに異様な表情を浮かべている。
「クソが、どいつもこいつも幸せそうにしやがってぇ……! 俺はこんなに不幸なのに、許せねぇ……! 粉微塵にしてやるよ、何もかもぉ……」
たった一人でブツブツと呪詛を呟いているその男に向かって、カロンは歩き出す。
「おーじさん! ちょっと良いすか?」
「あ、何だクソガキ!」
貼り付けたような笑顔で男に近づくカロン。
彼は怪しさを孕んだカロンに対し警戒心を露わにする。
「ああ良いっすね~、その憎悪! 全てを壊してやりたいと願うその邪悪な精神! わざわざ爆弾まで用意しているあたりピッタリっすよ~」
「な、お前何で!? ……クソ、テメェ黙りやがれ!」
カロンの視線が男のカバンの注がれ、彼はそれを隠すように立ち上がる。
こんな衆人監視がある中で魔法を使う訳にはいかない。しかしここで騒がれれば面倒なことになる。
その二つの間で板挟みになった結果男が選択したのは、食器として出てきたナイフで刺すという行為だった。
「おおっと、そりゃ無駄っす。俺にはアンタの陳腐な魔法も玩具も通じねっすよ」
カロンの目が紅く輝く。それはまるで鮮血のようで、男の身体が全身から血を抜かれたかのように力を失う。
「て、テメェ……! 何者だ……?」
「そんな睨まないで。俺はおじさんの敵じゃない、寧ろ味方なんすよ?」
「ああ……?」
カロンは微笑み、男の肩を抑えて椅子に座らせる。
そして不気味な装飾が施された注射器を取り出した。
中に入っているのは赤黒い謎の液体。普通なら不気味以外の何物でもないそれに、何故か男は目を奪われた。
「おじさんのしょっぼい魔力じゃ大した魔法は使えないし、かと言ってそんなチンケな爆弾でもこの場所に大した被害は与えられない。正直おじさんは魔導士としては下の下の下。ド無能っす」
「だ、黙れ! 俺は昔爆弾で大量に殺した男だ! しかも今回のはその数十倍の威力が……」
「本当にそんなんで満足っすか?」
「へ?」
「おじさんが本当に求めてるのって、殺しじゃないっすよね?」
カロンは男の隣に座り、口を耳元に近づける。
「おじさんが本当に求めてるのはぁ、コ・イ・ツ♪」
取り出した一枚の写真。そこには彼にとってのターゲットが写っている。
「さっきからバレバレっすよ~? そこ行く水着のおねーちゃん達に釘付けになってんの! あんなこと言っときながら下半身は正直なんすから」
「うっぐ……」
「け、どぉ~? そんな水着女子もこの子と比べたらゴミ同然っすよね? 見てくださいこの胸! 尻! どこの業界に行ってもこんな美人でエッロイ女子いませんよ!? てかこれどっちも余裕でメートル超えてますよね? これ思いっきり鷲掴んだら気持ち良いでしょうね~?」
男の顔がドンドン強張っていく。同時に盛り上がる一ヶ所。カロンは嗤い、最後の追い打ちをかける。
「けどおじさんにはそんな度胸無いから、そんな小さい爆発で誤魔化してるんすよね?」
「ぐぐぐぐ……」
「けど大丈夫っす。これさえあればおじさんは変われるっすよ」
カロンは注射器を振る。中身の振動に合わせて、男の目が揺らぐ。
「惨めな自分を変えて、欲望を解き放つ……。どうです? 今なら無料で一本プレゼントするっすよ?」
▪▪▪
「晴れないねぇ……。君のその曇り顔は」
時刻は夕方。
セインに様々なアトラクションへと連れまわされた俺は少々ぐったりとした身体で夕食の席についていた。
場所はビル最上階にある高級レストラン。
テーブルに並べられた豪勢な料理と美しい夜景。時と場合によっては心の奥底を震わせるようなシチュエーション。だが残念なことに今はそのような時でも場合でもない。
食欲が十分に刺激されて、味の素晴らしくはあるのだがやはり気乗りしない。
「その仏頂面は昔からだったとはいえ、こういう場くらい素直に楽しめば良いのに」
「うるせぇ。そもそも俺は来たくてここに来てる訳じゃないんだよ」
「……どういうこと?」
「そのままだよ。ウチの執事に無理矢理放り出されたんだ。メンタルケアだとか何だとか言ってな」
「メンタルケア……? ああ、そういうことか」
セインは納得したように首を数回縦に振る。
彼女の耳にも例の事件は届いているらしい。当たり前か。
「一年生は揃って事件の渦中に居たらしいが、君もそうか。戦ったのかい?」
「まあ、俺は魔導科のレクリエーションに参加したからな」
「へぇ、中々のバイタリティ。噂は本当だったんだ」
セインの言う噂とは俺が魔道具で魔導士になろうとしているという話のことだ。
小さいころ母さんやウィズの前で大きく宣言したものが広まったらしい。まあ、基本は嘲笑の種にしかならなかったが。
