夕食
「いただきます!」
手を合わせ料理との出会いに感謝する。
脚がぐらぐらと心許ない安物のテーブルの上には色とりどりの中国料理が並べられており私は目を輝かせてその中の一つを頬張った。
普段食べる中華料理と違いスパイスが強く香る。この知らない香りは母が嫌いだと話していた八角だろうか。どうやら私は好きなようだ。鶏肉の入った料理は味が淡白ながらコクがあって美味しい。
————ここは杏扇市民市場。肉魚野菜から酒に至るまでありとあらゆる食材が揃う市場だ。大陸あるあるサイトにまとめられていた噂の犬や蝙蝠といった食材も隅の方で見つけた。食用に加工されたものが並んでいると思っていただけに生きたままカゴに入っていたり、切り落とされた頭が乗っている様子は思った以上に刺激的だった。私が顔を顰めると店番の女は不愉快そうに一瞥しただけでパイプ椅子から立ち上がろうともせず、何やら棒で商品を突いていた。
私達は暫く中を歩き回り物色したが結局何も買わぬまま奥の食堂エリア——フードコートの様な場所で食事をとることにした。フードコートとは言ってもお店専用のテーブルと椅子があり、出入りは自由だが簡易的なロープで仕切られていた。私と父は一通りメニューを見て中国料理を出す鳴婁酒家で食事をとることに決めたのだ。
私はてっきり
お店のメニュー看板から夕食はお粥かと肩を落としていた私の目の前に並ぶのはどれもお粥が食べたくなるほど脂っこい料理の数々。頼んだ料理は何を食べても美味しくて炎天下の中で疲れ切った体には少し重かった。
「木佐貫さんのお店にするのかと思った」
スープを飲んで一言。魚介出汁ベースのさっぱりとしたスープは胃の負担を和らげてくれる。
父は目線だけ私に向けると箸を置いてニヤリとわらった。意味を捉えきれず首を傾げる私に父はまだまだだと子供扱いしてくる。
「まあこれを見なさい」
そう言ってお父さんが出したのは木佐貫さんの名刺だった。そこには木佐貫さんの名前と並んで聞いたこともない様なオカルト雑誌のライターと書かれている。
「コレが何?」
私はそれを手に取って裏も表も見てみるがごく普通の名刺だった。
「その雑誌は存在しなかった」
「え?」
私は驚いてその場で調べてみる。確かに会社はあるが雑誌は無かった。さらに父が言うには木佐貫と言う名前の男はこの会社で働いていないと言う。裏は知人から取れたらしい。
「……でも木佐貫さんはどうして嘘を吐いたの?」
「さあ、でも信用しない方がいい理由にはなる」
そう言うとお父さんは海老を一つ口に入れた。箸とエビの頭がかちゃかちゃと音を立てる。
————私は父の言葉に納得できない。
たしかに雑誌は存在していないが木佐貫さんが嘘を吐いている様には見えなかった。もし私の勘が正しければいざと言う時の保険としてライターと言う肩書を利用したのではないだろうか。探りを入れていることが相手にバレても雑誌に載せたいと伝えれば門前払いを食らう程度で変に怪しまれる事はなくなる。後々嘘だとバレてもその場さえ切り抜けられれば後は逃げれば良いのだ。
けれど、そうなるとますます彼がなぜ私にあの話をしたのかわからなかった。
「私……」
父に話してみようかと考えて口を閉ざす。不確定要素をお父さんに話してもきっと無意味だ。お父さんは話の前半で決めつける人だから。
「どした?」
訝しむでもなく父親の顔で言うお父さん。
私は首を振って料理を頬張った。
「明日はもっと広範囲を回ろう」
炒飯をレンゲで掬い取って父が言う。
「うん」
私も同じように掬って一緒に口に放り込んだ。
お父さんの事だから食事中も聞き込みをするかと思ったが終始家族水入らずで夕食を終えた。
市場を出るとすっかり暗くなりこの道はぽつぽつと並んだ街灯の灯りと民家の明かりが漏れているだけの寂しい道になった。宿までタクシーを使うと思ったのに、食後の散歩だと言ってお父さんは途中で降りてしまった。当然私も降りるしか無く、斜め前を歩く父の横顔を見て唇を尖らせた。
この辺りは夏でも夜は肌寒いようで私は羽織っていたパーカーのファスナーを上までしめるといつもより足早な父の腕を掴み小走りで宿へと帰った。
「お帰りなさい」
宿に戻るとエントランスには蛍光灯の青白い明かりが灯っていた。眩しさに目を細めつつカウンター奥の時計を見ると今は夜の九時で、それでも笑顔で接客する女将さんにプロ根性を感じる。
