第14話 水上さんは様子がおかしい
例によって、足を踏み入れた教室は今日も今日とて針の筵だった。
男子たちの嫉妬とやっかみ、女子たちのなんか違う世界に住んでいる生き物を見たような視線。正直なところ結構堪える。
とはいえ、人の噂も七十……何日だったかは忘れたけど、まあそのぐらい経てば落ち着くだろう。というか落ち着いてくれ。
主に俺の精神衛生のために。
カレカノモードになって、今日は一段と浮かれた様子の千歌が俺の腕に組みついている様子を嫉妬の目で見られるのはまだわかる。
だけどな、流石にそこの女子諸君。千歌を憐れむような目で見るのは違うだろうがよ。
などと、俺じゃなくて千歌のことで主に心はささくれ立っているわけだけど、悲しいことに俺たちはマイノリティだ。
ここでブチ切れたところで、事態は余計に悪化する一方だというのは簡単に想像できる。
だからこそ、千歌もまた黙っているのだろう。
もっとも、こいつの場合本気で俺との関係を周囲に全力アピールしてるだけな可能性もあるけど。
「空さぁ、なんか今失礼なこと考えてない?」
「いや、考えてない。これっぽっちも」
「本当? むー……怪しいなぁ」
だから急にニュータイプに目覚めるのはやめろ。心臓に悪いだろ。
なんてことを考えていると、それまで見透かされそうだ。経験則として、千歌の勘はよく当たるんだよ。
単に俺がわかりやすすぎるだけなのかもしれないけども。
そんな他愛もない話はさておくとして、この救いの欠片もないような状況でただ一つ幸いなことがあるとするなら、千歌が変人扱いされているのは主に「俺と本気で付き合いたいと思っているから」の一点だけで、千歌本人は別に嫌われてないというところだった。
だから、俺と離れて席に座れば千歌の近くにはあっという間に人だかりができるし、会話の内容に耳を傾けてみれば、今日も部活の助っ人やら委員会の手伝いやらを頼まれている。
しかし、千歌は人気者だなあ。
こうしてみると、陽の当たる場所で輝いているようなあいつが、じめじめとした教室の隅っこ暮らしをしている俺のことを好きになった理由がますますわからなくなってくる。
蓼食う虫も好き好き、なんてことわざもあるけど、それにしたって偏食が過ぎないか?
なんて、机に突っ伏しながらぼんやり自虐を頭に浮かべることで現実逃避を図っていたけど、それを許さないとばかりに今日は一段と強く背中に突き刺さる視線があった。
その気配を辿ってちらりと目をやれば、視線の主は意外なことに水上さんだった。
意外すぎる。
てっきりこの前の平等院鳳凰堂だったか金色堂だったか忘れたけど、あいつに恨まれてるもんだとばかり思っていたんだけどな。
「……」
特になにかを口にするでもなく、水上さんは俺のことをじっと見つめている。
なにを考えているのかさっぱりわからない。
わかることがあるとするなら、その視線が決して好意の類を向けられているのではない、ということだけだった。
今朝の件もあって、水上さんにどうやら俺は本格的に嫌われたらしい。
心当たりはあるから、それ自体は仕方のないことだと諦めてはいる。
ただ、急に態度を変えられた理由についてはまるで想像がつかなかった。
水上さんについて俺が知っていることはあまりにも少ない。
ただ、「孤高の雪姫」と例えられる程度には表情の変化に乏しく、いつだってつんと澄ました顔をしている、というのが一般認識だということはわかる。
そんな水上さんがなんらかの感情を剥き出しにしてこっちを睨んでいるんだ、正直なところめちゃくちゃ怖いんだけど。
「……」
顔を上げてちらりと水上さんの方を見てみれば、今度は何事もなかったかのようにつんとした表情に戻って、視線を逸らされた。
うーん、なんなんだろうな。
机に再び突っ伏してちらりと様子を伺えば、また刺すような、恨みがましい視線でこっちを見てくるんだからわからない。
俺は嫌われるようなことは確かにしたかもしれないけど、生憎恨まれるようなことはした覚えがないんだよなあ。
うーん、どうしたものか。千歌にでも聞いてみるか?
いや、確かに千歌は聞いてくれるだろうけど、取り巻きの女子たちから凄まじい目で見られるだろうから今はやめておこう。
ただでさえ告ってフラれた相手に恨みを持たれてるんだ、それだけでも大分ダメージが大きいのに、これ以上自分からダメージを貰いにいくような真似はしたくない。
こうなれば、いっそ本人に直接聞いてみるか。
こんな風に、うだうだといつまでも悩んでいるよりは遥かにマシだ。
席を立って、また露骨に視線を逸らした水上さんのところまで早足で歩く。
にわかにクラス中が緊張感を帯びた、そんな気がした。
いや、気のせいじゃないだろう。ぴりぴりと肌を刺すような剣呑さが、始業前の教室を取り巻いている。
恐らく男子どもからすれば、「千歌という彼女がいながらまだ水上さんを付け狙っているのか」だろうし、女子からすれば……あまり想像したくはない。
なにはともあれ、ここまできたなら腹を括る他にないということだけは、事実に違いなかった。
「えっと……水上さん」
小さく咳払いをして呼吸を整えつつ、俺は水上さんの名前を呼ぶ。
すると、明らかにぎこちない仕草で、まるで油が切れたブリキ人形のように、ぎぎぎ、と固い動きで水上さんは俺の方を振り返った。
「……なんですか」
「変なこと聞くけど、もしかして俺に恨みとかある?」
そりゃあるだろ、といわんばかりのオーディエンスたちは一旦無視するとしてだ。
俺からの問いかけに、水上さんはわかりづらいけど、眉根に小さくシワを寄せる。
なんだ。なんなんだ、いよいよなにか致命的なことでも俺はやらかしたのか。
「……いえ、特には」
数秒ほどの沈黙の末、水上さんはいつものような調子でそう答えた。
でも、どことなく声が上擦ってる気がするんだよなあ。これ以上追及したら地雷を踏み抜くだろうから黙っておくけども。
「そっか、特に恨んでるわけではないと」
「……ええ」
怪しい。正直めっちゃ怪しい。
だけど、本人がそう言っているんだから、これ以上無理に追及するのは悪手だろう。
恨まれてはいない、それが例えあからさまにわかりやすい嘘だとしても、今はそれを信じておくのが色んな意味で得策だ。
「ありがとう。ごめん、変なこと聞いて」
「……いえ、それでは」
ぷいっ、と視線を逸らした水上さんを背に、すごすごと俺は自席へと引き返していく。
うーん、さっぱりわからん。
ただ一つわかるのは、今日の水上さんはどこか様子がおかしいということだけだった。
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