「……こっぴどく負けた、という訳ではなさそうだね? 散々嘲りに曝されてきた君のことだ。今更その程度で心が沈む訳がない。何せ、昔の君は蟹だったんだから」
「……ずっと気になってたんだけど、それどういう意味?」
「一つの歩き方しか知らないという意味さ。蟹という生き物は一部の例外を除いて基本は横歩き。ただし平衡感覚を失った時、彼らは前に歩く。君にピッタリだろう?」
平衡感覚を失った時に前に歩く。
セインには、今の俺が前に歩いているように見えているのか。
「見えるとも。昔の君は本当に唯一つのものしか見えていないようだった。極一部の例外を除いて他人に振りまくのは拒絶だけ。私達を見る目には憎悪すら籠っていた」
「……それは」
それは一切の反論の余地も無い、実に的確な言葉だった。
原作知識を持ち、そればかりを気にしていた俺。この肉体の影響もあってか自分以外の大多数に敵意を燃やしていた俺は確かにそのような少年だったはずだ。
「君を見たのはあのパーティの時だけだけど、それでも強く目に焼き付いているよ。あの時の君には狂気すら宿っていたからね。……まあ、近くであんな聞くに堪えない話をされていれば無理も無いが」
セインの顔は懐かしさに浸る顔だ。頭の中に残っている当時の記憶と今の俺を見比べて、彼女は笑う。
「だけど今の君は違う。ただ一つ、先にある景色を見ようともしていなかった時に比べて、真っ直ぐに前を見ている。視界の先には暗闇しか広がっていないのかもしれないが……、それでも大きな変化だ」
本当にセインは良く見ている。
パーティの時から思っていたが、彼女の目と言葉がそのまま心に染み渡ってくるような感覚。
店内のBGMが矢鱈と心地良く響いてくる。その揺蕩うようなリズムは今の心情と矛盾しているが、それでも何故か心地良い。
当時は不気味だと思っていたが、今はどういう訳か安心感を覚える。
今抱えている思いが、他者に話すべきことではないからだろうか。
だが――――。
「もし良ければ、私に話してくれないか? 何も弱みを握ろうなんて考えている訳じゃない。私はただ、純粋に君の力になりたいと考えているよ」
セインが人払いを済ませ、ここには俺と彼女の唯二人になった。
場が整ったからだろうか。
彼女になら話しても良いと、脳が認識している。
気がつけば、口が動いていた。
「……済まない。不躾なことを聞いてしまった。どうか謝罪させてほしい」
自然と口にしていた鬱屈を最後まで聞き届けた彼女は終了直後に頭を下げた。
「……別に。俺が勝手に話しただけだ」
別にこの場で解決するなんて都合の良いことは期待していない。
俺が抱くこれは多分一生ついて回る問題だ。本来なら一生部屋に閉じこもって出てこれない可能性だってあるような、そんなことをしでかしたのだから。
「だが済まない。不謹慎だとは自覚しているが、私は少々心が躍っているよ」
「は?」
「だってそうだろう? ここに居るのは避けられない宿命によって業を背負わざるを得なくなった哀れな少年。笑顔を失い、それをする意味を見失い、ただ暗い海を漂う少年だ。そんな人間を笑顔にしてこその私。……そうは思わないかい?」
セインは立ち上がり、芝居がかった動きで俺の前へとやってくる。
「私の人生は私が主役の舞台。そしてそれを取り巻く全ての人間は観客だ。その舞台上に立って視線を釘付けにする私には彼ら全員を笑顔にする義務がある。それが例え、消えない業を背負った少年だろうとね」
俺の唇に人差し指を当て、右目でウインク。
誰もを魅了するであろうその動きに、俺はただ啞然とするばかりだった。
「……正直なことを言うとね。私が帰国したのは直感があったからさ。私の人生という名の舞台に立ちはだかる大きな試練。そんな予感がしていたんだよ」
彼女は一体何を言っているのか。俺には理解できない。
そんな唐突に舞台だ人生だと言われても何もわからない。
「君が背負った業は良くわかった、だが安心してほしい! 丁度良い舞台装置が来てるんだ。それで僕が必ず、君を笑顔にしてみせるから!」
明日もまた会おう。
彼女は自身の連絡先を勝手に登録させると、その場を去って行った。
「…………一体何なんだ」
まるで嵐のような奴だ。
だが原作でも似たような人間だった気がする。正直良く覚えていないが。
「……あれ?」
ふと感じた。
夜景が映る硝子の向こう側から感じる、刺すような視線。
肌を何かで撫でまわされたかのような不快な感覚。
さっきセインから感じたあの感じとはまるで対照的なそれに、俺は思わず席を立つ。
もう今日は寝よう。
その思いで足早にホテルに戻った俺は、シャワーを浴びてすぐに床についた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます