訪問者

 父が戻ってきたところで会計を済ませて店を出る。一歩踏み出せば感じる息苦しさにそういえばこんな暑さだったと現実に引き戻された。幸いにも父はすぐ近くの店に入ったので私は父が聞き込みをしているあいだ店内を物色し涼をとることにした。

 ここは茶器のお店のようでガラスケースには高そうな模様の茶器が品よく並んでいた。それらを照らすのは青白く安っぽい蛍光灯だが小さな値札に並んだ数字は思っていたよりも桁が一つ多い。傷つけてしまわぬように手を後ろに組んで眺める。

「この少女を見ませんでした?」

「ああ、それなら――――。」

 店の奥で繰り広げられる父と店主のやり取りを扇風機の作動音越しに聞きながら店に並んだ商品を見る。流石にケースの中のものは買えないがその手前、台の上に所狭しと並べられたものくらいなら今の私にも買えるお値段だ。

 潰した急須のようなものや、いくつか重ねて積んである小さな湯呑、細長い蓋付きのマグカップはカップと蓋の間に茶漉しが入っていて使いやすそうだった。

 硝子戸の中、視線の高さには先ほど店で見たような高そうな茶器がワンセットで売られている。少し卑屈な感情が胸の底にぽつりと顔を出したので、それを祓うようにお気に入りの一点を見つけるべく私は視線を落とした。白地に藍色で染められたもの、遠くに見る山のようなくすんだ緑色、べったりと塗りつぶすような朱色――私の心に刺さるような柄はなかなか見つからない。

 目つきを悪くしながらそれらを眺めていると突然下駄のようなカランコロンとした足音が聞こえ何とはなしに通りに視線を向ける。ひんやりとした風が頬を撫でた。

 表の通りに番傘を差した赤い服の男がいた。烏の濡れ羽色のような真っ黒な髪を一括りにし涼しげな顔で靡かせる青年が。私はついその男に声をかける。

緋紅フェイホン……!」

 外の暑さを忘れて通りに飛び出す。けれどそこには誰もいなかった。人通りも疎らな道でこんなすぐにいなくなるわけが無い。見間違いだったかと恥ずかしくなって店内に戻ろうと踵を返した——その時、何者かが私の手首を掴み陰が私を飲み込んだ。振り返れば緋紅がいた。

 次の瞬間足元からけたたましい鳥の鳴き声が聞こえて私の心臓がズキンと跳ねる。

「足元を見ろ、危ないぞ」

 頭の上から降ってくる緋紅の声に首から顔にかけて走る熱を感じた。

「どうした?」

 さすがの父も駆け寄ってきて緋紅は私の手首から手を放し距離を取った。お父さんは私に何もないことがわかると緋紅を見る。

「あれ、宿屋の息子さんがどうして?」

 緋紅を見れば張り付けたような笑みを浮かべていた。

「こんにちは、相楽さん。買い出しを頼まれましてね。お二人は観光で?」

 探るような質問に父は「ええ、まあ」と答える。二人の冷えた態度に気付けぬほど私は顔が熱くてたまらなかった。

 あれは見間違いじゃなかったのね、どうしてここに、やっぱり何度見ても美しい顔、声も穏やかで甘いな————そんな考えばかりが巡って二人に置いていかれてるのもわからない。

 自分の世界にトリップする私を置いて二人は探り合いをしているようだった。

「この辺りは地元民向けの店が多いので大通りの方が楽しめると思いますよ」

 その言葉の棘を感じるまでは。

 私は思わず緋紅を見る。彼は私と目が合うと年相応の笑みを浮かべた。そのやわらかさにつられて口角を上げてしまうのだから私はとても簡単な人間に映っただろう。

「いえ、せっかくの旅行なのでその土地の雰囲気を味わいたいんです」

 父も大人の余裕というべきか穏やかに返すがその声には余計なお世話だと言う意思がこもっているように聞こえた。緋紅もそれを感じ取ったのか眉尻を下げて頭も下げた。

「そうでしたか、失言でしたね」

 形だけの謝罪にそれでも父は張り詰めた笑みを崩さない。

「いえ、次は仰るように観光地を楽しもうと思います」

 丁寧な所作にいつもは人に難癖をつける父も終始穏やかに対応する。それだけで緋紅は凄いな、なんて感心してしまうのだ。

「それでは私は買い物があるのでこれで失礼いたします」

 背を向ける緋紅が見えなくなると私は父に声をかける。

「次はどこに行こうか」

「……」

「お父さん?」

 返事のない父が心配になって見上げるといつもと違う父がそこにいた。

「ん、うん……そうだな」

 歯切れの悪い返事を漏らす父は真っ青な顔で緋紅が消えた道の先を見つめていた。

「お父さん?」

「……ああ、大丈夫だよ。それよりお腹空かない?」

 私を見て笑顔を作るお父さんに私は不安を覚えた。


 あれから何事も無く父と聞き込みを続けた。

 しばらく心配で様子を伺っていたがお父さんはいつも通りの食えない態度であの怯えたような顔は見間違いだったかと錯覚してしまいそうになる。

 結局分かったことと言えばスズちゃんはこの町にある病院へ向かったということだけ。そこからの足取りは掴めなかったが、邪教と繋がっているなら間違いなく胡川に手がかりがあるはずだ。

「夕飯はどうする?」

 夕暮れの中、胡川に帰ってきた私達は宿へ帰る道を歩いていた。取り繕っているがやはり父の表情はどこか固く具合が悪そうだった。

「何か食べたいものある?」

 父は私と視線を交わさないまま質問で返してくる。こういう時の父は大抵食欲が無い。私自身暑さにやられて食欲らしい食欲も無いので言葉に詰まってしまう。

「特に無いけど……なんなら食欲も無いし今日は宿で休む?」

 私の問いかけに父は立ち止まって私を見下ろした。どこか探るような目で私を見てから「ごめん」とだけ呟く。

「気にしないで。さっき色々買ってきたしお腹空いたらそれ食べるよ」

 私が鞄の口を開いて見せると父は私の頭を撫でた。

「ごめん、今日は休むから外に行かないでね」

「うん。ゆっくり休んでね」

 私達が宿に戻ると蛍光灯の灯りが出迎えてくれる。今日も女将さんだけだと思っていたけれど今日は緋紅がベンチに腰掛けて乾燥させた植物を編んでいた。

 真剣な眼差しで隙間なく籠を編む横顔が綺麗でつい見とれてしまう。視線を感じたのか私たちに気付いた彼は「おかえりなさい」とほほ笑んだ。

「ただいま」

 ありふれた挨拶なのにどこか照れてしまうのは何故だろう。父は軽く咳払いすると私と緋紅の間に立って「今日のところは失礼します」と言って私の手を引き部屋に戻った。振り返る勇気なんてなくて私は会釈だけして部屋に戻った。

 部屋の中にあるポットで湯を沸かし、買ってきたカップ麺を食べようと鞄から取り出す。正直言うとカップ麺の気分では無いが父を安心させるためにも今日はおとなしく部屋にいることにした。

「そうだ……」

 せっかくなら中庭を眺めて食べようかと思い立ちテーブルと椅子を移動させる。ぼろい割にはロマンチックに光で彩られた庭園が美しい。

 ――――コンコン。

 部屋がノックされて私はチェーンをつけたまま出る。そこにいたのは緋紅――ではなく木佐貫さんだった。昨日の今日で一体何の用だろうと首を傾げる。

「よお、ちょっと情報交換と行かねえか?」

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