邪教

 ————鈴の音のような音が聞こえた。金属が触れ合う涼やかな音だ。それはどうやら通りの方から聞こえているらしい。なんとなく窓ガラス越しに外を見ていると思わず目を細めてしまうほど真っ白な衣に身を包んだ一行が地を這う蛇のように練り歩いていく。

 不意に彼らが足を止めた。私の視線に気付いたのかと思わず呼吸を止めて様子を伺う。しかし彼らは私のいる此方ではなく反対側の旅館を眺め中へ入っていった。

「邪教の奴等が……」

「うわっ」

 背後から忌々しげな呟きが聞こえて振り返る。

 いつからそこにいたのかサングラスの男が立っていた。おかげで私の心臓は飛び出そうなほど大きく跳ねる。

「邪教ですか?」

 男の言葉を反復した。

 大陸が分断して二百年近く経つ。その間に新興宗教が生まれていてもおかしくは無い。だがそれを邪教と言うからには何か曰く付きなのかもしれない。

「ああ、この地域に伝わる邪神を祀る民族宗教ってやつだな」

 男はそう言うと慣れた手つきで上着のポケットから煙草を取り出し火をつける。タバコ嫌いな私は顔を顰めたが男に気にする素振りはない。

「でも須道教が機能しているのでは?」

 男から顔を逸らすようにして尋ねた。こちらにまで煙草の臭いが漂ってきて息が詰まる。

 男は灰を落とすと私の隣に腰を下ろしまるで教室で飛び交う噂話のように話し始めた。

「確かにあそこは排他的だが年々求心力が衰えてきている。今じゃ都市部に多少信者がいる程度だ。そもそもこの大陸じゃあいつの時代も民族宗教ってのが強かったのさ。一人の手には余る程の人間がいるんだ」

 男は細く煙を吐いた。

「特にここいらは山に囲まれてるせいで外の情報や監査が入りにくい。一長一短だが邪教の奴等にゃあ好都合だったってことさ」

 男はそう言うと外にいる白装束の人々を睨みつけた。その表情からはただならぬものを感じる。一瞬のためらいの後私は口を開いた。

「あの、何かあったんですか?その、邪教の人達と」

 触れていいのか悪いのか、けれど敢えて勿体ぶっているように思えて正面から尋ねることにした。男は言葉を濁そうと口篭ったがやがてポツリと呟いた。

「妹がな……信者の一人だったのさ」

「妹さん?」

 彼の言葉に素直に驚いた。妹がいるようには見えないとかそんな理由では無い。いや、それも少しあるが……、私と同じ島国の出身に見える彼がまさか大陸の、それもこの地域の出身だとは思わなかったのだ。

 そんな私を一瞥すると男は口を開く。

「俺と妹は九州で生まれ育った。九州にはほら、海底鉄道があるだろ?あれで良いものだけじゃなく悪いものとも繋がっちまったんだ」

 男の目つきが鋭くなる。

 けれども私の胸中はこの地域出身なんですか、などと見当違いの質問をしなくてよかったと言う安堵感が占めていた。話し方こそ穏やかだが彼の風貌は完全にチンピラのそれなのだ。端的に言うと怖い。その一言に尽きる。

「俺の地元にもあいつらの支部があって土地神の恩恵を受けたけりゃこの町へ来いって唆すんだ。そして……」

 男の表情が徐々に強張っていく。

「そして?」

「妹からの連絡が途絶えた。生きてるのか死んでるのかもわからん」

 男はふっと力の抜けた顔をした。それはあまりにも悲しくて胸の痛みが伝わってくるようだった。どこかで見たようだと考えてああと納得する。それはスズちゃんの母親と同じ顔なのだ。きっとこの男も妹の事を大切にしていたのだろう。

「嬢ちゃんはそんな顔しなくて良い。それに俺は妹を探しにきたんだ。もしかしたらまだ生きてるかもしれねえってな。臓器を取られちゃおしまいだけどよ、人身売買ならまだ生きてる可能性はあるだろ」

