第22話 移りゆく日々の中で side千歌
そうして非日常が日常になっていくことに、慣れを感じないわけにはいかなかった。
だとしても、そこに飽きることなく、むしろこの瞬間がいつまでも続いてほしいという考えが変わらないのは、きっと幸せなのだろう。
まあ、その代償として俺はいよいよクラスのパブリックエネミーとしての地位を確固たるものにしてしまったんだけどな。
千歌だけならまだしも、他人を名字でしか呼んだことがない雪菜が俺の名前を呼び捨てにしていることは相当なショックだったらしく、血涙を流さんばかりに歯を食いしばっている男子生徒たちからは、実に一ヶ月が経っても恨まれたままだ。
なんでお前が、だとか、俺と代われ、だとか、何回そんな話を聞いたことやら。
なんでなのかは俺が知りたいし、代わってやることはそもそも物理的に無理だろう。筋違いも甚だしい。
千歌に加えて雪菜まで様子のおかしな人の仲間入りを果たしたことで女子グループからの視線は敵意を通り越して恐怖の域に至っている。
そんなにか、そんなにひどいのか俺は。
確かに千歌とも雪菜とも顔面偏差値が釣り合うかどうかって真剣に聞かれたら微妙なとこだけども。
そんなわけで、季節が一つ進もうとしている新緑の芽吹きの中でも、結局俺が友達だと呼べる存在は残り二ヶ月、お試しで彼氏と彼女をやっている千歌と、固定相方としての地位を不動にした雪菜の二人だけだった。
七色の光が派手に明滅している天井をぼんやり見つめながら、ぼんやりとそんなことを思い浮かべる。
「っしゃー、八十六てーん!」
「上手いんだろうけどまた微妙な数字だな……」
「この機種で八十五点超えれば上等でしょー? 空って本当そういうとこだよね」
「ごめん」
五月。四月後半からにかけ、様々な部活がゴールデンウィークを犠牲にして練習に明け暮れるシーズンなのもあって、千歌とのカラオケデートはこうして一月先まで延期になっていたのだ。
流行りのポップスを熱唱している千歌は見ていてなんというか微笑ましかったけど、ずば抜けて歌が上手い、というわけではないというのが率直な感想だった。
それは本人も自覚しているからこそ、やたらとサイドメニューを頼んだりして雰囲気を出そうとしているのだろう、多分。
「ところでどうするんだよこのフライドポテト、食い切れないだろ」
「そこは空がガッツを見せるとこだよ」
「お前は俺をフードファイターにでもしたいのか?」
「女の子に山盛りの脂質と炭水化物の塊を食べろっていうの?」
質問に質問で返すな。
いやまあ確かに二人で食べるには明らかに量が多すぎる大盛りのフライドポテトを一人で完食したら、間違いなく体重計の針は右に動くことになるだろうけどさ。
千歌に、仮初とはいえ彼女にそれを強いるのかと言われたらさすがに俺も反論できない。けどな。
「その割にお前、パフェとか頼んでるから説得力ないんだよ」
「本当にわかってないなー、空は! 甘いものは別腹だし、私の場合全部胸に行くからセーフなんですー!」
じゃあポテトも食えよ。どうせ胸がデカくなるだけなら大して変わらんだろ。
と、包み隠さず本音を口にすれば間違いなく脛を全力で蹴られるだろうから黙っておくとして、今日の主賓が誰なのかを考えれば、俺がポテトの処理班になる他にない。
「うひひ、自慢のFカップが夢のGカップだよ? 空も嬉しいでしょ?」
チョコレートパフェをスプーンで掬って口元に運びながら、千歌は空いている左手で自分の胸に指を沈み込ませる。
嬉しいか嬉しくないかで言われたらそれは……決まってるけどさ。でも素直に認めたら果てしなく負けた気がするんだよ。
あと尻もデカくなるだろうとか言ったら、今度はいよいよ脛じゃ済まなくなるだろうからそっちも黙っておこう。
「わかったよ……俺が食う」
「ふっふー! 格好いいぞー、マイダーリンー?」
見え透いたお世辞を言うのはやめろ。
でも、冗談だって女の子に「格好いい」と言われたら張り切ってしまうのが男という生き物の哀しき性なのだ。悔しいだろうが仕方ないんだ。
主語がデカすぎたか。ともかく俺は、千歌のエールを受けながら、歌もそっちのけで山盛りのポテトをひたすら口に詰め込んでいく。
「うひひ、そんな格好いい私の彼氏にはサービスしてあげよう」
「……」
口にものを詰め込んでいるときに話しかけられても反応に困るんだよ。
微妙な表情の俺をよそに、予約していたカラオケの演奏を中断して、千歌は膝にしなだれかかってくる。こいつ、一体なんのつもりだ。
膝に押しつけられた二つの柔らかい感触を脳から振り切らんと心を無にして、ポテトをコーラで流し込んだ。
「うひひ、顔赤いぞー? そーらっ」
「……お前もだろ、千歌」
「じゃあお互い様ってことで、はい、あーん」
ほとんど抱き合っているといっても過言じゃない姿勢から、指先でつまんだポテトを口元に運んでくる千歌の姿は、なんというか、妙に艶やかだった。
幼馴染をそういう目で見られなかった鉄心が揺らぎかける程度には、その上気した頬や、少しだけ早い息遣いと、伝わってくる鼓動は色っぽくて。
「……ん」
呆然としている間、口に一本だけねじ込まれたポテトの反対側に千歌が口をつける。
待て、待ってくれ。なにをするつもりなんだ、お前。
そして、そのまま千歌は唇をもごもごと動かして──
「なーんて。ドキッとしたでしょ? うひひ」
そんないたずらっぽい笑みを浮かべて、ポテトを一息に噛み切ってみせた。
「……っ……! 千歌、お前……!」
「あっははは、怒んないでってばー! まさか本気でポッキーゲームされると思ってた? 期待しちゃってた?」
千歌はけらけらと笑いながらそんなことを言ってのける。
その問いにはい、と答えるのは、事実上負けを認めたようなものだ。いや、千歌の掌の上で見事に踊らされた時点で既に俺は敗北者なのかもしれないけど。
それでも、最後に残ったちっぽけなプライドだけは死守せんと、沈黙を選ぶ。
「うひひ、かーわいっ」
「……お前がそのセリフを言ってどうするんだ」
もはやただの負け惜しみでしかないとわかっていても、相変わらずからかうように笑っている千歌に、俺はそう言い返すことしかできなかった。
これで勝ったと思うなよ、的なことを言わなかっただけ褒めてほしい。いや、結果はどうあれ今回は俺の負けなんだけども。
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