第202話 母の心
俺とカミラの戦いを見てから、ジェルドは仕事にのめり込んでいる。俺の役に立つのが嬉しいという態度を隠していない。これが演技でないのなら、ジェルドの人格がおかしくなったのではないかと思ってしまう。
ただ、悪いことばかりではない。ジェルドが熱心なので、ミルラやジャンの負担が減っているのを感じるからな。この調子なら、思ったより早くに状況が改善するかもしれない。
とはいえ、油断は禁物だ。ジェルドが仕事に力を入れすぎて倒れでもしたら、困るどころではない。今のブラック家の弱点は、代えの利かない人員が多すぎることだな。誰かひとりが居なくなってしまえば、大きな問題が発生する。その状況は、好ましいとは言えない。
ミルラやジャンに、明らかに頼りすぎているからな。少しでも優秀な人員を集めて、負担を減らしたいところだ。ただ、難しいだろうな。ミルラとジャンが人員を選定した結果が、乱暴なグレンと配慮の足りないダルトンなのだから。
少なくとも、ミルラとジャンの選定に問題があるとは思わない。あったとして、あそこまでダメな人を、優秀な人より優先して選ぶほどではないだろう。つまり、優秀な人が集まってこないんだ。まあ、すでに分かりきったことではあるが。
そうなると、別の解決策が必要かもしれない。例えば、すでにブラック家にいる人員を育成するとか。だが、その教官は誰にするのかという問題もある。まさか、ミルラとジャンの仕事を増やすという訳にもいかないのだから。
他にいるとすれば、母くらいか。だが、今の母に仕事を任せられるかは、少々不安だ。能力というより、精神的負担が大きいのではないかと思える。
とはいえ、相談くらいはしても良いかもしれない。そう考えて、母を探してみる。すると、誰かと話している姿を見つけた。
「マリクさん、レックスちゃんには、どうして仕えることになりましたの?」
「王家からの依頼を受けてですね。俺の才能を、評価されたのでしょう」
「まあ。それは素晴らしいですわね。王都では、どのような活動をされていたのです?」
母は相手の頬に手を触れながら、ニッコリと微笑みかけている。対するマリクは、顔を赤くしながら話している。まあ、母の見た目は少女のようですらあるからな。そんな美人にアプローチを受ければ、少しくらいは良い気分になるだろう。
俺としては、母が新しい恋に目覚めたというのなら、それはそれで応援したいとは思う。相手が気がかりではあるが。
ただ、どうも違うような気がする。どちらかというと、誘惑した上で都合よく操る動きに見える。つまり、俺やブラック家のために頑張ってくれているのだろう。それなら、ちゃんと感謝しないとな。
「よくぞ聞いてくださいました、モニカ様。騎士団の面接官のひとりとしてですね……」
「なるほど。多くの有望な人を採用することに成功したということですわね」
「それだけではありませんよ! 多くの無能を弾くことにも成功したんです!」
マリクはかなり饒舌になっている。この調子なら、色々と情報を吐き出してくれるかもしれない。やはり母も、貴族の女ということか。油断したら、何もかもを奪われてしまうのだろう。
とはいえ、俺にとっては心強い味方だ。母に何かを奪われる心配なんて、しなくてもいいだろうな。
そんな事を考えていると、また別の人が視界に入った。叔父らしき男の、シモンだ。どこか恨めしそうに、母の方を見ている。
「モニカ……なぜ、あんなやつと……」
何を言っているかは聞こえなかったが、察するに母が男と話していることに嫉妬しているのだろう。以前の言動も、そんな感じだったからな。これは、面倒な状況になっているのかもしれない。
「楽しい時間でしたわ、マリクさん。では、また」
「こちらこそ、良い時間を過ごさせていただきました!」
マリクとの会話を終え、母は去っていく。部屋に戻りそうな様子だったので、先回りした。後からやってきた母は、俺の方を見て嬉しそうに笑う。
「母さん、調子良さそうだな。マリクと、何を話していたんだ?」
