第35話 絶えず歯車は回る

「……落ち着いて聞いてください。空……私は。水上雪菜は、土方空のことを、あなたのことを……一人の男の人として、好きだと思っています」


 その言葉に、動揺するなという方が無理だった。

 なぜ、なんで、どうして?

 聞きたいことはいくつも頭の中で明滅しているのに、上手く唇が動かないし、喉に空気で蓋をされているようだった。


「……えっ、と、雪菜」

「はい」

「……雪菜は俺のこと、フってるよな?」


 忘れたくても否応なく思い出してしまう黒歴史。入学から一週間で、互いのこともよく知らないまま告白して撃沈したことは、もちろん今でもはっきりと覚えている。

 そのとき、雪菜が返した答えはためらいもなにも感じさせない、完全なるノーだった。

 そして巡り巡って、俺をフったはずの雪菜が今、愛の言葉を呟いている。一体どういう状況なんだ、これは。


「……はい。私は一度、あなたの告白を断りました」

「なら、どうして」

「……身勝手なのは承知しています。空が私から告白を断られたことで傷ついたことも……ですが、私は……私は、あなたという人を誤解していました」


 誤解もなにも、モテたいとか誰でもいいから彼女がほしいとか、そんな不純な動機で告白したのは確かなことだし、断られても仕方ないと思うんだけどな。


 俯いて、後悔に瞳を潤ませる雪菜にかける言葉が見当たらないまま、普段みたいに冗談を言うこともできないまま、沈黙が両肩に重くのしかかってくる。


 俺の告白は断られて当然のものだったし、あんな風に軽薄で調子に乗りやすいところがあるのが欠点なのは、自分でいってて耳が痛いけど自覚はしていた。

 だから、誤解もなにもない。

 俺たちは。俺たちは、ゲーセンで互いに上を目指してタッグを組んでる相方じゃないか。友達じゃないか。


 それ以上でも、それ以下でもないはずだ。

 困惑する俺を置き去りにして、戸惑う俺の襟首を言葉で掴み上げて、雪菜は続く言葉にありったけの激情をぶつけた。


「……それでも! それでも、私は好きなんです! 空のことが! 私のことを……本当の私を知っても気持ち悪がらないでいてくれた、それどころか友達として、何度も一緒に遊んでくれた……! 本当は、『孤高の雪姫』なんて呼ばれるのが大嫌いだった! でも、空は……空は、ちゃんと私の名前を呼んでくれた!」

「雪菜……」

「……だから、求めたくなってしまうんです。それ以上を……許されないのは、身勝手なのはわかっています。ですが、そうじゃなければ、ここであなたを引き止めなければ、空は絶対に、千歌のところに行ってしまうでしょうから……」


 ありったけの想いを、魂の中で燃え盛る蒼い炎を言葉に変えて、雪菜は俺の袖を掴む。

 行かないで、と、言葉はなくともそこにある真意を理解できたのは、幸せなのか不幸なのか。

 こうして通じ合えている事実が今は嬉しい以上に、めちゃくちゃ重い。なまじわかり合えたから、わかり合えてしまったから、理解できてしまう。理解してしまう。


 ラノベの主人公が如く、「えっ、なんだって?」とでも返せる精神力を俺が持ち合わせていなかったのは、幸せなのか不幸なのか──なにが幸せで、なにが不幸なのかも曖昧になるほどに、頭の中は混乱していた。


「……雪菜、俺は」


 俺は、どうしたいんだ?

 そこまで口に出したところで、言葉は途切れて地面に染み込む。

 もしもこの提案を受け入れて雪菜と付き合えるなら、俺の願いは満たされたことになる。叶ったことになる。


 千歌との契約はあくまでも妥協で、書面を交わしたわけでもないのだから、破棄することだってできるはずだ。

 だけど、その結果失われるものはあまりに重い。

 そしてそれは、雪菜からの告白を受け入れないのも同じだった。どちらか片方を選べば、どちらか片方は儚く砕け散ってしまう。


 人生で誰かに、異性に恋心を寄せられたのは、この前の千歌も含めればこれで二回目だ。

 たった二回だけ、それもほとんど同時に告白を受けたらどうすればいいのかなんて、俺の辞書には記されていない。

 複数の美女に言い寄られても本命の誰かのために鋼の意志で告白を断っているドラマの主人公は、作り話とはいえ本当に大した胆力だよ。


 皮肉をぶつけたところでなにも変わらないのはわかっている。

 ただ、それぐらいしか俺にできることはない。

 どう答えを返しても、失いたくないものが確実に一つ失われてしまう選択は、あまりにも。頼りない俺が背負うには、あまりにも重すぎた。


「……千歌となにか、あったんですね」

「……ああ」


 やっぱり、とばかりに問いかけてきた雪菜の問いに嘘をつくのは不誠実だ。

 だから、正直にその言葉を肯定する。

 そして、ここまで俺を信頼してくれた雪菜だからこそ、真実を開示する。それが、きっと今できる最善で、誠実なことだと信じて。


「……千歌に、告白されたんだ」

「……やはり、そうでしたか」


 あの日から様子がおかしいとは思っていたんです、と、雪菜はまだ涙の滲む眦を指先で拭いながら小さく笑った。


「やっぱ、バレてたか」

「……バレてないと、思っていたんですか?」

「……だよなあ」


 あの日、閉じ込められた体育倉庫で告白を受けたときから、俺と千歌はあからさまにぎくしゃくしていたのだから。

 雪菜は意外と鈍感な方だから、もしかしたら気づいていないかもしれない、とは失礼な期待を抱いていたけど、そこは乙女心の強さだろう。

 他人の色恋沙汰には敏感なものなのだ。特に、年頃の女子という生き物は。


「……返事は、今いただけなくてもかまいません」

「……」

「ですが、私は信じています……空がいつか必ず、どんな形であれ、私にちゃんと答えを返してくれることを」


 ぱたり、ぱたり、と、雪菜の瞳からこぼれ落ちた涙が重力に引かれ落ちて地面を濡らす。

 猶予をくれたのは、優しさだとか情けだとかじゃなくて、まだその答えを聞く勇気は自分も持っていない、ということなのだろう。

 だとするなら、俺は。


 俺に残された時間は、放課後を三人でいつものように過ごすこの時間はきっと残り少ない。

 砂時計の砂が落ち切る前に、その答えは出せるのだろうか。

 踵を返して家路につく雪菜の背中を、揺れる黒髪を見つめながら、考える。


 俺がやるべきことと、そこに至るまでの猶予を、指折り数えながら。

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