第36話 幕を開ける体育祭

 結局のところ、俺はどうすればいいのか。

 クラスで三番目に可愛いとはいわれているけど、実際は一番だっておかしくない幼馴染と、クラスで一番可愛い美少女に言い寄られている。

 我ながら漫画だ。羨ましがられて、新月の夜に背中を刺されてもおかしくない。


 だけどこれはアニメでもラノベでもなく、俺にとっては紛れもなく現実、本当のことなのだ。


 もしもこれが空想であったなら、画面の中の出来事であったなら、両方を選ぶという選択肢が取れたのだろう。両翼に美少女を従えて、空を飛ぶかのように。


 だけど、現実は違う。翼を持たずに生まれてきた俺たちだけど、比翼の鳥になるためには片方の羽しか選べない。

 翼が三つあっても、空は飛べないのだ。

 二つ一つ、二人で一つ。だから、二人分のぬくもりを、三人で分け合うことは決してできない。


 それがわかっているからこそ、俺は選ばなければいけないのだ。

 互いに好き合ってほしいと、付き合ってほしいと願われた人間の責任だ。逃れることはできるかもしれないけど、それはあまりに誠実じゃない。

 本音をいうのであれば、千歌と雪菜のどっちかなんて選べないし、選びたくなかった。


 いつも通りに、放課後にくだらないことを駄弁ったり、青春が許してくれるモラトリアムに骨の髄まで浸かりきって、浮かれたスクールライフを謳歌したかった。

 終わりがいつかくるなんてことはわかりきっている。それでも、そこから目を背けて。

 ベッドに背中からダイブして、ぼんやりとした目で天井を見つめる。


 明かりの消えた部屋の天井をスクリーンにして、千歌と雪菜の笑顔が交互にリフレインする。

 なにも考えずにさっさと風呂に入って寝ようと思ったけど、こんな状況じゃ眠れるはずもない。

 充電ケーブルに繋いでキャビネットに置いていたスマートフォンを手に取って、メッセージアプリを立ち上げる。


 スリープ画面に通知がなかったことからもわかるように、千歌と雪菜、二人のタイムラインは昨日で止まっていた。

 いつもなら、千歌が自撮りの一つも送ってきたって不思議じゃない時間帯だし、雪菜もぶっきらぼうではあるけど、「おやすみなさい」の一言をくれることもある。

 だけど、今日は二人とも沈黙したままだ。


 もしかしたら、雪菜は自分が俺に告白したことを千歌に打ち明けたのかもしれない。

 そう考えれば、ここまで連絡がないのも納得がいく。

 結局のところ、俺は、俺たちは「好き」という感情を、使い方を知らないまま持て余しているのだ。


 その使い方を知ったとき、少しだけ大人になる。

 その使い方を覚えたとき、少しだけ小狡くなる。

 だったら俺は知らないままでいいと、そう叫びたかったけれど、否が応でも返事をしなければならない現実が変わることはない。


「……俺は」


 千歌のことが、好きだ。

 雪菜のことが、好きだ。

 どっちも同じくらい、選べないくらい可愛らしくて、それぞれに違った好きなところがあって。


 そんな、比べることができないものを無理やり天秤にかけて傾きを確かめろなんてのは、いくらなんでも無理難題がすぎるだろうよ。

 状況だけ見れば、他人から羨ましがられても妬まれてもおかしくない立場なのは理解している。

 だけど同じ状況に置かれたとき、俺に恨みやらなにやらを向けているやつらはちゃんと選択できるのだろうか。


 できるのなら、そいつらのことを少しだけ羨ましいと思う。

 俺はどっちも選べずに、こうして立ち止まっているのだから。

 結局、うだうだと考えるだけ考えて夜は更けていく。その間にスマートフォンが吐き出した通知はSNSの他愛もないものばかりで、千歌と雪菜からのメッセージは一通たりともきていない。


 フライパンをお玉で打ちつけるいつもの音が聞こえたのは、考えて、迷って、結局結論が出せないまま時計の短針が半周したときだった。


「おーい! 起きろ、空ー! 千歌ちゃんのモーニングコールだぞー!」


 いつも通りにドアの外から聞こえてくる威勢のいい声に、今は少しだけ安心した。

 ちゃんと、来てくれた。千歌が。

 その事実が妙に愛おしくて、涙が出そうになってしまう。


「起きてるよ、千歌」

「あれ? 珍しいじゃん。どしたのさ」

「色々あって眠れなくてさ」

「ふーん……まあ、なにがあったのかはわかんないけど、今日体育祭だよ?」

「は?」


 千歌は小首を傾げながら、かんかんとフライパンの裏をお玉で叩く。

 ちょっと待て。体育祭?

 それはさすがに嘘だと言いたくなったけど、壁にかけているカレンダーには赤ペンで確かに「体育祭」と書かれていた。


「自分で書いてんじゃん」

「いや、それはそうなんだけどさ!」

「なにがあったかわかんないけど、寝不足で借り物競走ちゃんと走れんのー? 私は偉いから昨日は早めに寝たけどね!」


 ふんす、と鼻息荒く、得意げに千歌は豊かな胸を逸らしてみせる。

 なるほど。雪菜からのメッセージがなかった理由はともかく、ほとんど毎晩届いている千歌からのメッセージがなかったのはこれが理由か。

 なら、まだ千歌は雪菜が俺に告白したのを知らないのだろうか。どっちにしても、俺の思いすごしというか、考えすぎだったらしい。


「ほら、早く支度して! 今朝は時間ないから炒飯だけど今日は奮発してチャーシュー入れてあげたから!」

「わかった! わかったからとりあえず一旦部屋から出てくれ!」


 泣きたくなってくるくらいいつも通りのやり取りを経て、俺はごしごしと瞼を擦りながら寝巻きを脱いで、制服に袖を通す。

 体育祭だからほとんど一日中体操着で過ごすというのに、わざわざ登下校は制服を着なきゃいけないというのも中々けったいな話だ。

 ネクタイを締めて、寝癖を櫛で整えてから食卓へと駆け足で向かう。


 体育祭だから早く登校しなきゃいけない義務があるわけじゃないけど、千歌がなんとなくうずうずしているのに合わせて、俺もまたどこか落ち着かない心地なのだ。


「んー、やっぱお肉が入ると味が違うね!」

「そうだな……」

「あれ? なんか微妙な感じじゃん。もしかしてカニカマの方がよかった?」

「いや、寝起きで走り回ってたから単純に調子悪くてさ」

「そっかー、寝れなかったって言ってたもんね。なんか小学生みたいで可愛い、うひひ」


 千歌はいつものいたずらっぽい笑みを浮かべてそんなことを宣った。

 いや、実際小学生みたいな理由で寝れなかったのならどれだけよかったことか。

 その責任の一端は間違いなく千歌にもあるんだけど、俺としてはいつも通りに笑ってくれただけで、そのいたずらな笑顔が見られただけでホッとしたからその分チャラにしておくとしよう。


 ご家庭の味からワンランク上に昇格した炒飯をもそもそと咀嚼しながら、俺はそんなことを考えていた。

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