「レックスちゃんに、良からぬことを考えていないかの調査ですわよ」
やはり、そうか。母なりに、俺やブラック家のことを大事にしてくれているのだろうな。これなら、ある程度は仕事を任せても良いかもしれない。あるいは、母に独自に動いてもらうのも手だ。それはおいおい考えていこう。今のところは、お礼が先だな。
「ああ、なるほど。ありがとう。心配してくれたんだな」
「もちろんよ。誰よりも可愛い、わたくしの息子なんですもの」
「俺だって、母さんのことは大事に思っているよ」
「ありがとう、レックスちゃん。やっぱり、あなたは素敵ね」
うっとりしたような目で見てくるのは、以前の名残だろうか。まあ、相当大きな心の傷だろうから、ゆっくりと癒やしていくしかないだろう。拒絶なんてしたら、きっと傷つけるだけだ。それなら、触れない方が良いか。
「とりあえず、元気になったみたいで良かったよ。心配だったからな」
「レックスちゃんが困っているのに、何もしない訳にはいかないでしょう?」
「それなら、お礼をしないとな。今、時間あるか?」
「親子のスキンシップですわね。もちろん、時間を用意しますわ」
そんな流れで母の部屋に入ると、手を握られて、風呂に連れて行かれる。その時点で嫌な予感しかしなかったが、諦めて従うことにする。今の状況で断ってしまえば、母が今以上に追い詰められてしまうだろうからな。
ということで、母の頭を洗っていくことにした。それくらいが、俺としての妥協点だった。より多くを求められると、困ってしまうな。
「どうだ、母さん? 上手くできているか?」
「上手い下手ではありませんわよ。レックスちゃんと触れ合うことが、何よりの喜びですもの」
顔は見えないが、声はとても弾んでいる。喜んでくれているのだから、それに水を差すべきではないな。
「それでも、せっかくだから気持ちよくなってもらいたいじゃないか」
本音ではあるのだが、少しは恐怖もある。この調子で全身を洗ってくれと言われたりしないかと。母から男と見られているかもしれないという疑惑が、どうしても頭から消えない。
「レックスちゃんは、優しい子ね。でも、大丈夫。わたくしは、あなたがそばに居てくれるだけで幸せですわ」
「そうか? 嬉しいけど、もっと望んでも良いと思うぞ」
「いえ。レックスちゃんにも、自分の人生がありますもの。それを邪魔する母では、居たくないのですわ」
そう言ってくれるのなら、大丈夫か。母は親として俺を大事に思ってくれている。そう信じるだけだ。もし仮に違ったとしたら、その時に考えよう。
「ありがとう。母さんの息子に生まれて、俺は幸せだよ」
「苦しいことも、たくさんあったでしょう。それでも、幸せだと言ってくれますのね」
まあ、色々とあったな。だが、必要なことだったと思う。少なくとも今は、こうして母と穏やかな時間を過ごせているのだから。この調子で、いつかみんなと幸せな日々を過ごせるようにしたい。もちろん、母とも。
「ああ、もちろんだ。母さんは、俺の大切な家族なんだからな」
「レックスちゃんの愛が、伝わりますわ……。あなたがわたくしの子だったことは、最大の幸福よ。それは、間違いないわ……」
どこか、声のトーンが下がった。やはり、心が傷ついているのだろうな。仕方のないことだ。というか、俺のせいなんだよな。だから、俺の手で解決したいという想いもある。
「悩みがあるのなら、聞くぞ?」
「いえ、これはわたくしが解決すべき問題ですもの。レックスちゃんは頼りになるとは思いますわ。でも……」
「なら、無理には聞かない。でも、言いたくなったら、いつでも言ってくれ」
「いつか、わたくしの心が決まったのなら。きっと、その時には言いますわ」
なら、ゆっくりと話したくなる瞬間を待つだけだ。母だって、きっとそれを望んでいる。母の心に寄り添えるように、これからも頑張っていこう。
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