 慰めるように話す男の口から飛び出た言葉を私は聞き流せなかった。

「え、人身売買ですか?」

「ああ、そうか知らないのか。あの邪教は金の無い信者を売ってるらしい。うちも裕福じゃ無いからな……」

 さらりと言葉にしているが突然の恐ろしい現実に私は自然と窓から身を隠すように壁に背中をつけた。恐怖と彼への同情心で内心ぐちゃぐちゃだ。

「まあでももしかしたら高位の信者になってるかも知れないし、敵の本拠地に殴り込みに来たってところだな」

 そう言うと男は笑顔を作った。

「……応援してます」

 私にはこれが精一杯の返事だった。

 やがて、向かいの旅館に入って行った信者が白い布に包んだ何かを持って出てきた。彼等は列の中央に入ると一行は再び歩き出す。

「あれは?」

 つい、男に尋ねてしまう。彼なら知っているだろうと言う信頼が生まれていた。そして彼はそれに応えてくれる。

「わかりやすく言うとお布施ってやつだな」

 彼は平然と答えた。

「お布施?」

 お布施と言われ私の頭の中には仏像が浮かぶ。

「ああ、ここら一帯は土地神の加護があるから土地代として定期的に回収するらしい」

 男は二本目の煙草に火をつける。

「でもここには来ませんでしたね」

「それはここが赤いからだろ?」

「……え?」

「……いや言葉足らずだったな、邪神の姿は赤い獅子と龍の姿をしててな。顔が龍でそのまわりにぐるりとたてがみがある。そして鱗で覆われた四足歩行の身体と龍の尻尾がついてるらしい」

 頭の中で言われた通りに思い浮かべた生き物は何となく鈍臭そうに思えてきっと今私は変な顔をしている。

「……え、それかっこいいんですか?」

「知らん、俺は龍の姿だけで十分だと思ってる」

 確認のために尋ねれば男はなんとも歯切れ悪く答えた。あの様子だと妹さんは気に入っていたのだろうか、それとも単純に私のノリに付き合ってくれただけだろうか。

 衝撃的過ぎて話が脱線してしまう。閑話休題とばかりに話を戻そうと口を開いた。

「つまり赤も信仰の対象と言うことですね?」

「ああ……駅の裏手の山は見たか?」

 それとも車で来たのかと尋ねられて私は首を横に振った。

 考えてみれば駅を出てから真っ直ぐ歩いていたので一度も振り返っていない。駅の外観すら思い出せないほどだ。

「見てませんでした、何かあるんですか?」

「邪教の奴等の本部があってな、それはもう鮮やかなくらい真っ赤に塗りたくられてるんだよ」

 男は趣味が悪いと煙草を灰皿に押し付けた。

「お待たせ〜……あ、木佐貫きさぬきさん!」

 その時奥から悪びれもせず父が現れた。

 私はすぐに時間を確認すると父に悪態をつく。

「三十分後って言ってから一時間近く経ちますが?」

「ごめんごめん」

 どうせ口先だけの謝罪だ。相手が母ならもっと怒られていた。

「はははっまあ許してやんなよ」

 木佐貫さんは大きな声で笑うと私にそういう事でと耳打ちすると部屋に戻っていった。最後まで煙草の臭い人だった。

 父は木佐貫さんの姿が見えなくなると私に向き直る。その顔は父にしては妙に冷めていた。

「彼の話はあまり間に受けない方がいい」

 父はそう言うと煙草に火をつけた。

 私はそんな父の膝を軽く蹴って外へ出る。

 周囲の様子を伺ったが信者たちの姿はすでになく私は安堵して道路に降りた。父も吸い始めたばかりの煙草を灰皿に残して駆け足でついて来た。

 向かいの旅館は先ほどと変わらず静かなままだ。いっそ不気味なほどに。こういった信仰心などを一切持たない私にはきっとこの町は合わないのだろうと漠然と考える。

「どうしたの?」

 私によく似た顔で覗き込んでくる父の頬を押し除けると私達は歩き出した。


「さっきの話だけど、どう言う意味……」

「あ、すみません!」

 宿から離れたところで木佐貫さんについて父の発言の意図を問い詰めようとしたが父は逃げるように通行人に声を掛けた。ここではまずいと言うことだろうか。

「後で話す」

 追いついた私にそう言うと父は鞄から手帳を取り出しスズちゃんの写真と謎の男の似顔絵を開いてみせた。

「すみません、この二人を探しているのですが、心当たりはありませんか?」

 通行人の男性は首を横に振る。その表情はどこか慣れていて私は木佐貫さんの言葉を思い出した。

 もしかすると、この町にはこうして人探しを目的に訪れる人が多いのかもしれない。

 その後もめげずに聞き込みを続けたが目立った成果はないまま空が赤く染まっていた。

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