第6話
お腹いっぱいでゆっくり歩いても、いつかは家に着くもので……。本当は天童さまとまだ一緒にいたい気持ちが大きいのですが、そういう訳にもいきません。
だから早く嫁ぎたいのですが、天童さまはわたくしが女学校を卒業するのを待つつもりでいらっしゃいます。早い子は中退して嫁いでいるので、わたくしも中退しても良いと思っているのですが、天童さまはその考えを許してはくださいません。
やはりこの婚約に乗り気ではいらっしゃらないのでしょうか。
「小夜さん、着きましたね」
「はい」
寂しい気持ちが声に乗り、拗ねた返事になりました。
「お茶でも飲んで行かれませんか?」
「いえ、明日早いので帰ります」
「そうですか……」
「小夜さん、手を出してもらえますか?」
「手?」
手の甲を上に向けたまま持ち上げますと、天童さまの手によってひっくり返されました。
何をされるのだろうか、と思っていると手の平に何かが乗せられます。
「これは?」
「
「紅?」
「憧れると、その……化粧に」
「わたくしに?」
「小夜さんに、です。ではまた」
踵を返し帰路につく天童さまにお礼も言えず、わたくしはしばし固まっておりました。
「な……、なんということ? 紅を? わたくしに?」
殿方からの贈り物が初めてで、しかも天童さまからいただいたとあって、わたくしは歓喜に震えます。
ただいまかえりました、と帰宅の声を出すのも忘れ自室に戻れば震える指で包みを丁寧に剥がします。バラが描かれた美成堂の包み紙。その中には薄桃色の小さな箱。赤色で『LipCream』の文字。
箱の中には親指ほどの大きさの口紅がありました。
それを手にするだけで、何だか大人の女性になったようです。
「ん〜〜〜〜!!」
声にならない喜びを噛み締め、手鏡を出します。
「少しだけ、つけてみてもいいかしら?」
紅は箱と同じ薄桃色でこわごわ唇を撫でるとうっすら色付きます。
「ん〜〜〜〜!!」
今すぐ天童さまに見ていただきたいわ!
今度は「可憐ですね」とおっしゃってくださるはずよ!
だって鏡に映るわたくしはいつもより幾分可愛く見えるのだもの!
憧れを手にしたけれど、家族に見られるのはまだ恥ずかしく、チリ紙で拭き取ります。
口紅は大切なものを仕舞う抽斗に入れて大事にいたします。これはまた天童さまとお出かけする時に。
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