第24話 弁当トライアングル
「週の頭なのにもう疲れた気がする」
「なんで急にそんなおっさんじみたこと言ってんのさ、空?」
四限の終わり、例によって俺の席まで椅子を持ってきた千歌が、ふとこぼれ落ちた呟きにそんなリアクションを返す。
理由とかは特にない、っていったら嘘にはなるんだけど、千歌の猛アプローチだとか雪菜の真意が読めない行動だとかに大分振り回されているから、と素直に伝えるのはいかがなものか。
逆にいえば、雪菜の真意はともかくとして千歌の本気は確実に伝わっているし、響いているってことではあるんだよな。俺の中で。
仮初の恋人関係を本物にするため、千歌がそれだけの情念を燃やしていることはわかったし伝わってきたけど、じゃあ俺はどうするんだ。
そう考えると、少しだけ気疲れする。
自分で自分がわからなくなってくるからな。
結局俺は千歌のことも、雪菜のことも、どんな風に見ていてなにを思っているのか。
それがわからないままなのが苦しい自分もいれば、逆にこのままずっとわからないでいてくれ、と願う自分もいる。
人間の感情というのは実に複雑怪奇で、そんなものだから哲学などという眠気を誘う教科が生まれたんだろうなあ、などと、ソクラテスに助走をつけてぶん殴られそうなことを考えていたときだった。
「お待たせしました、千歌。空」
「おっ、待ってたよー! 雪菜ー!」
少し遅れてやってきた雪菜を、千歌が大きく手を振って出迎える。
俺がクラスにおける共通の敵という認識は男女ともにもう変わりようがなく、今日も相変わらず教室に残った組からは呪詛がこもった視線を向けられていた。
普通、そんなことに巻き込まれたら嫌気の一つも差しそうなものではあるけど、千歌も雪菜もしれっとしているのは図太いからなのか、それとも天然からなのか。
多分、千歌は前者で雪菜が後者だな。
千歌に聞かれたらどういう意味だと詰められそうだけど。
弁護するなら、本人が気にしているほど千歌の太ももは太くない。せいぜいニーソックスを履いたときにちょっと肉が乗るくらいで、それ以外はすらっとした美脚だ。
「お、なんか空が脛蹴りたくなるようなこと考えてる顔してる」
腕を組んでそんな益体もないことを考えていると、千歌が凍てつく視線を向けてくる。
だから急にニュータイプに目覚めるんじゃないよ。心臓に悪いだろ。
即座に蹴ってこないだけ成長したともいえるけど、昔の千歌だったら多分蹴られていた。そういう確信があった。
「大したことじゃないって」
「本当かー? 事と次第によっては今日のお弁当抜きだからなー?」
「それは困る」
「じゃあ白状してもらおっかー、空ー?」
千歌は笑顔で圧をかけてくる。
うーん、別に蹴られるくらいならともかく弁当を抜かれるのは困るな。
かといって別に、考えていたのは一から全部悪口というわけじゃない。怒られそうな言い回しをしなければ、なんとか切り抜けられそうか?