「ただいま戻りました」
父の声のトーンが上がった。コレは外用の顔だ。アルバイト中何度も聞いた声。母親もそうだが親のこう言う声はなぜかむず痒く聞くに耐えない。私は先に戻ってしまおうかと一歩前に出た。けれど父に腕を掴まれたため仕方なくそこで立ち止まる。
女将さんは何か書き物をしているようで結局父は二言三言やりとりをすると会釈してこちらへやってきた。
「それじゃあおやすみ」
「おやすみなさい」
廊下で別れて各々の部屋に入る。
真っ暗な部屋の電気をつけると椅子の上に鞄を放ってソファに腰を下ろした。初日からすっかり疲れてしまった私はお湯を張る間テレビをつけることにした。音楽番組やバラエティ、島国と違う馴染みのないジャンルの番組など色とりどりで退屈なチャンネルを通り過ぎてようやくニュースを見つけた。
国家再建を狙った革命家や各地で起きたちょっとしたニュースまで映し出される。地元のニュースは例の宗教のCMが流れていて私は現実に引き戻された。
「あ、化粧落とさなきゃ」
思い出して立ち上がる。昨日からそのままの顔は何度か直したものの肌には最悪の状態だった。技術の進化が目覚ましい今でさえ化粧はその日のうちに落とすのが鉄則。明日は肌を休めようと小さな決意を胸に私はクローゼットに向かった。
化粧落としをカバンから探り出したところでドアがノックされる。
「お父さん?」
声をかけるが返事はない。心許ないチェーンをかけて扉を開ければそこにいたのは
「宿泊客に配っている地元の名産がございまして、夕食を外でとられたようなので伺いました。お時間の方少しよろしいでしょうか」
そう言うと彼はお菓子が入っているような箱を扉の隙間から見せてくれた。
「わかりました」
私はチェーンを外すと緋紅を招き入れる。
彼はまっすぐにテーブルの方へ向かい持っていた箱を開けるとすぐ後ろにいた私に好きなものを選んで欲しいと言う。
中を覗き込むとそこには色とりどりの包み紙のに包まれた月餅に似たお菓子が入っていた。
私はその中で緑の包み紙に入っているものを手に取る。
「お連れの方はもうおやすみのようなのでついでに選んでいただけますか?」
人数分捌かないと母に怒られてしまうので、そう付け足されて私は了承した。
「じゃあ、この赤い包み紙で……あ、味は違うんですか?」
少し気になって尋ねてみた。顔を上げると彼の丸くて大きな瞳と目が合いびっくりする。
「いえ、味は全て同じですよ」
そう言うと彼は目を細めた。
「ではこれで」
私は鮮やかな赤色の物を手に取った。私は緑が好きだが父は赤が好きなのだ。そのため百貨店で贈り物を買う時もリボンの色は赤と決めている。理由は知らないが昔の戦隊モノの主人公は赤なので刷り込みもあるのかもしれない。
「赤がお好きなんですか?」
「はい……」
何だか視線を感じて気まずい。私は話題を変えようと考えて、あっと気付く。
「そう言えば緋紅さんて名前が赤ですよね」
思いついたから言ってしまったが名前をイジるのは良くなかっただろうか。言っておいて心配になり伺うように彼を見上げた。けれど彼は私の心配をよそに満面の笑みを浮かべている。
「ええ、そうなんです。俺は赤が好きなのでとっても嬉しいんですよ」
子供のような無邪気さのある笑顔に私もつられて笑顔になる。
「やっぱり、タメ口にしていただけませんか?」
つい、そんな事を口走る。
「え?」
当然ながら彼は驚いたように目を丸くした。
「その、年齢も近いでしょうしタメの方が落ち着くと言うか……客と従業員なのはわかっているんですが、それでもその方がしっくり来るなって……思って」
言い訳をするように口が回る。彼はそんな私をみて始めは驚いていたものの次第に笑みを浮かべていた。
「お客様が良いなら俺は構わねえけど……いいのか?」
どこか不安そうに見つめられて私は大きく頷いた。
「そっちの方が緋紅さんって感じしますから!」
緋紅はそんな私をじっとりとした目で見る。
「おいおい、俺がタメなのにアンタが敬語じゃおふくろに怒られるだろ」
「そ、そっかそうだよね……わかりっ……た!た!」
「はははっそんなに“た”を主張しなくてもわかったよ」
変に取り繕った緋紅の冷たさは消え、ぶっきらぼうでも温かみのある彼に戻った様に感じた。
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