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羽鳥イツキが加わってからD’ARCは火がついたように人気がではじめ、ものの一年も経たないうちにメジャーデビューが決まった。ラスト・インディーズの日本青年館公演のチケットを即日ソールド・アウトさせたころから、羽鳥は落ちる夢を見るようになった。
「昨夜もあれ見た」
まだ携帯電話は普及していなかった。居候していた守屋のアパートを出てひとりで暮らしはじめた羽鳥は、深夜、公衆電話からかけてきて、今からそっち行く、と言って押しかけて来るのだった。
「いつもの落ちる夢?」
「うん」
守屋に渡された熱いインスタントコーヒーを、羽鳥はふーふー、と吹いた。
「怖いとか、嫌だとか、いうわけじゃないんだけどさ。あんまり毎晩、同じ夢を見るから」
「ふうん」
「あ、これ、おれたち載ったやつだっけ?」
いかにも読みさしの、無造作に卓上に広げて伏せてあった音楽雑誌を羽鳥が手に取った。開かれていたページに「D’ARC 新たな高みへ」という見出しの、写真とインタビューで構成された記事が掲載されていた。注目が集まっているのを受けてか、インディーズバンドにしては破格の大きな扱いだ。記事を流し読みして、さらにパラパラと雑誌を捲っていた羽鳥が、は、と苦笑した。
「……まただよ。おれに羽はえてる」
ぐい、と守屋の眼前に突きつけられたページは、読者の投稿コーナーだった。「Itsuki」と筆記体で入っていることで羽鳥とわかる、睫毛の長い少女漫画のヒーローのような美形が、マイクを捧げ持っているイラストの葉書が載っている。跪いて歌う背中には白い羽が描かれていた。同じようなファンアートは、しょっちゅう送られてくる。
「うまいからいいんじゃない。……似てないけど」
「おれの似顔絵ってこんなのばっかり」
「べつに、誰にだってよくある発想なんじゃねえの。いっそほんとに背負ってステージに出てやれば? 羽。喜ばれるよ」
「ニワトリの羽で? ……ばっかみたい」
これ、頂戴、といって、守屋の返事も聞かないうちに、羽鳥はイラストが載っているページを雑誌から破りとった。さらにそれを半分、四分の一、と細かく千切っていき、紙吹雪が出来上がったところでパッと散らした。
「……それ、片付けろよ」
「天使とか言われるの、ほんと困る。そんなんじゃないのに」
「そうだな」
「これ、蔦枝が読めっていった」
羽鳥がポケットから角の擦れた文庫本を出して床に放り投げたので、守屋は拾ってタイトルを読んだ。『谷川俊太郎詩集』。
「空の青さがどうのこうのっていう詩を読めって」
「ああ」
「そんで、それっぽい歌詞を書けって」
「ふうん」
生返事で相槌を打ちながら守屋は文庫本を捲った。D‘ARCのメインターゲットである少女たち、それも思春期の少女たちが惹きつけられそうな、透明でうつくしい言葉が連なっていた。
「おれ、空にべつに思い入れないんだけど……空に還りたいとか、空に溶けたいとか、ぜんぜんわかんない」
行儀悪く足を投げ出し、そのはずみで羽鳥はごろり、と寝転がり、両腕で顔を覆った。
「なんでそんなに『天使』にしたがるんだろ、おれを」
「お前が天使だからでしょ」
「ユヅルまでそういうこと言いやがって、まじふざけんな」
羽鳥は守屋を睨んだが、すぐに目を逸らして、手近にあったクッションを引き寄せて顔を埋めた。
「……声が出ない」
呻くようにつぶやく。もちろん、守屋は気付いていた。言わないだけで蔦枝も気付いているだろう。ファンは、耳のよい一部は気付いているかも知れないが、大多数はそんなことより羽鳥の視線や表情や衣装の隙間からのぞく肌に夢中なはずだ。
「落ちる夢を見るようになってから、少しずつへんになっていって……もうだいぶ、苦しい」
「……そうか」
「このままどんどん声が出なくなったら、馘だよね、きっと」
どうかな、と守屋は声に出さずに考えた。蔦枝が羽鳥をそう簡単に手放すとは思えないが、今はまだ微々たる変調にすぎない羽鳥の声が、この先どうなっていくのかはわからない。少年合唱団のソプラノ・ソリストが無残に声変わりするように変わり果ててしまえば、使い物にならないと判断して蔦枝はあっさり捨てるだろうか。羽鳥が体を起こして、縋るように守屋の膝を揺する。
「ユヅル、おれ、やめたくないよ。おれ、歌いたいんだ……そのためだったら、羽でもなんでも背負うから、蔦枝にそう言って。孔雀の羽でも、ニワトリの羽でも」
必死の形相で言い募る羽鳥の、その必死さに、ああ人間なんだなあ、と守屋は複雑な気持ちになる。すっかり、羽鳥イツキという人間として母親の腹から生まれてきたつもりになっている。一年でこんなにも人の子になれるものなのか。自分の身の上とひきくらべて、守屋は少し嫉妬をおぼえた。
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