第37話 君は誰と手を繋ぐ?
インドア派には地獄のような、アウトドア派には待ち望んでいた天国のような体育祭は午前の部を終えて、ランチタイムに突入していた。
正直めちゃくちゃ疲れた。午後からは選択競技が控えているのに、個人競技だけで割と精一杯だ。
短距離走にはそこそこ自信があっても、ゲームに例えるならスタミナの最大値が低いからすぐに疲労状態になるみたいな感じだ。察してほしい。
「いやー走った走った。新記録出たんじゃない?」
「陸上競技会ならまだしも、ただの体育祭の結果をわざわざ記録なんかしてないだろ……」
「それはそうだけどさぁ、夢がないよね、空は」
例によって個人の短距離走じゃ向かう所敵なしといった具合に生徒たちをごぼう抜きしていた千歌が、タオルで汗を拭いながら口を尖らせる。
記録係がいたなら確かにあの走りはレコードを凄まじい勢いで塗り替えていたんだろうけど、そもそも普通も普通な高校の体育祭に塗り替えるためのレコードは存在しない。
なんなら厚紙に金色の折り紙を貼り付けただけの金メダルすらもらえない。
よく考えたら、労力に見合った対価がなに一つないのにそれでも全力で走ってしまったのは、その場のノリと勢いというやつだろう。
体育祭なんて真っ平ごめんだと思っていたのに全力疾走してしまった辺り、我ながら流されやすいな、とぼんやり思う。
「空だって結構頑張ってたじゃん」
「二位だったけどな」
「そりゃ普段からろくに運動してるわけじゃないんだし、現役の陸上部抜けるわけないじゃん」
「普段からろくに運動もしてないのに一位取ったやつがなんか言ってるな」
思わず皮肉で返したけど、千歌は部活の助っ人とかで運動してる方か。
いや、それにしたって運動量を考えたら叩き出した成果は比率としておかしいことにはなんの変わりもないんだけど。
それに比べたら俺はまだ一般人だよ。千歌に心配された通り、午後の借り物競走をまともに走る体力が残っているかどうかも怪しい。
「あれだよね、週の最初は元気だけどだんだんやつれてくタイプだよね、空は」
「ちくしょう、否定する材料がなんもねえ」
月曜日から調子が右肩下がりなんて大体の人間がそうだろうよ、と心の中で叫んだって負け犬の遠吠えだ。
夏休みの序盤に遊び倒して後半に宿題をやる気力をなくすタイプと言い換えればわかりやすいかもしれない。
いや、割と真面目にダメ人間だな、俺は。
「なにを話しているんですか、千歌、空」
己を省みてがくりと肩を落としていると、タオルを首にかけて、髪をポニーテールに結えた雪菜が駆け寄ってくる。
運動した直後なのに石鹸の香りが漂っているのは、制汗剤の匂いだろうか。
千歌からはみかんのような……柑橘類といえばいいのか。とにかくそんな感じの香りが漂っていて、人によって好みはわかれるものなんだな、と、俺はそんな他愛もないことに頷いていた。
「んー? 空ってスタミナないのに全力疾走しちゃうタイプだよねって」
「なんとなくわかります。後半になると動きが少し荒くなってくるので」
「ゲームの話? うひひ、三つ子の魂百までって本当なんだねぇ」
「ほっとけ」
最終的に勝てればいいんだよ勝てれば。
いや、固定ではフォローしてくれる雪菜がいるからほとんど常勝でいられるんだけどさ。そういう意味では本当に頭が上がらない。
「スタミナが尽きることは想定していませんでしたが、体育祭なので精がつくものを用意しています。三人前ほど」
「おぉー、雪菜ってば天使? 私も三人分お弁当作ってきたけどさ」
うひひ、と笑う千歌につられて、雪菜の口元もまた綻んでいく。
俺は、こんな何気ない時間が好きだ。
千歌と雪菜が二人で笑い合っている光景が、仲睦まじく他愛もない会話に花を咲かせているのが、なによりもかけがえのないものに感じられる。
