第19話 続くよ帰り道

 送っていく。誰を。水上さんを。

 誰が。俺が。

 ただひたすら困惑する俺の前で、いつもの氷像じみた無表情のまま、水上さんはじっとこっちの目を覗き込んでいた。


 まるで、言いたいことはわかるよな? とでもいいたげに。


 いや、確かに言いたいことは理解できる。

 女の子を一人で家に帰すなとか、時間帯的にそこまで危ないわけではないけど、万が一水上さんの身になにかあったら責任取れるのかとか、色々あるけど。

 問題はシンプルにだな。


「……俺、水上さんの家がどこにあるのか知らないんだけど」


 一応、俺と千歌と通学路で合流できる程度に反対方向でないことは知っている。

 でも、もしかしたら水上さんがやたら早起きで、徒歩一時間以上かけて通学路を歩いている可能性もあるのだ。


 門限があるわけじゃないんだから、別に女の子一人送っていくのに、どうということはないだろうといわれればそれまでではあるんだろうけどさ。


「心配いりません、私の家は土方さんの家からさほど遠い距離にないことは確認してあります」

「誰に……って、千歌か」

「はい」


 千歌のご自宅のすぐ隣だからな、俺の家。

 あいつ経由で俺の家の場所を水上さんが知っていたとしても、確かにおかしくはない。


「それとも、土方さんは女性を夜に一人で帰すような方なのでしょうか」

「送らせていただきます」

「よろしくお願いします」


 そこまで言われてはいそうですとすごすご引き下がるほど、こちとらヘタレではない。

 一度フラれた相手を家まで送るというシチュエーションは中々訳がわからないし、そこそこ気まずいけど、女の子にそこまで言わせておいて黙っているわけにはいかないだろう。


 俺が隣にいてなんの役に立つのかという話だけど、万が一なんかあったとしても、盾ぐらいにはなれるだろうからな。多分。


「では、帰りましょう」

「ああ……えっと」

「なんですか?」

「今更だけど水上さんが嫌じゃなければ、空でいいよ。土方って呼ばれるの、なんか苦手でさ」


 ゲーセンの自動ドアをくぐってすぐ、水上さんへと俺は苦笑交じりにそう言った。

 コンプレックスとかじゃないんだけど、単純にこう……名字の響きに自分が釣り合っていないというか、堅苦しさを感じてしまうんだよな。

 あとは、小学校の頃のあだ名が「副長」だの「新撰組」だの、そればっかりだったのも、自分の名字に対する苦手意識をそこそこ育てていたのもある。


「そうですか。では、空さん」

「空さんって言いづらくない?」


 めんどくさいやつだと思われるかもしれないけど、空って名前の方も、さん付けだと妙に語呂が悪いんだよ。

 だから、千歌のように親しい友達にはいつも俺は「空」で呼び捨てにしてくれるようにお願いしているのだ。

 悲しいことに小学校時代はそんな友達にすら「副長」と「新撰組」としか呼ばれなかったし、中学校に入ってもそこそこ副長呼ばわりされてたけどさ。


 もちろん、水上さんが嫌だと言えば素直に諦めるつもりではある。

 固定を組んだことで前よりは少し距離が近づいたつもりだけど、元々フラれた側とフった側という事実は変わらない。

 馴れ馴れしくするなと言われればぐうの音も出ないのだ。


「そうですか。変わった方ですね、空は」

「そこそこそう言われる」


 別に自分じゃそこまで変人ってわけじゃないとは思っているけども、他人から見たら変なこだわりを抱えているように見えるのだろう。

 水上さんが特に拒絶感を示さなかったことに安堵しつつ、ほっと胸を撫で下ろす。


 街は夕暮れから夜に変わりつつあって、アーケード街の光も喧騒も一段と大きく、強くなっていた。これが、この街の夜だった。


「水上さん、結構ゲームとかする方なんだ」

「意外でしたか?」

「なんかもっと、純文学とか読んでそうなイメージがあったからさ」


 そんな他愛もない話をしながら、俺たちは帰りの道を歩く。

 日は長くなってきたけど、四月の夜はまだそこそこ寒い。


「よく言われます」

「そうだろうなぁ。俺もさっきまでそう思ってたし」

「はい。むしろ純文学の類は全く読んだことがないのですが」


 知らなかった。

 意外にも程があるぞ……って言ったら多分失礼になるんだろうけど、それだけ俺や周りは水上さんのことを知らない、ということだ。


「意外だ……じゃあさ、水上さんはどんな本読むの?」

「主にライトノベルです」


 意外だ。一日に何度驚かされるんだ、俺は。

 淡々と答えた水上さんは、そんなに驚くようなことかとばかりに小首を傾げていたけど、少なくとも結構驚かされたぞ。

 アクションゲームをかなりの領域までやり込んでるのもあるし、もしかして結構ディープな人だったりするんだろうか。


「そういう空はなにか、読んでいるものはないんですか?」

「俺かぁ、俺は……ラノベだよ。炒飯作りにきてくれる女の子の話が好き」

「それで千歌に炒飯を?」

「いやいや、そこまで現実と創作の区別ついてないわけじゃないって」


 あれは偶然の一致だ。

 もしかしたら俺がそういう本を読んでいたからこそこそ練習して炒飯作るようになった可能性もあるけど、さすがに自意識過剰がすぎる。


「そうですか」

「そうそう」

「その話なら私も好きです。軽妙なやり取りがとても面白いので」


 そう呟くと、水上さんはくすりと、目を細めて小さく微笑む。

 どんなときも表情を変えることのない、「孤高の雪姫」が、だ。


 それこそ俺は鳩が豆鉄砲を通り越して、ガトリング砲の一斉射撃をくらったような顔をしていたんだろうな。

 水上さんは、目を丸くすると腹を抱えて静かに笑っていた。


「ふふ……っ、くすっ……」

「……俺、そんなにおかしい顔してたかな」

「はい。失礼ですが、とても」

「そっか……わかりやすいのかな、俺」


 割と顔に出る方だとはいわれてたけど、そこまでか。ぐにぐにと頬をこね回しながら小さく溜息をつく。

 そして、そんな他愛もないやり取りをしながら歩いているうちに、いつしか俺は知らない家の前に辿り着いていた。


「ここが、水上さんの家?」

「はい。表札に書いてある通りですが」

「……あ、本当だ」

「ふふっ……面白い方ですね、空は」


 水上さんは、上機嫌そうにくるりと踵を返すと、家の玄関に手をかけて、首だけで俺の方を振り返る。


「それでは、また明日」

「ああ……また明日、水上さん」

「雪菜、でいいですよ」


 ──では。

 それだけ言い残して、水上さんは明かりがついていない家の中へと消えていく。

 相変わらず、その言葉の真意はわからなかった。それでも。


「……少しは、仲良くなれたのか?」


 そうだったらいいな、とそこに微かな期待を託して、俺は通い慣れた家路に引き返す。

 雪菜、と、慣れない呼び名を舌の上で転がしながら。

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