第29話 崖っぷちの空

 自称実行委員補佐として雪菜が参戦してくれたことで、体育祭実行委員の仕事も賑やかになった。

 雪菜のことを未だに「孤高の雪姫」として認識している生徒たちが、実行委員の手伝いをしているのを見て目を丸くするのも日常茶飯事だ。

 千歌は相変わらずムードメーカーとして場を盛り上げてくれているし、なんだろうな。


 二人のおかげで少しは楽しくなってきたかと聞かれて、首を横に振るのは誠実じゃないような、そんな気がしてきたんだ。

 会議は相変わらず退屈だけど、細々とした飾り付けをやったりだとか、そのために飾りを作ったりだとか、そういう作業は案外嫌いじゃない。

 クラスメイトのために、だとか、体育祭のために、だとかで燃え上がってるわけじゃないけど、不思議となぜか頑張れる。体を動かすための活力が溢れてくるんだ。


「はいはーい、こっち終わったよ、空!」

「こちらも担当分は終わりました」

「ありがとう、二人とも。あとはこれを生徒会室に持っていくだけだから……雪菜は先に帰ってても大丈夫だよ」


 雑談に花を咲かせながら作業を進めていたせいで、俺たちの班が恐らく飾りの納入作業は一番最後だろう。

 そのついでに残業かなにかを頼まれる可能性もあるし、そこまでボランティアの雪菜に付き合ってもらうのは気が引ける。


「わかりました、では二人が戻ってくるまで正門の前で待っていますので」

「おっ、待っててくれるの? 雪菜優しい!」

「一人で帰るのは心細いですから」


 そう言って苦笑する雪菜の横顔には、教室でただ一人、氷像のような無表情で本を読んでいた面影はどこにもない。


 俺が、俺たちだけが恐らく知っている、雪菜の茶目っ気があって、天然で、本当は優しい一面。


 それをもっと多くの人に知ってもらえたら、もっと学校生活が楽しくなるんじゃないかと思う反面、心の中にある箱へ、鍵をかけてしまっておきたいような気分にもなる。


「やー、雪菜ってば、本当によく笑うようになったよね」

「そうでしょうか」

「そうそう! やっぱり女の子は笑ってた方が可愛いぞー? うひひ」


 私みたいにね、とでも言いたげに、千歌はいたずらっぽく笑ってみせた。

 見慣れた笑顔だ。千歌がこんな風に笑っていると、なんだか安心する。

 発言に遠慮がなかったりたまに脛を蹴ってきやがるけど、やっぱり、なんだかんだで嫌いにはなれないんだよなあ。


「なんだよぅ、空ぁー? 彼女兼幼馴染な美少女の笑顔に見とれてたかー?」

「ハッ」

「どんな一言よりムカつく行為ってあるよね」


 いよいよ脛を蹴ろうと重心を落とした本気の構えを見せた千歌から逃亡しつつ、俺は飾りの類を並べていた箱を手に取って、生徒会室に駆け出していく。


「待てコラァ! 乙女の尊厳を鼻で笑った報いは受けてもらうからなー!」


 猛ダッシュで教室を飛び出した俺を追って、千歌もまたしなやかなフォームで廊下を全力疾走する。

 やばい。そういえばこいつ、陸上部の助っ人にも呼ばれるレベルだったんだよな。

 そんな女の全力疾走から逃亡する俺を苦笑と共に見送った雪菜は、反対方向に歩いていく。


 待たせるのも悪いし、ここはさっさと用事を済ませてしまうのが吉といったところだろう。

 あとは追いつかれたら死が待っているからな。

 生徒間のトラブルなんだし、もう恥も外聞もなく生徒会長に助けを求める他にない。


「待てや空ぁー!」

「待てと言われて待つやつがこの世のどこにいるっていうんだ、ははははは!」


 こちとら根っからのインドア系ではあるけど別に運動ができないわけじゃないんだ。

 ただ単にスポーツへ青春をかけて命を燃やすぐらいだったら、ゲーセンなり家でゲームしてた方がマシだな、と思っている人種なだけで。

