会食
木佐貫さんに誘われて食堂へ向かう。念のため父に声をかけたら外には行かないようにとだけ言われた。決して木佐貫さんの事を完全に信用したわけではないが情報は多い方がいいと見て申し出を受けることにした。決してカップ麺を食べたくないからとかではない。
外はすっかり暗くなっていたがまだ夕方の六時なので食堂は混んでいた。宿泊者という事で席が用意されており古めかしい衝立の向こうへ案内される。
「さて、それじゃあ……あ、煙草いいか?」
慣れた手つきで煙草に火をつけようとして思い出したように確認を取る。本当は嫌だけれど、あとは火をつけるだけの煙草を禁止するほど冷たくもなれなくて仕方なしに許可をすれば彼は煙を吸い込んでから満足そうにそれを吐き出した。
ちゃっかり換気扇寄りに座っているところを見るに普段から例の妹さんに気を遣ってきたのだろう。私達は数品頼んで本題に入ることにした。
「昨日の今日だが進展はあったか?」
「まぁ、ぼちぼちですね……木佐貫さんは?」
情報戦はどちらが有利に進めるかが鍵になる————と、以前読んだ本に書かれていた。別に特別信用しているわけではないが今こそその真偽を確かめるのも悪くはない。
「俺の方はあったぜ」
あっさりと頷く木佐貫さんに出鼻を挫かれた気分だがまあいい。所詮は飯事だ。
「俺は昨日今日とここいらを調べて回った。もちろん昨日は誰に聞いてもめぼしい情報は引き出せなくてな。手を焼いたよ」
「それは、こちらもそんな感じです」
実際手当たり次第に声を掛けたものの皆知らぬ存ぜぬで成果は無かった。私の様子に木佐貫さんは「やっぱりな」と煙を吐く。
「んで、今日はアプローチを変えてみた」
「アプローチ、ですか?」
つまらない鸚鵡返しに木佐貫さんは「そうだ」と頷いて一冊の本を取り出した。
「これは?」
「邪教の教義が載ってるやつだよ、妹のだ」
受け取ってめくると大陸の文字で色々と書いてある。
表紙には歪な化け物が描かれており少し気分が悪くなる。さすがに赤を信仰しているだけあって表紙はベッタリと朱色に染まっておりそれも含めて何となく不快感を煽るデザインだ。パラパラとめくると年表だろうか、年の横に出来事を簡潔にまとめた文が並んでいる。創世記から始まり最近に至るまで記されているが正直読む気にはならない。流すように読んでいると、時折挿絵に表紙の化け物が描かれていた。
「おや、お二人も興味がおありで?」
「緋紅っ」
いつのまにかそこに立っていた彼に思わず上擦った声が出る。彼は盆に水や取皿、箸を乗せておりテーブルに手際よく並べていく。
「知りたい事があればお教えしますよ。彼らにはとてもお世話になっていますので」
垂れ下がった前髪を耳に掛けて微笑みかける緋紅に木佐貫さんは私を見てから断った。
「悪いな、今は二人っきりで語り合いたい気分なんだ」
やや気持ちの悪い言い回しだが緋紅は顔色ひとつ変えずに「失礼致しました」とだけ言って下がった。木佐貫さんは緋紅が衝立の向こうに消えるのを見送ってから話を戻す。
「そいつを見せたらな、昨日までの態度が嘘みたいにみんな話し出したんだよ。まあ奴等にとってそれを持ってる事がよっぽど価値のある事なんだろうな」
煙草の灰を落として下唇を噛む。木佐貫さんの視線はメガネ越しに教本へ向けられていた。正直、こんな物のために何かが変わるなんて馬鹿馬鹿しいと思う。けれど、それがこの町なのだろう。木佐貫さんは細く煙を吐いた。
「……やはりこの邪教は気になりますね」
吐き捨てるように言えば一瞬木佐貫さんと目が合って私は体が強張った。何となく怒りを向けられたような気がしたのだ。けれど当の木佐貫さんは「だろ?」といつもの調子で教本を取り上げてぱらぱらとめくる。
「なんかなぁ、これ持って行ったら一人のばーさんが教えてくれたんだよ。俺の妹を見たってな」
「どこで?」
「……病院だそうだ」
今度は探るような目で見られる。彼は明らかに私から何かを聞き出したいらしい。けれど、それが何なのかわからない。お父さんならわかるだろうか。
