第39話 世界で一番可愛い君へ
「うひひ、結局なんだったのさ。借り物競走のお題」
千歌が疲労困憊の俺を見て、からかうように笑う。
ゴールに控えていた生徒会の書記に封筒の中身と千歌の顔を確認してもらって、借り物競走で正真正銘の一着を獲得したことは確認できた。
その代わりというかなんというか、どっと疲れたな。
人生でここまで頭を使ったのも心をすり減らしたのも初めてだ。それでも選んだ、選び抜いた答えなのだから、後悔はない。
だから、それを千歌にも伝えなきゃいけないんだけど、どこでどう伝えたものか。
顎に指をやって考え込む俺の顔を覗き込んで、千歌は訝しむように小首を傾げる。
「もしかして秘密、ってやつ? だとしたらつまんないよ、空ぁ」
「つまんないもなにも、物事にはタイミングってものがあってだな」
せっかく自分の中にある思いの丈をぶちまけるのなら、ある程度雰囲気とかそういうのがほしいだろう。
逆の立場なら千歌だってそう言っているはずだ。
「タイミングもなにもただのお題でしょ?」
「ただのお題ではあるんだけどな、色々とあるんだよ。色々とな」
「……ふーん? もしかしてそのお題、『世界で一番可愛いと思う子を連れてこい』とかだったりする?」
「そんなピンポイントすぎるお題があってたまるか」
それでも当たらずとも遠からずといった辺り、千歌の洞察力は凄まじい。
付き合いが長いからなのか、単に俺がわかりやすいだけなのかは知らないけどな。
多分後者なんだろうな、とは薄々と思ってるけど。
「あ、目逸らした。空って嘘つくときわかりやすいよね」
「嘘だろお前」
「うん嘘だよ、間抜けは見つかったみたいだけど」
「この野郎」
「うひひ、怒んなってー」
そんな細かな仕草まで観察してたのかよ、と少し感心しかけたじゃねえか。
しれっと他人にかまをかけるくらいに遠慮のなさを振り撒く幼馴染の笑顔は、今日も太陽のように輝いていた。
それがどこか嬉しくて、俺もつられて苦笑してしまう。
「それでさ、結局なんだったわけ? 教えてくれてもいいじゃん」
「それはそうなんだけど……まあ、その前に言っておくことがあるというかなんというか」
「言っておくこと? なんかあったっけ」
クラスメイトたちの輪に戻っていく千歌を引き留めて、俺は小さく呼吸を整える。
気まずくて思わず逸らした視線の先には、雪菜の姿があった。
なにかを覚悟したように、そうでなければいつものように、無表情で俺たちに視線を送っているけど、その裏にはきっと不安が隠れているのだろう。
今から俺は、千歌を選ぶ。
それは、雪菜を選ばないという選択だ。
もしかしたらの話はやめておこう。現実はいつだって、一つしかない椅子に二人は座れないのだから。
だから、相応に俺も覚悟を決めて、千歌の大きくて丸い、宝石みたいな赤い瞳を真っ直ぐに覗き込んだ。
「な、なんだよぅ、空ぁ……私の顔になんかついてる? それとも怒ってる?」
「残念だけどどっちも不正解だ」
「えー? 随分もったいぶるじゃん。これでつまんないことだったら許さないからね?」
安心してくれ。つまらなくはない。
多分だけどさ。
一人苦笑する俺の様子を訝る千歌に、早くその言葉を伝えろと、跳ねる心臓が叫ぶ。
「千歌」
「なに、空?」
「借り物競走のお題は、『あなたが一番大切な人』だ」
告げた事実に処理落ちを起こしたのか、そわそわしていた千歌は、ぴしり、とフリーズを起こしていた。
「そ、それって……空……」
まあ、無理もないというかなんというか、雰囲気とかがあるだろとか言っておいて、結局公衆の面前で告白するんだから、無粋といえば無粋なのかもしれない。
だけど、それでいい。それぐらいがちょうどいいんだ。
どんなに恥ずかしかろうと、見せつけてやるぐらいが。
開き直って、整えた呼吸を言葉の形に織り成して、喉の奥から舌先に乗せる。
唇が開けば、あとはもう──どうにでもなるはずだ。だから。
「千歌! お前が、世界で一番可愛い!」
俺は「賭け事」への敗北を、受けた告白に返すための言葉を、腹の底から叫んでいた。
千歌との勝負に負けたのが癪なところはないわけじゃないけど、ずっと、心の奥底で無意識に蓋をしていた想いの丈をぶちまけられたんだ、後悔することはない。
すっきりしたかどうかでいえば、後味は最悪だ。俺のその選択は──明確に、一つの好意を受け入れる代わりに、もう一つの好意を突き放すものなのだから。
それでも。
それでも、言った通りに俺はこの選択を悔やむつもりはない。そして、省みるつもりもない。
前に進むと決めたんだ。
それは流されてたどり着く妥協なんかじゃない。俺が、俺自身の意志で選んだことだ。
だから、千歌。答えてくれ。応えてくれ。
いつもみたいに、歌うように。
いつもみたいに、笑って。
そして、いつものように、世界で一番可愛らしく。
願いに応えるかのように、答えるかのように、千歌が震える手を伸ばす。
「……ぇ……えっ……? いいの……? 私で……わたしなんかで、いいの? 空?」
「『なんか』じゃない。千歌は……世界で一番可愛いんだ、他の誰かがなんて言ったって構わない、俺だけはいつだって、お前が一番だって言い続ける」
だから、俺と。
──俺と、付き合ってください。
その告白に赤い瞳を潤ませた千歌は、一筋の涙をこぼしつつ。
「うひひ……いいよ、空! わたしのこと、世界で一番愛してよね!」
太陽すらも霞むほどに輝く、世界で一番可愛い満面の笑顔で、答えを返した。
沸き立つオーディエンスも、実況の役割を放棄して呆けている生徒会の役員も、なにもかもがどうでもいい。
世界で今は俺と千歌しかいないかのように、胸の中に飛び込んできた温もりを抱きしめて、俺は、何物にも代えられない、世界で一番の幸せを噛み締めていた。
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