「そうだなぁ……千歌は自分が思ってるよりも綺麗なんだし、変に悩まなくてもいいんじゃないかって考えてた」
「へぁっ!?」
気の抜けるような声と共に、耳まで赤くなった千歌が弁当で顔を隠す。これが漫画なら、頭から蒸気が噴き出しているところだろう。
事実を歪めた方便とはいえ、元の何割かは事実なんだから、モノは言いようとはよくいったものだ。
「な、なんだよぅ……私が美少女なのは確かだけど、いきなり面と向かって……」
「実際変に気にしなくても、千歌はそのままで十分だってことだよ」
「う、うぅ……なんのことかわからんけど、ずるい……」
降参だ、とばかりに弁当を差し出してくる千歌からそれを受け取って、心の中で安堵の息をつく。
自分で美少女だのなんだのと公言して憚らないし、それに見合った容姿も自信も持っているのに、変なところで謙虚というか、直球な褒め言葉には弱いんだよな、こいつ。
これも乙女心ってやつなんだろうか。だとしたら本格的に読み解くのが難しくなった気がした。
「今日も夫婦漫才ですか、空と千歌は」
「漫才っていうか……まあ漫才だな」
一連の流れを見ていた雪菜が、呆れたように小首を傾げて問いかけてくる。
漫才というかコントというか。
雪菜も一回ぐらい試してみればいいんじゃないかな。思ったよりも直球の褒め言葉は千歌に刺さるぞ。
「雪菜は珍しく弁当持ってきてるんだな」
「ええ、珍しく朝早く目が覚めましたので」
「……朝早く?」
いちいちカロリーブロックを風呂敷包みにしていたバンダナもご満悦であろう厚みを持ったそれをほどきながら、雪菜は答える。
朝早く……ってことは、まさか。
「はい、このお弁当なら私の手作りです」
「……えっ? 雪菜、料理とかできたの?」
呆気に取られて呆然としていた俺に代わって、千歌がその驚きを代わりに声に出してくれたようだ。
そりゃ驚くよな、週の大半カロリーブロックを弁当と言い張って食べている女が水上雪菜なんだから。
俺だって今、さぞかし間抜けな面を晒しているだろうよ。
「得意な方です。夕食はいつも私が作っているので」
「そうなのか……」
「ええ、空への日頃のお礼も兼ねて、今日は二つお弁当を作りました」
ちょっと待て。
一体なにを言い出すんだ、雪菜。
もうこの際クラスの全方位から突き刺さってくる絶対零度を突破した視線はどうでもいい、日頃のお礼がどうのこうのって話もまだ理解できる。
なんで、弁当を二つ?
まさか、それを俺に?
オーバーヒートして硬直を晒している俺に追撃を加えるかのように、雪菜は風呂敷包みの中に入っていた二段重の天面を取り外して、俺の方に差し出してくる。
「至らないところもあると思いますが、よろしくお願いしますね、空」
「……あ、ああ。ありがとう」
新たに追加された雪菜の弁当は、彩からなにから豊かでおかずの種類も多く、こんな代物を朝から作るとしたら、そりゃ早起きしなければいけないものだと納得させられる。
問題があるとするならその量だ。千歌の弁当と合わせて実に二人前と半分ぐらいあるぞ。
「どうしたんですか、空? まさか、食欲がないとか」
「いや、そういうわけじゃ」
「……そういうことですか。なら、少し気恥ずかしいですが、これも日頃のお礼です。あーん」
いきなりなにを言い出すんだい雪菜さん。
相変わらず少しズレている感性が導き出したその答えに困惑しながら、俺は少しだけ後ずさる。
しかし、箸の先に桜でんぶがかかったご飯をつまんだ雪菜は、ずい、と身を乗り出してこっちを逃すまいという強い意志を全身から発していた。
「あっ、ずるい! 雪菜!」
「ずるいもなにも、私は空に日頃のお礼をしているだけですが」
「うっ……な、なら! 私も! 私もさっき褒めてもらったお礼! ほら空、口開けて! あーん!」
なんだろうな。二人の美少女から口を開けるように迫られている構図だけ見たら、最高に幸せで最高に浮かれているようにしか見えない状態なのには違いないんだろうけど。
絶対零度が反転した視線がだんだんと灼熱の怒りを帯びてきたことを察して、俺は脂汗を流してたじろぐことしかできなかった。
『はい、あーん!』
復唱する二人の圧に屈する形で口を開いて食べさせられた唐揚げと桜でんぶのご飯は、悲しいほどに美味い。
そして、俺は。
いよいよクラスのパブリックエネミーを通り越して、裏で懸賞金がかけられていてもおかしくない存在に祭り上げられてしまったのだと、本能とクラスに渦巻く灼熱の憤怒と怨嗟が、その事実を否応なく骨身の髄に叩き込んでいた。
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