第3章 クラスで目立たないはずの俺は

第21話 登校トライアングル

 新しい朝がきた。特に希望の類はない。

 千歌がモーニングコールしてくれるのにも、朝食を用意してくれるのにも、慣れつつある自分がいるのがどうにも微妙な心地だ。

 それは非日常が日常となって、やがてマンネリと化していく、みたいな恋人同士の初々しい悩みじゃない。


 次第にそれが「当たり前」になることで、千歌に対しての感謝の念とか、そういうのが薄れていくのが怖いのだ。

 そう思えているうちはまだ大丈夫だと誰かが言っていたから、その言葉を信じたいところではある。誰が言ってたかは知らないけどな。


 別に俺は、千歌のことを嫌っているわけでも疎ましく思っているわけでもない。

 何度考えても、千歌は自称して憚らない通りの美少女だと思っている。

 性格だって悪いわけでもないし、スタイルに関してはいうことなどなにもないレベルで抜群だ。


 そんな千歌から色々尽くしてもらっているんだから、いい加減お前も腹を括れと、親しい友人がいたら怒られそうなものだけど、どうしても、あと一歩。

 説明するのが難しい、俺も言語化できないなにかが、千歌を恋愛対象として見ることを阻んでいる。

 雪菜への未練なのだろうか。それとも、俺は自分で思っているより千歌のことを「可愛い」と感じていないんだろうか。


 どっちにしても景気がよくない話だ。

 さっさと考えるのをやめにして、いつも通りに通い慣れた道を歩んで学校に向かおう。


 ──と、頭を切り替えられればよかったんだけど。


「雪菜ー? こんなところで会うとか奇遇だねぇ」

「偶然ではありませんよ、千歌。私は空が通りかかるのをここで待っていたので」


 あのあと、メッセージアプリ上で千歌と雪菜がどんなやり取りをしていたのかについては興味もなければ知りたくもない。

 だけど、俺を引き金にして今、二人がそのつぶらな瞳から火花を散らしているのだと思うと、無性に胃が痛くなってくる。

 知りたくもないとはいったが、状況から見るにおおよそ想像はつく。


 恐らく、雪菜は俺との出来事を、なに一つ包み隠さずに千歌へと伝えたのだろう。

 きっと嘘がつけなければ、方便も使えないくらいに真面目な雪菜らしいといえばその通りだけど、焼けた靴を穿かされているこっちの身にもなってほしいんだよなあ。

 自業自得だって? それはそうだけども。


「ずいぶん仲良くなったじゃん」

「ええ、空はずっと探していた私の相方ですので」

「……」


 千歌が絶対零度の視線を突き刺してくる。

 違う、そういう意味じゃない。そういう意味じゃないんだよ千歌。

 ゲームの話だと前置きしない雪菜が天然なのか、それとも千歌をおちょくるためにあえて伏せた腹黒な一面を持っているのかはわからないけど、多分前者なんだろうな。この前のことから考えるに。


「へー、何年くらい?」

「そうですね、私がゲームセンターに行くことを許可されたのは中学一年生の頃ですから、四年近く、でしょうか」

「そっかそっかー、結構長く待ってたねぇ」

「はい。やっと声をかけられました」

「ま、私は生まれた頃から空と付き合いがあるんだけどね! うひひ」

「……」


 マウントだ。幼馴染マウントだ。

 大人気もなければ恥も外聞もなく全力でマウントをとりに行く千歌に対して、俺は一体どんな言葉をかければいいのか。

 とりあえずは落ち着け、落ち着いてくれ。お前の目の前にいる女の子は敵じゃなくて友達だろうに。


 敵を見誤るな、とか格好つけたことが言いたいわけじゃない。ただ単に暴走癖がまた発動している千歌を宥めたいだけだ。

 ただ、なんというか、そのだな。

 元を辿れば原因は全て俺に収束するから、どの面を下げて「落ち着いてくれ」なんて言えばいいのかが全くもってわからないんだよ。


「……ねえ、雪菜」

「……なんですか、千歌」

「この話不毛だからやめよっか、元を辿れば空が悪いんだし」

「はい、そうですね」


 なんか勝手に仲直りしてくれたのはよかったけど、その分俺にとばっちりが飛んできた。

 なんでさ……といいたいところだけど、千歌の言い分もわかるし、雪菜がそれに同意している理由はわからなくてもなんとなくそういうものなんだなと納得はできる。


「俺のせいなのかよ」


 乙女心なるものに適合してきた自分に複雑な思いを抱いているところはあるけど、ここは憎まれ役として場を丸く収めよう。


「当たり前でしょーがこのボンクラ彼氏!」

「まだ彼氏じゃないだろ!」

「暫定でも彼氏でしょ!」

「それはそうだな……」

「空。あちらを立てればこちらが立たずとはいったものなので、あまり女性に対して八方美人でいるのはやめた方がいいですよ、いらない誤解を生むので」


 千歌の激情と雪菜の正論パンチに叩きのめされて、なにも言えない自分が我ながら情けなかった。

 八方美人でいたいわけじゃないんだけどな。それでもこう……ダメだ、なにをいっても言い訳にしかならない。


「……ま、そんなわけでこのボンクラ幼馴染はこんなんだけど、よかったらこれからも仲良くしていこうよ、雪菜」

「ええ、千歌と喧嘩をするのは私も不本意なので」


 そう切り出して苦笑した千歌の手を、微かな苦笑で返した雪菜が握る。

 雨降って地固まる、とは少し違うんだろうけど、主に俺の尊厳とか印象の類を犠牲にして、どうやら二人の友情は守られたようだった。


 それなら、安いものだ。尊厳の一つや二つぐらい。

 いや、安くはないか。

 ともかく、俺が憎まれ役になるだけで二人の友情が崩壊せずに済むのなら、それに越したことはない。


「そんなわけでいつもみたいに手繋いで学校行こっか、空!」

「手を繋いでいるというよりはお前が絡みついてるんだよな」

「脛蹴るぞ」

「ごめん」


 左腕に、いつもの如く千歌が笑顔で抱きついて、愛おしそうに頬を擦り寄せてくる。


「本当に仲がいいのですね、空と千歌は」

「なんたって彼氏と彼女だからね! まだ仮だけど」

「……そうですか」


 いつもと違って、右側には雪菜がいる。

 日常は変わった。新しい朝が再びさんざめきながらやってきたのだ。

 意味ありげに微笑む雪菜の真意はわからなかった。それでも、こんな時間がいつまでも続けばいいな、と、春の陽気に当てられて、俺は呑気にそんなことを考えていた。

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