だけど、選ばなければいけない。
手際よくランチョンマットを敷いていく千歌と雪菜に視線を向けつつ、俺はぐっ、と拳を固める。
二人の中から一人を。差し伸べられた二つの手の中から一つを。
「どしたのさ、空? 食べないの?」
「疲れているなら保健室に行きますか?」
千歌と雪菜が顔を見合わせて、そう問いかけてくる。いや、そういうわけじゃないんだ。
そういうわけじゃないんだけど、あまりにも言い出しづらい。
つい、沈黙に逃げてしまいたくなる。
「……もしかして、私が告ったこと、気に病んでる?」
「……もしかして、私が告白したことを、気にしていますか」
二人が口を開くと同時に、顔を見合わせる。
千歌も、雪菜も、最初は驚いたように目を見開いていた。
それも当然だろう。今の今までお互いが俺に告白したことに気づいていなかったのならそうもなる。
ここからどれほど剣呑な空気になるのかと、生唾を飲み込んで、俺は二人を見守っていた。
そうすることしかできなかったからだ。
だけど。
「あっははは! そっかー、そうだよね! 雪菜も好きになっちゃったかぁ」
「ええ……好きに、なってしまいました」
けらけらと笑う千歌につられて口元を綻ばせた雪菜が、静かにそう呟く。
なんか、思っていたのとはだいぶ違う感じになったけど、それでも──千歌と雪菜がお互いに好きな人を、想いを寄せている人を知ってしまったという事実に変わりはない。
「その……ごめん。千歌、雪菜」
「いいよ。空は……ちゃんと答え出してくれるって、信じてるから」
「私もです。なにを心配しているかはわかりませんが……私も千歌も、どちらかが選ばれなかったからといって、お互いを憎み合ったりはしません」
──友達、ですから。
雪菜は楚々とした笑みを浮かべて、そう断言した。
それでなにかが救われたわけじゃない。
どちらかを選ばなければならないという事実は変わらないだろうし、選ばれないということは相応に傷つくものなのだと想像もつく。
だけど。
だけど、一番失われてほしくなかったものが、俺の選択で消えてしまうと思い込んでいたものが、本当はただのネガティブな想像でしかなかったのだという事実が、今はなによりも嬉しかったし、安心した。
「そうそう、友情友情。私は……選ばれなかったら多分泣くけどさ。雪菜をそれで憎んだりはしないよ」
「私も……泣くかもしれませんね。ですが、きっとすぐ立ち直ります」
そしてまた、いつもみたいに笑い合えるようになると、信じています。
雪菜が苦笑と共に続けた言葉を、俺もまた信じたかった。
二人がここまで言ってくれたのなら、ここまで覚悟を示してくれたのなら、今度は──俺の番に違いはあるまい。
小さく呼吸を整えて、二人の視線を目で受け止めて。
俺は、精一杯の勇気と共に口火を切った。
「千歌、雪菜。聞いてくれ」
「うん」
「……はい」
「俺は……俺はこの体育祭で、二人のどっちかに返事をする」
それは、どちらかを選ばないという明確な答え。二つのうち一つを選ばなければいけないのなら、もう片方は必然的に選ばれない。
そんな、残酷な当たり前。
願うことなら、それが当たり前であってほしくはないけど、どうこう言ったって変わらないなら、向き合って、折り合いをつけていくしかないんだ。だから。
「……どっちかはまだわからない。でも、答えは必ず出す。だから。だから、待っててくれ。千歌、雪菜」
「……待ってるよ、空」
「……待っています、空」
二人の返事を抱きしめて、俺は目を逸らしていた恋心と、改めて視線を交わした。
どこまでも透き通るような青を湛えた空に、春風が吹き渡る。
その行方に、行く先に、選ぶ答えがあるのだろうかと、そう問いかけながら。
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