「病院と言えば、私も今日父と歩き回っていて尋人を病院の近くで見たと言われました」
仕方なく手の内を明かせば木佐貫さんは「そいつは偶然だな」と含みのある言い方をした。なんだか自分が詰められているようで気に入らない。
「……大した収穫ではありませんよ。何故そこにいたのかも結局のところわからずじまいですしね」
喉の奥が干上がる感覚に耐えきれず水を含んだ。木佐貫さんの視線が痛い。この人はこんなだっただろうか。飢えた獣のような目つきで見られると本能的に逃げ出したくなる。これでは食事どころじゃないじゃないか。
「……そうか」
しばらくの沈黙のあと木佐貫さんは納得したように呟くとタイミングを見計らったように奥から料理が運ばれてくる。運んでくる人の中に緋紅の姿は見つからなくて私はほっとした。彼は邪教に対して好意的なきらいがある。この話は少なくとも彼を不快にさせるには十分だろう。
「今朝も思ったけどここのご飯美味しいですね」
「ああ、そうだな」
気を遣って話しかけてみるも木佐貫さんは適当な相槌で私はいつもより食事の手を早めた。
「……明日はおやすみするかもしれません」
「なぜ?」
「父の調子が悪いので付き添っていようかと」
先ほど声をかけた時父は一層顔が白かった。もしこんな異国の地で何かあったらと思うと正直私も気が気では無い。もしここにいたのが自分では無かったら、そんなどうにもならないことが過るくらいには私も父を心配していた。
「確かに顔が青かったもんな……明日も悪いようなら病院に行って診てもらうといい。よければ俺も付き添うぜ」
「ありがとうございます……」
正直、木佐貫さんをどこまで信用して良いのかわからない。こういう時は親切だし彼も妹さんのために必死なのはわかる。けれど、ふとした時の表情がどうも引っかかるのだ。今更になって父の言う“信用ならない”の意味を実感する。
会食は滞りなく終わり私は席を立った。父の部屋にお粥を頼み、一緒に部屋へ向かう。父は驚いていたが眠っていたのか少し顔色が戻っていた。
「お父さん、食べられそうなら食べて」
「ああ、ありがとう」
けれど父は手を付けず窓の外をぼんやり眺めていた。私の部屋より狭いここは息が詰まりそうで、部屋を交換するか尋ねる。
「今の方が空調の効きがいいから大丈夫」
私を安心させるためか無理に笑顔を作る姿に胸が苦しくなる。これ以上お父さんがここにいるのはよくない気がして漠然とした不安に飲み込まれそうだ。
お父さんが寝ると言うので部屋を出るとお盆を手に心配そうな顔をした緋紅がそこにいた。
思わず悲鳴をあげそうになる私だったが、何とかすんでのところで我慢する。
「……大丈夫か?」
「え?あぁ……今日は寝て明日の朝様子を見ようと思ってるよ」
「良ければ病院に案内しよう。馴染みの漢方医もいるし取次は任せてくれ」
「……ありがとう」
緋紅の優しさに少し心が晴れた気がした。
「おやすみなさい」
「おやすみ」
廊下で別れて部屋に戻ると、ソファに深く座り込んで息を吐いた。頭の中には帰国とスズちゃんの事がぐるぐると巡っている。
もしここで帰ってしまえばスズちゃんのことはわからずじまいになってしまいそうで出発の時に見た彼女の母親を思い出しそれを選択する勇気が出ない。けれど、だからと言ってお父さんだって私には大切な家族だ。このまま苦しませるわけにはいかない。
————私が一人でここに残るのはどうだろう。
父が絶対に反対するだろうけれど、それが最善のように思えた。
「……誰か味方がいればいいのに」
調査の基本は疑うこと。でも一人くらい信頼のおける誰かがいればその選択はもっと容易になる。そうして頭に浮かんだ人物に私は首を横に振った。
「……ダメだ、間違いそう」
その晩私は気絶するようにソファで眠った。
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