 宝の持ち腐れだとはよくいわれるけど、人間、やりたいこととできることが必ずしも一致しているとは限らないんだよなあ。


 そして、その選択の自由が俺という人間にあるのなら、誰であろうと文句は言えまい。


 などと、哲学的なことを考えているのは単純な現実逃避で、思ったよりも足が速いしスタミナもある千歌に、インドア派の俺は追いつかれつつあった。


 いや、最初から勝てるとは思っていなかったけどさ。それにしたって化け物だろこいつの運動神経は。


「うおおおお、生徒会長ー! 1年A組の納入分終わりましたー!」

「……ありがとう。もう少し静かに入ってくることはできないのかね?」


 ギリギリで間に合った生徒会室の扉を開けて、俺は滑り込むように入室、そのまま手に持っていた飾りの類が並んでいる箱を会長へと手渡した。

 騒々しくてすみません。でも急がないと蹴られてたんで。

 と、いうのも自業自得だから言い訳はしない。ただ一言「すみませんでした」と謝るだけだ。


「待てや空ぁー! 乙女の怒りをくらえ!」

「痛ってえ!?」


 開け放たれたままのドアからダイナミックに入室してきた千歌が、俺の脛じゃなく背中を狙ってドロップキックを放つ。

 お前、なんてことを。ここは平和の象徴、生徒の自由を尊重する生徒会室のど真ん中だぞ。

 幼馴染の暴挙に対してそう詰めよるにも、飛び蹴りが直撃したせいで上手く息ができない。


「あっ、すみません会長! ちょっと乙女心を踏みにじった不届者を成敗しただけなので」


 てへっ、とばかりに軽く頭に拳をぶつけて、千歌はわざとらしい笑顔を形作る。

 ちくしょう、あざといぞ。

 そして卑怯だぞ、美少女無罪を勝ち取ろうとは。


「……君たちが本当に仲がいいのはわかったよ。本来なら咎めているところだが……時間も時間だ。そこにある資材を体育倉庫に持っていくことで不問としよう」

「やっほーい! ありがとうございます、会長! ところで倉庫の鍵は」

「ああ……少し前に用事があるといって借りていった生徒がいるから空いているだろう。閉まっていたら、手間をかけてすまないが、職員室まで行ってくれ」


 生徒会室のど真ん中でドロップキックをかますという暴挙も適当な雑用で許してくれる会長の心のなんと広いことやら。心の広さがカスピ海か?


「了解しましたー! ほら、空! そんなところで倒れてないで早く行こっ!」

「……お、お前が倒したんだろうが……」


 抗議のうめき声を無視する形で、千歌は資材を片手に俺を引きずって体育倉庫へと歩き出す。

 ちくしょう、いい角度で入ったから脇腹が痛む。いや、自業自得なんだけどさ。


「にしても体育倉庫に用事ねぇ……こんな時間まで残業してる運動部なんてあったっけ?」

「さあな、運動部に関してはお前の方が詳しいだろ」

「そりゃまあそうだけど」


 なるべく早く雑用を消化しようと、俺たちは体育倉庫まで再び全力で走る。

 おかげで辿り着くのには、そうそう時間がかからなかった。


「おっ、鍵開いてる。ラッキーじゃん」

「ちょうどいいな、さっさとこれ運んで帰ろう」


 暗くて足元がよく見えないけど、スマートフォンのライトで照らせば問題ないだろう。

 古びた木棚には、体育祭の資材を置く目安になっているビニールテープが貼られている。

 それを元に、俺たちは指定されている場所に、頼まれているものを置いた、そのときだった。


 がちゃり、と、硬質な音がする。


 ──もしかして。


 嫌な予感と共に千歌と顔を見合わせて、入り口まで駆け足で引き返すと。


「嘘、鍵閉まってる……! なんで……!?」


 千歌が驚きに口元を覆った通り、体育倉庫の入り口である両開きの扉には外から鍵がかけられていた。

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